第5話 ルイエルド辺境伯領の革命について

 ルイエルド邸、執務室。

 五階建ての大豪邸、最上階のフロア中央。謁見室の光景を錯覚させるそれは、王宮にも劣らない豪奢な装飾が施された、ルイエルドが書類作業に従事する場所だ。

 巨大な両開きの扉が規則的に打ち鳴らさせる。

 返答は無い。扉が開き、執事の一人が執務室へ立ち入った。

 すらりとした、中性的なシルエットだ。執事の服装をしている事でかろうじて男性だと判別出来るだけで、外見的特徴に性別を感じさせる部分は一切無い。

 眦が少しつり上がった、アーモンド型の目。瞳に収まるのは黄玉のような鮮やかな黄色だ。確かな意思の籠もった目は、忠誠とは別の感情が見え隠れしている。剥いた栗のような梔子色の髪は邪魔にならぬよう短く切り揃えられているが、毛先は僅かに瞼に被さっていた。

 ルイエルドは普段、一日の殆どの時間を執務室で過ごす。それだけ聞くと仕事熱心で奇特な貴族に聞こえるが、実際にはそうではない。ルイエルドのような大貴族の間では、何もしないことが美徳とされている。真に富める者は、動かずとも人々が生かしてくれる。それこそが特権階級にだけ許された生き方である。という訳だ。

 その為、彼が執務室に籠る理由は実務ではない。

 ならば何故。その答えを知るのは、屋敷の中でも家令と数名の経験長い執事の数人のみ。

 執事は手に持っていた書類を巨大な一枚板の黒檀の執務机に置き、引き出しの中を探る。直後、ガコンという何かが動き出したような音が部屋に響いたと思えば、天井に正方形の切れ込みが入り、ゆっくりと執務室に降り立った。

 折り畳まれた階段が、緩慢と伸びていく。

 決して設計図には無い、屋根裏部屋への隠し部屋。一部の者しか知らぬ、ルイエルドの遊び場への道。

 しかし、屋根裏部屋自体にルイエルドがいる訳ではない。あるのはたった一つ。

 階段を上っていくと、円のように描かれた青白く輝く文様が執事を出迎えた。

 魔術式を直接物体に刻み込む設置型の魔法、通称魔術陣。

 式の刻印は豊富な専門知識が要求される、非常に高度な技能だ。事実王国に魔術陣が刻める魔術師は片手で数える程度で事足りる。その為魔法陣の刻印には、魔法の種類にもよるが非常に高い金銭を要する。

 ただその魔法陣の中でも、これはルイエルドの大豪邸と同程度の価値を有している。

 魔法陣の価値は、刻印される魔法によって異なるもの。この魔法陣に刻まれているのは転送。離れた場所の物体と物体、生物と生物を一瞬にして移動させる。無論、人も。

 執事が魔法陣に乗ると身体が仄かな光に包まれ、同時に粒子となって消える。同時に屋敷地下深くに刻まれた対応する魔術陣より光が溢れ出し、集まって塊になったかと思えば執事の身体の構成した。

 転送の魔法は文字通り、人や物体を対応する場所へ転送する。魔法陣なら、対応する魔法陣へ。

 人々の生活でも、軍事的にも大きな役割を果たす最も高価且つ最も有名な魔法。それを彼はただ私欲を満たす為だけに使っている。これが、彼なりの惨めな示威なのだ。

 対の魔術陣があるのは、石煉瓦の小部屋。壁掛けの小さなランタンだけが光源だ。執事は陣から離れる前に取り出した蝋燭を手燭に刺し、ランタンから炎を貰う。

 ちりちりと、蝋燭に火が宿った事を確認し、執事は眼前の錆びかけた鉄扉を開いた。

 鉄と、甘ったるい香の臭いが鼻腔を突き抜け執事は少し眉を顰める。

 ぬらりと湿った石煉瓦の通路は、先が見えぬ程続いている。床の黒い大理石の上には、縁に金糸があしらわれた深紅のカーペット。壁には等間隔で黒檀の扉が設置されている。血の香りも、気持ちが悪くなる程甘い香の香りも、全てそれらの扉の奥からだ。

 今日は何処だろうか。そんなことを考えながら、執事は廊下を歩き出す。

 何度も通り過ぎる扉の上部には、金属のプレートが設置されている。刻まれた文字は名前だ。声に出して読めば、それが男性の名前では無い事がよく分かる。

 少し歩くと、両脇に男が立っている扉があった。

 只の兵士という装いではない。片方の男は二振りのファルシオンを両腰に佩き、もう一人は純銀のハルバードを杖の代わりのようにして退屈そうに虚空を見つめている。


「主は」


 彼はルイエルドが雇っている傭兵。大陸でも有数の実力を誇る男だが、それを私的に雇えるほどの財力がルイエルドにはあるのだ。

 質問の返事は分かっている。ファルシオンの男は狐のような細い眼で答えた。


「部屋にいはります。相変わらず気色悪いさかいに、近寄らん方がよろしいんとちゃう?」

「あは、そうしたいのは山々ですが、仕事ですので」

「あちゃ、そりゃしゃあないな。……すんまへん! 執事さんやで!」


 ファルシオンの男が大声を上げながら扉を叩く。返事を待つ静寂のせいで、嫌に扉の先の物音がよく聞き取れた。

 激しくも鈍い打撃音と、何かが規則的に軋むような異音。暗い絶望にどっぷりと浸かりながら、規則的に吐き出される諦念が大半を占める悲鳴。他者を支配欲を尚も満たし続ける、歪んだ高笑い。甘ったるい臭いは今まで通ったどの部屋よりも強く、一嗅ぎしただけで胃液が昇りそうである。

 どうやらファルシオンの男の声には気付いていないらしく、男はおどけるように両手を広げた。これ程夢中ならば仕方が無いと言った様子で、執事はドアノブに手を掛ける。

 ドアは不思議な構造だ。外側から鍵が掛けられるようになっており、まるで誰かを閉じ込めるような構造。だが今は掛かっていないようで、ノブを捻り少し引くと香はさらに強く廊下に漏れ出した。

 口許を手袋越しに抑えながら構わず開く。まず目に飛び込んだのは、肉体の躍動だ。

 汗で濡れた肉体が跳ねている。可視化した情欲を、濡れそぼった窪みに厭らしく押し付け、潰し、こじ開けるように腰を沈め、再び浮かせるの繰り返し。まるでバウンドするように沈み、浮き上がる。動くごとに、淫靡な水音を伴って。

 余らせた手は押し潰した女の肩を潰すように。もう片方は動きに合わせて揺れる果実を鷲掴みにしている。


「うぅ……はぁ、いっ」

「フッ、ハハハッ! もっとだ!」


 覆い被さった筋骨隆々の男が乳房を握り潰していた腕を高く掲げ、固く結んで振り下ろした。

 鈍い打撃音と共に唾と血の混じった飛沫がベッドに飛び、女は再び苦痛に喘ぐ。美しかっただろう面影だけはあるが、女の顔は既に度重なる殴打により骨から歪んでいるようだ。

 同時に、男の背筋がぶるりと震える。ひたひたと五指で触れるごとに、形容し難い快感が駆け上った故だ。

 女の腕はあらぬ方向に曲がり、その上で手枷が嵌められている。脚も同様。女はこうして、ベッドの四角に繋ぎ留められている状態だ。

 真紅のベッドは血を目立たせないためだ。ルイエルドの苛烈な嗜虐癖は、流血が伴わない事は無い。香は男のそれをいきり立たせ、女のそれを否が応でも潤す。裏社会に流通している麻薬の一つだ。

 これが、へイエス・ゼン・ルイエルドの裏の顔。

 転送の魔術陣でのみ行き来できる秘密の地下室と、護衛兼、逃げ出した女の処理用に雇われた傭兵。そこに囚われた、元侍女の女達。繋がれた女たちはルイエルドの歪んだ欲望の捌け口。決して逃げられることは無く、ここで朽果て死んでいく。さながら牢獄。


「ルイエルド様」


 声は届いていない。水音と、男の哄笑に掻き消されて彼の耳には届いていないのだ。

 執事は小さくため息を漏らし、もう一度声を投げる。


「ルイエルド様」

「はぁ……ティアか。ハッ、お前も、愉しむ、か?」

「御戯れを。幾つかご報告に上がりました」


 ルイエルドは欲望を叩き付ける事を中断し、上半身を持ち上げた。引き締まった筋肉の表面には結露のように汗が吹き出し、光沢を生んでいた。厭らしく女の身体に手を這わせて身体を支え、犬のように口を開けて呼吸をする。

 頭の中で悪態の限りを吐きつつ、構わず報告を始める。


「まずガヴィアベル伯爵のレッド・リーフ農園の件ですが、滞り無く成功したようです」

「そうか、市場の、状況は?」

「上々です。小規模の農園は既に冒険者に依頼を出しておりますので、市場の独占も時間の問題かと思われます」


 へイエス・ゼン・ルイエルド辺境伯。彼が、裏社会でも重鎮である理由がそこにある。

 現在ファインスト王国の裏の市場に出回っている麻薬は、その多くがレッド・リーフと呼ばれるもの。具体的には、全体の二割を誇る上に生産が多く比較的安価だ。

 使用方法も、乾燥させた葉を煙草のように吸う方法が最も容易い。他にも経口摂取する方法もあり、手段を選ばないことが大多数の人気を集めている要因である。その赤い劇毒の内、約四割がルイエルド辺境伯領で生産されており、残りは各地の山賊やギャング。王国内の一部貴族といった形である。

 ルイエルドが市場の殆どを独占している。それはつまり、この王国の麻薬市場の殆どを独占することに他ならない。即ち、莫大な富を生む黄金の鶏の誕生だ。


「勇者の協力も一助となっているようです。まさに、ルイエルド様の計画通りかと」


 ルイエルドは呆けた顔でそれを聞きながら、一度だけゆっくりと腰を沈め再び浮かせる。


「それと、あれを指示通りに裏から流して暫く経ちますが、今の所何もございません」

「油断、するなよ。奴は、確実に、来る」


 腰の動きが段々と早くなっていく。それに呼応するように、女の悲鳴にも似た嬌声が部屋に響き始めた。

 香に耐え切れなくなって来たか、ティアと呼ばれた執事は苦虫を嚙み潰したような顔で肘裏で鼻を覆い隠した。


「承知いたしました。報告は以上です」

「……おい、最近お前、女の報告が無いらしいな。良さそうな女を、俺に報告する、のが、お前達の仕事だろう」

「……申し訳ございません」

「気を付け、ろ。次は無い。家族の事を、忘れるな、よ」


 ルイエルドの言葉に、ティアは何秒も間を開けてから口を開く。

 まるで、本当に口にしたい言葉を噛み殺しているかのように。


「畏まりました」


 仄かに頬を朱が差したティアは、快楽を貪る彼の主に対して深々と頭を下げながら静かに部屋を去った。明確な怒りをその端正な顔に浮かべながら。

 傭兵に軽く会釈し、来た道を戻っていく。


解除リリース


 紅潮した頬を隠すようにして退室した執事は、長い通路を戻りながら一言呟く。魔力の込められた詠唱。込められた魔法は即座に効果を発揮し、彼女の頭に覆い被さっていた魔力のヴェールを引き剥がす。

 折り畳むように纏められた長い髪が姿を表す。彼女が髪を取りまとめるバレッタ――挟み込む形で髪を取りまとめる髪留め――を取ると、水門を開けるようにばさりと長い髪が広がった。

 秘匿の魔法だ。普段であれば一切解除しないのだが、誰もいないこの長い通路は彼女に一息付かせるのに十分だった。

 ルイエルドに限らず、女が執事など許される事ではない。

 それでも彼女がこうして執事の格好をしているのは、自らの性別すらも隠し切った練達した魔術師である事を示している。

 ルイエルド家執事バトラーが一人、ティア・アコナイト。

 執事長に勝るとも劣らない最も優秀な執事の一人だ。

 魔法のヴェールが消え去ったのは髪だけではない。豊満な胸部が大きく膨らんでいく。苦しそうに伸びる生地を見かねて、壊れる前に彼女はシャツのボタンを数個外す。


「屑が」


 思わず漏れ出た呪詛に、彼女は思わず周囲を警戒する。

 無論長い廊下には誰もいない。この場所は限られた人間しか知らぬルイエルドの娯楽の場。人がいる方が問題である。今度に漏れ出たのは安堵のため息だ。

 このファインスト王国では決して珍しい話ではない。

 貴族に家族をただ娯楽の為に攫われて、無惨に殺された。そんな貴族相手に復讐を望む、残されたか弱き家族。

 ティア・アコナイトもその一人。


「この手で、ようやく」


 貴族とは読んで字の如く、貴き血族である。

 故に何をしようと咎められることは無い。

 道を歩く市民を馬車で轢く。森に放して狩りの獲物とする。肉片にして家畜に撒き、絞り出した血を美容と称して浴びる。そんな貴族は山ほどいる。であれば、復讐を決意する幼子は星の数程いるだろう。だが、実際に行動に移せる者は殆どいない。

 まず、分が悪すぎる。

 復讐にも様々な種類があるが、最初に考え付くのは暴力による復讐だろう。だが一市民と、私兵を従える貴族。護衛や刺客を雇おうにも、免税特権や貴族年金による圧倒的な財力を誇る貴族相手では、雇える者の質も異なって来る。

 もし、冒険譚のような力に目覚め、復讐を成す程の力を得たとする。今度市民を許さぬのは、法だ。

 自領において領地裁判権を認められている以上、法廷において市民には勝ち目がない。例え裁判官が公平な人選であっても、貴族の恐ろしさはその人脈にあると知ることが出来るだろう。それらを全て乗り越えて、ようやくスタートラインに立つことが出来る。


 ――とは言え、走れるとは限らないか――


 握り拳を形作り、そして気が抜けたように開く。

 必要なのは圧倒的な暴力と、法も我が身も厭わぬ覚悟。だがそれを持って尚、へイエス・ゼン・ルイエルドは殺せない。

 ルイエルドは非常に警戒心が強い男だ。生まれつき備わった素質なのか、元々は王国軍人として訓練した結果なのか、彼は人の感情の機微を鋭敏に感じ取る。警戒を欠かさない彼を相手にすれば、殺そうと決意した段階で捕縛されるだろう。

 だがそんなティアにも、一筋の希望が見えた。奇しくも、憎むべき主の策によって。


 ——本当に来るのか? あんな怪しい作戦で――


 ティアに詳しい事情は分からない。知る者は本人と、この邸宅の実質的な長である家令の二人のみであり、七人いる執事にも知らされていない。が、彼が何を待っているかは分かる。

 言ってしまえば、都市伝説上の存在だ。

 その逸話は数多く、しかして語る者は誰一人その正体を知らない。ファインスト王国の影なる刃、梟と言う猛禽。

 ルイエルドが何を企んでいるのか分からない。

 もし百歩譲って梟が存在していたとして、どうしたい。取り入れて手駒にしたいのか、それとも排除したいのか。

 ただ、困惑とは別に希望も見える。梟が本当に存在するのなら。その爪が向く先を動かせるのなら。


「いけない」


 強くなる灯りで、自分が思案耽り廊下を歩き切ったことを悟る。


偽装フェイク


 膨らんだ胸が萎み、折り畳まれた髪が消え失せる。女性としてのティア・アコナイトが消え、執事ティアが残った。

 とは言え梟には悪いが、正体も分からぬ畜生を待つ気はさらさらない。ましてや大事な大事な家族の仇だ。知らぬ相手に渡せる程ティア寛大でもない。

 ティアには独自の計画がある。圧倒的な武力をすり抜け、法の光が形作る影を通り、その刃で心臓を抉り取る計画が。そして、自分以外の誰にも、ルイエルドを殺させたりはしない。

 寧ろ、梟が紛れ込む混乱さえも利用して。

 転移の魔法陣を起動しようと魔力を高めようとした最中、頬が擽ったくなり思わず白い手袋越しの手で頬を撫でた。

 人差し指の腹が濡れている。

 感情が高ぶったか。何時の間に、涙が漏れていたらしい。知らずに涙さえ流してしまう程可笑しくなってしまった自分を自嘲し、同時にそれでいいと自分を諭す。その涙こそが、ティアをティア・アコナイトにする。その涙の為に彼女は剣を研ぎ続けているのだから。

 故に曇り無い黄玉に宿るのは、全てを捨て去り、一を得る覚悟。彼女が彼女を捨て去る決意。


「悲しそうね」


 だからか。彼女をどこか憐れむような凛々しい声は、彼女には届かなかった。下賤の身の言葉が、尊き耳には聞こえぬように。

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