第4話 ルイエルド辺境伯領の革命について
アイビーとリリーらが別れ一日と少しの時間が経過した。
場所は、麦の脚亭の二階。集まっているのは三人。リリー、プラム、そしてアイビー。三人の中心に置かれた木の丸テーブルに、プラムは背伸びをしながら紙束を置く。単純に、彼女の矮躯では届かない為である。
「報告は以上です!」
プラムの、と言うよりは娘たちの情報収集の結果を聞かされても尚、リリーの表情は明るくならない。アイビーの表情は元々変わらない。
「結局、差出人の正体は分からず仕舞い?」
「……たっ、大変申し訳――」
「あぁ、ごめん。責めてる訳ではないの、只の確認よ。あと、私が怒ってるのはこの石みたいなベッドであって貴女ではないわ」
麦の脚での寝心地は最悪。古いマットレスは弾力性の一切を失っており、座ろうと少しも沈む気はないらしい。と言うよりそもそも、長い年月を経て潰れてしまったのか。そのせいで、リリーは身体の節々を痛めていた。
「にしても貴女で駄目、ね」
娘たちは王国内では非常に高い実力を有している。その中でも、常に隊長不在の為実質的にプラムが指揮命令を行う次女隊「
だが、旋風は情報を集められなかった。となると標的の実力は、旋風よりも上と言う事になる。ただ、リリーはその事実をにわかには信じられない。
「リリー様のご期待に沿えず、申し訳ございません……」
「フフッ、素手で剣を折れなんて言わないわ。無理なものは無理でいいじゃない、別に何も悪くないわ。で、アイビー。分かってるわよね?」
「あぁ」
基本的にスカーレット家のリリー、娘たち、そしてアイビーによって梟の狩りは為される。
娘たちが情報収集。地盤を整え、アイビーが脚本を描くことによりレールを敷く。そこを堂々と闊歩する者こそ、リリーこと梟だ。
だが、今回は地盤が整っていない。その為アイビーも、それを前提として脚本を描く必要がある。それはまさに、眼を瞑って絵を描くにも等しい。
「全て織り込んで脚本を書きなさい。流石に、天下の
「言ってろ。お前は報酬の用意だけしてればいい」
アイビーはスカーレット家の所属ではなく、蔦の劇団の人間。利害の一致による協力関係だ。
とは言え、得られると思っていた情報は得る事は出来ず、手元にあるのは絶対的な事実。そして、娘たちが得たヴィエルジュ・ルージュが誰を経由してラグナー侯爵の手に渡ったかの情報のみ。アイビーは、これらの材料から脚本を書き上げねばならない。
「さてプラム。少し予想をしましょうか」
「予想、ですか」
「例の依頼。本当の差出人は誰で、目的は何だと思う?」
リリーがいたずらっぽい微笑みと共に出した問題に、プラムはさも玩具を見つけた子供のようにほくそ笑む。
「ふふーんリリー様! 私、最近こちらを読みまして……じゃじゃーん!」
「探偵グレシアシリーズ……? 何それ」
「王都で有名な探偵小説だな」
「へぇー」
超能力が当たり前の世界で頭脳は一流だが身体能力皆無の少女グレシアと、身体能力は一流だが頭の悪いローラスが、コンビで事件を解決する超能力ミステリー小説。最近は王都のトレンドを掻っ攫い、現在は三巻まで発行されている。旋風の一人、グレイプ調べである。
「こちらを読んだ私は、今や名探偵グレシアです! この私が、きっぱり当てて見せましょう!」
「どう、うちのプラム。可愛いでしょ?」
「否定はしない」
「私の自慢なの。可愛さで言ったら多分、誰にも負けないわ。勝った相手は消すし、普通に」
「では、状況を纏めましょう!」
材料は計二つ。
ルイエルド自身が書いた、ルイエルド殺害の依頼。そして、ヴィエルジュ・ルージュが誰を経由しラグナー侯爵の手に渡ったのか。この内、ヴィエルジュ・ルージュの経路に関しては娘たちが既に掴んだ。
「まず、ヴィエルジュ・ルージュは計五人の持ち主を経由している事が分かりました。ニューグ伯爵、デプロイ侯爵、ヴィアーレ伯爵夫人、ジュグア伯爵、ラグナー侯爵の五人です。あ、まずルイエルド侯爵には協力者がいるとします!」
「……因みに、協力者がいる仮定なのは何で?」
「リリー様を知ってるのに、自分で自分を殺す依頼をするなんてありえないですもの!」
「客観的視点が欠落したすい」
「黙ってなさい馬鹿男。プラムの推理を邪魔しない事」
少しの沈黙が満ち、プラムの推理は続く。
「そして私は、この五人にヴィエルジュ・ルージュの中に手紙を混ぜた黒幕がいると睨んでいます!」
「あら! 流石はプラムね……! その黒幕については分かったの?」
「いえ……ですが、私達が突き止めてみせます!」
「流石だわプラム。大好きよ。結婚しましょう」
「えへーそれ程でも」
「もう帰っていいか?」
「いいって言うと思う?」
何度か同じようなやりとりを交わし、プラムの推理ショーはこれにて閉演。リリーが簡単なお使いをプラムに求める事で、部屋からプラムが去っていく。同時に、部屋に満ちるのは倦怠感と僅かな緊張。
リリーとアイビー。二人だけの空間で、始まるのは本当の会議。
「で、リリー・スカーレット。どう見る?」
「まぁ、大方プラムの推測通りではあるんじゃないかしら。と言うより、実際はそれ以外の推理が現時点では不可能ね。とは言え、輸送の最中で混入した可能性は考慮すべきね」
現時点での材料では、確かにルイエルドは傀儡の可能性が高い。
梟に依頼を出す時点で、梟に対する裏社会の評価は嫌でも耳に入る立場にあると言う事。それを知って尚梟に依頼を出すと言う事は、ルイエルドが梟を舐めているか、誰かに操られでもしている以外に考えられない。
そして、ヴィエルジュ・ルージュに手紙を混入させた犯人もまた別だろう。
列挙された貴族たちはどれも王都に屋敷を持っている、もしくはルイエルド辺境伯から離れた場所に領地を持つ貴族。そのような場所から、ヴィエルジュ・ルージュを手間暇かけて移すのは考えにくい。
その上、その事実が判明した時点でそれぞれの屋敷や領地に出入りした人間も記録を辿っている最中だ。暫く経てば、更に正確な情報が手に入るだろう。
「まだ、推測の域を出ないか」
「それはそうよ。あら、アイビー様は分かるのかしら。とても凄いわ、是非聞かせてもらえる?」
「お前は皮肉を言わないと死ぬのか?」
「死ぬわ」
「あー……そうか」
重々しくリリーが口を開く。
「まぁここまではプラムが推理してくれた訳だし、私達が考えるのは次ね」
「……次はお前の番か?」
「フッ、いいわよ。問題はそれぞれの仮定通りに物事が起きたらどうなるか。ルイエルドが私を舐めている場合は別にいいわ。問題はもう一つ。ルイエルドが傀儡だったとして、黒幕の目的はルイエルドを殺したい人間。もしくは、私を罠に嵌めたい人間になるわね。でも、私を知ってるならばルイエルドが殺される確率が高い可能性も知っている筈よ。となると真の目的は、ルイエルドが死ぬ事」
「それから?」
「ルイエルドが死ぬことにより起こる事と言えば、帝国国境の防衛が一時的に緩む。あら大変。これでは、割を食うのは王国全体。得をするのは帝国。と、帝国に与する人物。例えばほら、情報を流してたりする人」
「帝国と内通してる人物が居ると?」
「だから現時点では可能性の範疇を出ないって言ってるでしょ? あくまで推測よ。ルイエルドが殺されれば帝国国境の防衛が緩む。私を運良く殺せれば、王国の牙が鋭さを失う。もし黒幕が帝国と内通していれば、どちらに転んでも得しかない」
リリー・オウル・スカーレットは王国への反乱分子を排除する王国の自浄作用のようなものだ。スカーレット家は家族それぞれが諜報や破壊活動を得意としているが、こと暗殺においてリリーよりも優れた存在はいない。
梟が成功すれば、曲がりなりにも王家より辺境伯として帝国国境の防衛を任されたルイエルドが死ぬことで防衛の網が緩まる。もし梟が失敗すれば、王国は裡に巣食う病魔を切除する手段を失う。もし黒幕が帝国に情報を流す存在であれば、どちらに転んでも利点しかない。
「それを込みで貴方は本書きなさいよ。出来るでしょ?」
「あぁ」
リリーの不敵な笑みに、アイビーは紅茶を啜りながら返したのだった。
さも石のように固いベッドを除いたとしても、麦の脚亭での生活はリリーにとって辛く苦しいものだった。
「不味くない?」
「お前なぁ……」
その日の夜。食卓に着いたのはリリー達一行の三人と、ラリクスの計四人だけがいる空間だ。
粗い削り出しの木のテーブルの上に燭台だけが置かれた少し暗い中、ラリクスの呆れたような表情を気に留めることはなくそれでもリリーはスプーンで手前から奥にスープを掬い口に運ぶ。
当然だが、大貴族の一家に名を連ねるスカーレット家では、専属の料理人を雇っている。普段食す料理も、様々な産地から一級品の食材を取り寄せた上、最高峰の腕を持つ料理人に調理させた最高の品。これ以上無いほどに舌が肥えているのだ。
彼女はスープの中から、少しとろけた塊をスプーンで拾い上げる。
煮た事により角が溶けているが、芋に似ている。とは言え、色と質感を見るに芋ではない。記憶の中に該当する物が無かったらしい。彼女はそれをまじまじと見つめ、高く掲げた。
「これは?」
「リリーネルの根だ」
「魔物の? 食べられるの?」
リリーネル。植物でありながら、生物を襲う魔物だ。
地面の浅い場所に花を開き、香りで寄って来た生物を袋状の葉で形成された罠で捕食する。食人植物とも言われる魔物だが、その危険度は野犬にも満たない。
「この辺りは元々群生地でな。案外その根が美味いって先人様が気付いちまったらしい。この辺ではよく食べられてんだよ」
「あの赤百合が食わず嫌いとはらしくない」
「アイビーは黙ってなさい」
「リリー様、本当ですよ? 私の地元でも、リリーネルは畑で栽培していました! 害獣が勝手に食べられてくれるから、手入れも要らなくて楽なんですよ!」
隣でバクバクと根を口に放るプラムの言葉で、ようやく警戒を解いたらしい。
王国では農民に対してのみ租税が課せられる。所謂、物納。収穫した農作物の一部を、国に収める事となる。無論麻薬や、一部の作物はこれに該当しない。一般的に収めるのは麦や蕎麦といった広域で育てられている作物であり、あまり広く膾炙していない作物は収める事は出来ない。
ただその割合は六割であり、広大な畑でも有していない限りその残りだけで生活を営む事は難しい。
だからこそ、税として収めることができないという点を逆手に取って農民はその土地特有の作物に手を付ける事がある。このリリーネルもその内の一つだろう。
「文句言うなら食うなよ」
「あら、いい女ってのは食事に文句を付けても食材に罪がないことを知っているものなのよ。出された物は決して残したりはしないわ」
「そうかよ。じゃ、虫でも出してやろうか」
「別に構わないわ」
「冗談……は?」
思わぬ言葉にラリクスの動きが止まるが、直ぐに納得する。嫌味のつもりで言ったが、彼女ならば食べ兼ねない。
「あら、以外と美味しい」
彼女は舌鼓を打ち、嬉しそうにスープを平らげたのだった。
***
ロンデイルの、少し外れた位置にある広間。街からここ程遠ければ、叫んでも声が聞こえる事も無いだろう。
世界で最も美しいという言葉が、唯一世辞にならない女。
今夜は純白のネグリジェ姿らしい。リリー・スカーレットの影を見つけたアイビーは、彼女の下に歩み寄りながら周囲の異様な雰囲気を感じ取る。
広間中央には、二人の人影がある。
片方はホワイトブロンドのサイドテール。柄頭に鎖が結ばれ、それぞれを繋いでいる鋭利なフィレナイフが両手に光る。背丈は低く、子供と言っても差し支えない上背だ。
もう片方も同じような背丈であるが、決定的に異なるのは得物。紅茶色の髪に、犬の耳と尾を垂らす彼女は何もその手に持っていない。全くの徒手空拳であり、金髪の少女と渡り合うのは難しいだろう。
こちらの方はアイビーも見覚えがある。いつもリリーに付いて回っている側近、プラムだ。
そして広間の周囲、この一戦を観戦するような気配がある。
気配があるのみで、実際にその姿をアイビーに確認することは出来なかった。然し確かに、大勢がこの戦いを見守っているという感覚だけが感じ取れる。確実にこちらを見ている筈なのに、その姿を視認することだけが出来ない。
成る程、とアイビーは唸る。
娘たちが二の隊、「疾風」。彼女たちの隠密能力は、ここまでなのか。と。
「探したぞ」
声を掛けると、リリーは軽く振り返り声の主の顔を確認しただけで、再び観戦に戻る。アイビーはその隣に並び立ち、腕を組みながら同じように広間の中央に身体を向けた。
「愛の告白でもするつもり?」
「してやろうか? 本が書けた」
懐から取り出した紙切れには、びっしりと虫のような走り書きが記されている。リリーは差し出されたそれを受け取り、軽く目を通す。
「ハッ、私達が神の代わりを? 少し傲慢じゃないかしら。まぁ、女神の如き美しさなのは否定しないわ」
「傲慢はお前程じゃない。俺達が信じ込んでいる奇跡など、偶然の累積過ぎん。奇跡は起こせる。神託は、俺達でも与えられる」
リリーは「そう」、と頷くと小さく折り畳み胸の谷間に押し込む。
「……何でも入るのか?」
「まさか。小物だけよ」
ナイフ、ハンカチ、蝋燭、白い液体が入った小瓶が乳房の間から出てくるのを実演したところでやめさせる。
「あら」
フィレナイフが交差されると同時に、持ち主に掌底が突き刺さった。
素手と金属が衝突したとは思えない衝撃音が木霊する。
衝撃を殺し切ることは出来ず、金髪の少女の身体が浮き上がる。その隙を見逃すプラムではない。慌てて飛び退く少女に一歩だけで間合いを詰めると、今度は掬い上げるようにして蹴り上げた。
抵抗する間も無く、彼女は上空へ浮かび上がる。
「プラムと?」
「フェンベリー。うちの子よ」
苦い顔をしながら、フェンベリーがフィレナイフの片方を空中からプラムに投げる。
ナイフの切っ先は寸分違わずプラムの眉間へ。然し、彼女は半身になり容易くそれを回避した。
標的を失ったナイフが勢いをそのまま、石畳の隙間に突き刺さる。
しなる鎖が、ぴんと張られた。
フェンベリーが空中で鎖を掴み、運動エネルギーを急速反転。身体は一気に墜落し、プラムの下へと。
矢を番えるように拳を握り締め、弦を引き絞るように腕を引き、落下の勢いを利用してプラムを殴り飛ばすポーズを取る。
「上達しましたね!」
快音が鳴る刹那、プラムが自分に迫る刃を肘で撃ち落とした。
「ほう」
清々しい程笑顔のプラムと、歯を食いしばり憎悪すら感じ取れる表情を浮かべるフェンベリー。
傍らから見ていたアイビーは、何が起こったのかを脳内で反芻する。
地面に刺さった片方のフィレナイフ。その鎖を掴み自分を手繰り寄せると共に、掴んだ箇所を支点にもう片方のナイフを操りプラムに向けたのだ。
常人であれば、そのまま自由落下の勢いを利用して殴り掛かるフェンベリーに意識が向き、死角から迫る刃を防ぐことは出来なかっただろう。だが、プラムは常人ではない。
「はぁ……負けたわ」
「ありがとうございます!」
敗北を宣言するフェンベリーを前に、プラムは元気よく頭を下げ腰を直角に曲げた。ふと、リリーがニヤけ顔で自分を見ていることに気付く。
「どう? うちのプラムは」
「流石は娘たちの副隊長だ。決して敵に回したくはないな。無論、フェンベリーとやらもだ。正直相対せば、一秒も持たせられる自信が湧かん」
「あら、私達はそんなに優しく無いわよ」
おどけるように、アイビーは両手を広げた。
暗に、裏切れば粛清するとでも言っているようだ。確かにスカーレット家の深部で情報を握るアイビーには、娘たちの中でも選りすぐりの兵が差し向けられるだろう。
旋風は、本来非戦闘員。戦闘を生業とする隊を相手に、アイビーがまともに戦える可能性は皆無だろう。
「言いたいことは言った。俺は寝るぞ」
「お好きにどうぞムッシュ。私、夜は好きなの」
フェンベリーが下がり、違う隊員がプラムの前に。戦闘訓練は、これ程夜が更けてもまだ続くらしい。
ひらひらと笑うリリーを前に、アイビーは広間を背にした。
時は経つ。何度か昼と夜が通り過ぎ、そこはロンデイルの街道の一つ。
華美な装飾の施された馬車が、颯爽と大通りを駆けていく。
ルイエルド辺境伯領は隣国、ルシナル帝国に面している影響で王国の中でも人口密度が高い傾向にある。当然、大通りなど帝国からの旅人や観光に訪れた王国民で溢れかえっているのだ。だが、馬車は一切止まらない。高々と掲げられた旗を見て、道を開けない者はいないからだ。即ち、ルイエルド辺境伯領が主、へイエス・ゼン・ルイエルド辺境伯の馬車を見て。
馬車を引くのは八脚の馬二頭。スレイプニルと呼ばれる魔物の一種だ。非常に温厚で、神話では神々すら背に乗せたと言われるこの魔物は、人里から遠く離れた地域に生息することが多く存在自体が珍しい。それを従えている事は即ち、所有者の圧倒的な権力を喧伝する。
白を基調に赤と金で装飾された馬車の車体は、王国でも有名な職人が手掛けた一級品。緻密に計算された車輪は揺れを限りなく少なくし、車体部分と接続するサスペンションに付与された魔法により、車内は一切揺れる事は無い。
他にも装飾や、内部の座席。手綱に御者。合計すればその金額は平民の生涯的な収入額を、桁二つ以上は上回る。
「上玉揃いだな……」
車内、ふんぞり返った巨躯の男が一人。にやけながらそう零した。
服装自体は一般的な貴族の装束。白を基調とし、金や赤などで装飾された華美なものだ。ただ、上半身は彼の自己顕示欲を表すように、引き締まった上半身を見せつけている。下半身は一般的なもののそれだが、少しサイズが小さいのか筋肉の形が浮き出ていた。
無造作に毛の生えたその腕は、両隣に座る町娘に伸びていた。その豊満な双丘を、玩具のように弄びながら。羞恥と痛み。それと、思考を埋め尽くす様な嫌悪感に顔を歪める女の頬に満足そうに視線を落とすと、再び胸を揉みしだく。
「へイエス様。今日のご予定はどうしましょう」
「どうしましょう? 決まってるだろう、いちいち言わせるな」
語気を強めたルイエルド辺境伯の向かいに座っていた若い男の執事が黙り込む。その隣に座る三人目の娘は、絶望の表情で俯いていた。
ルイエルドの辺境伯には悪い噂が多い。特に、女漁りに関しては。
街中の美しい淑女を攫うようにして連れ込み、侍女として召し抱える。だがその実態は、見ての通り欲望の捌け口だ。
馬車に居る三人の少女もそう。 三人とも、生れも育ちもルイエルド領内。大切に育てられ、つい先程まで大貴族であるルイエルドに仕える事を、幸運だと思っていた町娘。
ルイエルドの右隣、ブロンドヘアの美しいシュシュは既に交際して三年の相手がいる。お互いに婚約を考えており、両親への挨拶も済んだ後。一般的に貴族に仕える事は喜ばしい事。昨晩は嬉々として、誇らしい仕事に就いたと話した。
左、ブランカは明るい少女として親しまれ、将来は家の稼業を継いでパン屋になる事を夢見ていた。美味しいパンを焼くことを何よりの悦びとし、それらを貧民にも分け与える笑顔の絶えない心優しい少女だった。
最後のアズリーは何よりも平和を愛する若き文学少女である。ルイエルドの図書館だけでなく王都王立図書館にも足繁く通い、いつかは作家になる事を夢に日々ペンに筆を走らせていた。
執事は裾に隠した小さな紙片に書かれた情報にざっと目を通す。
流石は深紅卿の娘たち、と執事は素直に感心する。蔦の劇団も含め、王国で根を張る諜報組織は数多くいるが、ここまで誰にも知られておらず。そしてここまで正確な情報を得る事の出来る組織は片手で数える程度しかいないだろう。
「失礼しました。ではそのように申し伝えておきます」
「あぁ。……どうだ、お前も楽しむか?」
「ありがとうございます。光栄ですが、その者らのような美しき者を恣にすることこそ、名だたる大貴族であるへイエス様の特権でありましょう。私には資格が足りません」
音を立てぬように懐中時計を開く。侍女のスカウト、もとい女の収穫は一切の滞りなく進んでいる。そろそろ予定の時間になるだろう。蔦の劇団が演じていた、ルイエルドの執事という役をアイビーとリエールは交替。全員が変装の達人であることが、蔦の劇団の利点だ。
この計画の懸念点は一つ。
ルイエルドは曲がりなりにも大貴族。敷地内にも屋敷にも室内にも、物理的魔法的両方の防犯設備が施されているのは必然。幾らリリーとは言え慢心は無い。万全を期して望むのならば、梟は警備をすりぬける準備をする必要があった。
そこで生じた問題は、どのようにしてリリーが潜入するか。
リリーはこと暗殺や戦闘においては優れた技術を有しているが、変装や破壊工作に関しては一般人よりも少し巧い程度。つまり、アイビーのように人を騙して潜入するようなことは難しい。
だからこそ、リリーはリリーである事を最も生かす方法を取る。
さて、稀代の好色家であるへイエス・ルイエルドが、あの魔性の女を前に理性を保っていられるだろうか。
馬車は一度速度を落とし、方向を変える。
景色を見るに、ロンデイルのメインストリートの一つ。ディエル通りに差し掛かったのだろう。へイエスの屋敷へと向かう、最後の大通りだ。
この速度でいけば、通りの二番地に――。
「ん?」
馬車がゆっくりと止まる。本来は無い事。同時に、あってはならない事でもある。異変に気付いたのは勿論執事だけでなく、ルイエルドも女を弄んでいた手を止め、御者台が覗ける小さな連絡窓に怒号を投げる。
「おい。何止まってる!」
「そ、それが……」
怯えて声の小さな御者と会話していては、へイエスも苛立つだろう。そうなると、この少女達に八つ当たりをし兼ねない。窓から顔を出し、前方の様子を確認する。無数の人だかりができているようだ。何かに夢中になっているようで、そのせいでルイエルドの馬車に誰も気付いていないらしい。
溜息を噛み殺す。
執事は嫌いだ。脚本を書く彼は、予定の無い出来事が、何よりも。
「見て参ります」
「待て、俺も行く」
「……なりません。危険です」
止めはするも、自尊心の高いルイエルドだ。勝手に付いてくることだろう。
これで暴徒にそのまま殺されてくれでもすれば、手間が省けて楽なのだが。そんな事を考えつつ、執事はルイエルドの為に馬車の扉を開く。ルイエルドの身体を自分の身体で覆い隠すように護衛をしつつ、人だかりの方へと歩みを進める。
よく見ると、集まっている群衆の殆どは男だ。所々女もいるが、男達とは熱量が違う。
執事は既視感に眉を顰める。どこか見覚えのある光景だ。こういった状況を、最近よく見かける気がする。
「あは、あはは。え、次はこっち? あ、あの……そろそろ開放してくれませんかぁ?」
そこには、継ぎ接ぎの古い服。パン入った木で編んだ籠を手に持ち、困惑しながら人だかりから投げかけられる声に応えている女がいた。
「お、おぉ!!」
「はぁ……」
思わず悶えるへイエスと、溜息を零す執事。
アメジストのような瞳に、金糸雀の翼を彷彿とさせる艶やかなプラチナブロンドのロングヘア。
白磁のように白い肌に剥いたゆで卵のような滑らかな肌には、絵画のような顔がある。全ての顔のパーツを、全て完璧な配置に乗せたような美貌。美の神として造られた彫刻は各国にあるが、そのどれも彼女には敵わないだろう。
正しく彼女が、彼女こそが女神。
「あの女だ……! あいつも連れて行こう!」
無論、町娘に扮したリリー・オウル・スカーレットである事を知っているのは、溜息を零すバトラーただ一人だ。
所変わってルイエルドの屋敷の屋根に、一人の影が降り立つ。
吹く風に暗い紫のポニーテールを揺らし、眠そうな目で煙を吸いながら敷地内へ入って行く馬車に見下ろし、金色の懐中時計を覗き込む。
「……」
現状は計画通り。
主であるリリーと、アイビーは計画通りの役を演じている。直上の上司であるプラムや隊長も仕事に就いている。彼女の役目は、合図を出す事のみ。それが、
貴族の暗殺となるとそれなりに大掛かりだ。情報収集は徹底、準備も万全、筋書きも複数用意してある。それに今回のルイエルド辺境伯の暗殺。キナ臭い部分も多い。
「どう転ぶんスかね……」
彼女は下っ端。考えても、仕方の無い事だ。
何処かで見ているだろう同僚に手を振り合図を送る。何も見えない。スカーレット家が、ひいては王国の行き先が。ファインスト王国の歴史は古い。五大貴族の一つである、スカーレット家の歴史もまた同じ。だが、高い塔こそ倒れ易い。先の見えない不安に漠然とした不安を抱く。
だとしても、することは変わらない。仕事は仕事、かの赤百合に従順に、敬虔に仕えるのみである。紫色の水晶が泡立つように手元から湧き上がる。角ばった結晶は徐々に角が取れ、丸みを帯び、仮面の形へと変化していく。
魔法、あるいは魔術。古より伝わる秘術。
ファインスト王国だけでなく、イルカディア大陸にある全ての国家は魔法を利用して発達を遂げて来た。勇者と呼ばれる存在が天から注ぐ光を剣とし、賢者と呼ばれる存在が星を墜として。魔素に適応した凶暴な動植物である魔物を退け、土地を拓き、国を治めた。だが魔術を扱うのが英雄と呼ばれる存在だけとは限らない。
「さ、始めるっスよ」
既に潜入していたプラムに異変が生じる。プラムだけではない。馬車から降ろされたリリーとアイビーにも。外耳道に根が伸ばすように、紫色の結晶が生えた。
それは発生と同時に振動し、規則的に空気を震わせる。
たかが振動。だがその規則的な振動に、予め意味を持たせておいたのだとすれば。それは立派な言葉となるのだ。
計画は一切の滞りなく進んでいる。
リリーは無事に侍女として屋敷に連れ帰られ、侍女としての教育を受ける。勿論それは一般的な侍女ではなく、ルイエルド辺境伯の侍女としてのだ。
ルイエルド知らないだろう。自ら猛獣に首を差し出したことを。
彼女の役割は暗殺の実行、そして標的の警戒心を緩める事。一般的な家事や身の回りの世話は勿論のこと、夜の相手も担う事もある彼の侍女という立場は、ありとあらゆる警備装置をすり抜けて最も警戒心を抱かれること無く彼の側に近付くことができる。そして、女としての魅力を魅せる事は彼女が最も得意とするところだ。
リリーが標的を狙う狙撃手なら、アイビーは風を読み距離を測る観測手。執事として潜入しつつ、リリーが最も効率的に任務が遂行できるように危険や障害を排除する。
リリーとアイビーが目線を交わす。振動の合図は、潜入の開始を表している。
「我が主がご無礼を致しました。大変申し訳ございません」
豪奢な馬車から降り、出迎えの給仕に連れられ屋敷に入って行くルイエルドを見送った後、アイビーは連れて来られた侍女候補に謝罪した。
既にリリーも含めた四人は嫌悪感を露わにしている。この時点で既に、窓から覗く数名の忠実な従者による視線を知覚しているのはリリーのみ。ただ、自分に待っている運命だけは全員が悟っている。
帝国と王国の国境を守る辺境伯であるルイエルドは、他の王侯貴族と比べて情報が少ない。理由は何故か、単純明快。辺境伯として、彼は一時的な国防が可能な程の手勢を有している。その為、情報が洩れる前に情報源を処理することが出来る。
「娘たち」の調査の結果、このルイエルド辺境伯領で頻繁に死を伴う事故が発生している。検死の結果、遺体の主は全て若い女性。検死しなければそれが分からなかったのは、どれも悲惨な状態で男女の区別すら見分けにくい状態で発見されたからだ。
加えて蔦の劇団による情報で、ルイエルドには極めて危険な嗜虐癖があるが分かっている。殴る、蹴るの暴行は日常茶飯事。泣き喚き、逃げ惑う女相手に筆舌に尽くし難い行為を好む。
こうも要素があれば想像は難くない。
「これより皆様がこれから暮らすお部屋をご案内いたします」
そうして四人は屋敷に入って行く。リリーは一度立ち止まり、風に漂う鳥を眺める。そして、追い付くために小走りで屋敷の扉に滑り込んだ。
青い空を、白い鳥を、徐々に昏い鈍色の雲が覆い尽くしていく。
まるで悍ましい社会の現実を、そのまま映し出すかのように。
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