2(ドゥ) フーシェの歎息(たんそく)

「……かくして、貴女は、かの騎兵大尉との浮気に興じた。それだけでなく、他の男とも」


 ジョゼフ・フーシェは冷淡に言った。

 実際、ローズの「火遊び」は誰の目にも目立った。

 彼女は隠そうともしなかったからだ。


「……やり過ぎでしょう。いくら何でも、とはお思いになりませんでしたか、マダム?」


「……一度はわ」


 何者かが告げ口したらしく、ナポレオンは大いに怒った。

 だが彼女は得意の手練手管てれんてくだでナポレオンを籠絡ろうらくすることに成功してしまう。

 さしものナポレオンも、敵地にいて戦争の最中に、「それは冤罪よ」、「わたしが愛しているのは貴方だけ」、などという手紙をから受け取っては、何も言えなくなってしまったに相違ない。

 しかし彼女はそれで図に乗ってしまう。


「それでマルメゾン城の購入ですか。何万フランですか? いかに葡萄月ヴァンデミエール将軍(ナポレオンの綽名あだな)といえども、これは払えないでしょう……払えたとしても、かなりの負担だ」


「……さすがは警察卿。よくご存知だこと」


 フーシェはあきれたような表情をした。

 そんなことは、警察でなくとも、誰もが知っている。

 そう、ナポレオンも。


「だから頼んでいるの。お願い、あの人はたぶん、怒り狂っている。妾の命を奪うかもしれない」


 大げさだな、とフーシェは思った。

 確かにナポレオンは傲慢で残酷なところがある。

 だからといって、みずからの妻とした女を殺すことはしないだろう。


「……ゆえにマダム、もう、謝るしかありません。私に言えることは、それだけです」


いえノン


「何がいえノンですか。マダム、遅すぎです。そういう後悔をなさるには……」


「ちがいます、警察郷、忘れたのですか? このマルメゾンのシャトーを手に入れるために、いくら出せと言われたと思っているんですの?」


「…………」


 そう来たか。

 フーシェはこの日何度目のことか、歎息した。

 ナポレオンは確かに、ローズ──ジョゼフィーヌと離婚するだけに済ますだろう。

 だがそれは同時に、マルメゾン城の代金までは、面倒を見ないと宣言することになる。

 ナポレオンは、(公的には)城の購入を知らない。

 知ったところで、不貞の妻の高額の買い物まで、誰が払うかと言い切るだろう。


「……となれば、妾は破滅です。死ぬしかない」


「…………」


 自業自得ではないか。

 フーシェはそう言いたげな目をしていたが、ふと、ローズを物陰からうかがう影に気がついた。


お母さんMamanあのje……」


 そうつぶやきを漏らしたのは、ローズの娘、オルタンスだ。

 ローズには先夫ド・ボアルネ子爵との間に、このオルタンスと、ウジェーヌの二人の子を得た。

 兄の方のウジェーヌは、ナポレオンのエジプト遠征に従軍しており、今、ローズと共にいるのは、妹の方の十六歳のオルタンスだ。

 ローズはかぶりを振って、オルタンスに下がるよう示唆した。

 オルタンスはうつむきがちの姿勢のまま、あとじさりし、そのまま消えていった。


「……何か、言いたげでしたが」


 フーシェが訊くと、ローズは肩をすくめた。


「このたびのことは、妾のせいです。あの子に頭を下げさせるのは、すじちがいです」


 ローズはごく自然に胸を張った。

 実に堂々たるものだった。


「……わかりました」


「? 警察卿? いえ、フーシェどの、何と?」


「わかりました、と申し上げました……ただしマダム、私は何も貴女を救おうという訳ではありません。。結果、ボナパルトは貴女をゆるすかもしれない……そういうことで、よろしいか」


 ローズは目をみはった。

 目の前にいる、痩せぎすの小男は、悪辣さで鳴らしていた。

 その悪辣さの底にあるものを、垣間見たような気がした。

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