第3話 ルイエルド辺境伯領の革命について

 ルイエルド辺境伯領北東、ロンデイル。

 その街に、からからと乾いた音を響かせながら入ろうとする荷馬車があった。

 栗色の毛の馬が規則的に蹄鉄を鳴らし、鬣を揺らしている。解れた鬣には所々にゴミが付いており、手入れはあまりされていないようだ。

 荷馬車の御者台に座るのは、古ぼけた服を着て帽子を目深に被った中年の男。彼は力の抜けた人形のように、気怠げに手綱を握る。そして、時折その綱を跳ねさせた。

 荷台にあるのはいくつかの大きな瓶と、盛り上がった布。瓶の内部には荷馬車の動きと共に、揺れている白濁した液体がある。盛り上がった布の隙間から僅かに見えるのは、さらに何かを何重にかくるんだ布だった。

 しかし、載せられているのは荷だけではない。


「もうすぐだからね」

「うん、お姉ちゃん」


 身を寄せ合い、そう呟く少女が二人。どうやら姉妹のようだ。どちらもフードを被っている。姉の金糸雀の翼のような黄金は腰まで届くほどに長い。そして妹の方は、肩に掛かる程度の短さの飴色だ。どちらの方も乱れ、手入れはされていない。

 然程珍しくない光景だ。

公共交通機関として最も一般的な馬車だが、今一頭と荷車の値段は庶民にとっては手が出ない。

乗合馬車もあるにはあるが、それなりの値段が掛かる上に行き先によっては便数が少ない。

なので、商人や農家など既に馬車を持っておりその上目的地が一緒の者に、積み荷と一緒に相乗りするのだ。相手にもよるが、これならば格安で街と街を移動することが出来る。とは言え、乗り心地は保証されない。


「……」


 手綱が跳ね、馬が停止する。ロンデイルへ入る為の白い門に差し掛かったからだ。

 甲冑を身に着けた騎士が兜を脱ぎ脇に担ぐと、その手に持つ槍の石突を自身の存在を示すように地面に叩き付けた。

 騎士は男と、荷馬車に乗る二人の女の風貌を一瞥すると、途端に厭そうな表情を浮かべる。


「……何しに」

「牛の乳を売りに」


 男の言葉を聞いた騎士は面倒そうに溜息を零すと、馬車の横手に回り込み荷馬車に積まれた瓶を覗き込む。そして、睨むようにして女二人に目線を映した。


「お前らは」


 態度が悪いのは、王国の格差社会が原因だ。

 騎士はルイエルドの直下の兵士であり、帝国国境を防衛する戦力だ。対して男は馬車を引いている上、牛乳を売りに来ている事から農家だと分かる。ただ、女二人に関しては完全に浮浪者の風貌。その為、態度が悪くなるのも仕方のない事。これを責めるならば、王国の身分制度から話を始める必要があるだろう。だから、女二人は気分を害さない。


「親が死んだので、働きに」

「当ては?」

「ないです。でも、お金は少しあるので、通行税は払えます」


 姉がハキハキと受け答えするのを、妹は怯えた眼で見つめていた。

 騎士の表情が少しだけ和らぐ。優しい表情、ではない。例えるならばそれは、自分に利益があると判断した時の利己的なもの。


「そうか。なら一人銀貨四枚だ」

「え、二枚じゃ……!」

「お前らみたいな汚い奴を通すと街が汚れる。だからだ。」

「で、でもそんなにお金は」

「あるんだろ!? 早く、出せ」


 今にも剣を抜かんとする騎士の語気の強さに、姉の悩みは短かった。だが、懐をまさぐり取り出した小さな革袋を、騎士が手早く奪い取る。騎士はそのまま革袋の紐を緩めて中を確認。そして、その中でも輝きが際立つ者を選んで抜き取ると、革袋の紐を締める事はせずに女に投げ返す。

 慌てて姉が革袋を確認すると、血の気が引いたような表情を浮かべた。当たり前だ。抜かれたのは銀貨八枚ではなく、十枚だったのだから。


「そんな……!」

「迷惑料だ。おい、お前は銀貨二枚だ」


 男から差し出された銀貨を奪うようにして受け取ると、騎士はようやく道を開けた。

 手綱が波打つ。栗色の毛の馬が嘶きと共に歩き出し、カラカラと車輪が鳴った。

 ロンデイルに入った馬車は数十メートル進むと、男は馬車を街道の端に寄せて再び馬車を止める。

これにより衛兵を罰する規則が無いため、多くの街では衛兵によるこのような私的な通行税の追加徴収が罷り通っている。さして不思議なことではない。


「ありがとうございます」

「……ありがとうございます」


 少女たちが覚束無い足取りで降り、男に対し深く頭を下げた。男はやはり口を開くことは無い。さも何も無かったかのように少女たちの礼を無視し、再び馬車を走らせた。広い街道に消えていく荷馬車をどこか遠い瞳で眺め、少女たちは歩みを進めた。煤で汚れたスカートを地面に擦らせ、路地裏へと歩みを。

 もし、馬車がロンデイルに入ってから一切目を離す事無く彼女等を監視する者がいたとしても、その行動は不思議ではなかった。

 荷馬車に乗せてもらう貧しい村娘の姉妹。少女たちは生きる為だけに、この大都会ロンデイルに訪れたのだろう。と。少女たちは歩みを進める。大通りから外れ、次第に人通りの少ない路地へと進んでいく。やがて立ち止まったのは。


「……もしかして、お客さんかな? お嬢さんたち」


 店先の土埃を箒で掃いていたバーテンの格好の青年が、その手を止めて不思議そうに尋ねた。

 普通は思うものだ。店の前で止まるということは、その店に興味があるという事だと。ただ、素直に青年がそう思わなかったのには二つ理由がある。

 一つ。その店が、酒類を専門に扱うバーであるということ。

 王国の法では、酒による健康への被害を憂慮し十五歳未満の飲酒は禁じられている。それを知らぬものは少ない。尚、守っている者も少なくはあるのだが。とは言え上の少女はともかく、妹だろう少女の背格好は十歳前後のそれだ。そんな少女を連れて、このようなバーに来ることは考え辛かった。


「はい」

「……そうですか。どうぞ」


 不思議そうな表情はそのままに、青年は店の中へと少女たちを促す。

 朽ちかけた茶色い扉。外れかけた鉄のドアノブ、割れた窓、転がる古い酒瓶、蜘蛛の巣は大きい。

 踏むたびに異音が軋む階段を上がり、少女たちが扉を開ける。

 この酒場はロンデイルでも有名、という訳ではない。佩いて捨てるほどある酒場の一つ。だが、この酒場には裏の顔があった。そう。青年が少女たちを客かどうか決めあぐねた理由、そのもう一つは即ち。


「おう嬢ちゃん! こんなクソみてぇな酒場に何の用……。あぁ、別の仕事相手かよ、血腥い猛禽サンよ」


 少女たちは既に、フードを下していた。

 金の髪を手櫛で搔き上げ、その端正な顔を見せつけるように酒場の最奥の大男と目を合わせる。


「あら、随分嫌そうね。ここにいるのは傾国の美人よ?」

「自分で言うか、厚化粧」

「事実だもの。言葉で、宝石で、嘘で、男で、知性で、化粧で、恋で、着飾るのが女って生き物なの」


 艶めかしい薄桃色の唇を、彼女はその白い指でなぞる。

 大男は無視するようにして店の奥、従業員用の休憩室へ。それに続くのは、最早正体を明かしたリリー。それと、プラムだ。

 休憩室にて大きな木の机を囲むと、紫煙がとぐろを巻き始める。リリーもだが、大男も愛煙家だ。


「で、何の用だ?」


 大男は机に脚を載せながら煙を吐き出す。脚を組んで煙を味わっていたリリーは、その言葉に面倒くさそうに告げる。


「何って、仕事よ」

「んなことここに来た時点で知ってるわ。俺が知りてェのは、お前が俺に何を依頼しに来たのかってことだよ」

「少なくとも……――」


 いつの間にやら、プラムが淹れた紅茶を一口啜る。

 手に持っていた湯気の立つティーカップを、彼女は静かに置いた。そして、取り出したパイプに口を付けると、口を尖らせて大気汚染に加担する。


「貴方を訪ねた時点で仕事の種類としては分かっているのではなくて? ルイエルド辺境伯領一の情報通、ラリクス・ケンプファリ様?」


 絶世の美女の唇の動きに、大男ことラリクスは、まるで黒板を爪で引っ掻いた音を聞いたように身を縮こまらせた。

 リリー・オウル・スカーレットによる暗殺は緻密な計画の下行われる、いわば精密なボトルシップのようなもの。故に、下準備は欠かせない。

 彼は、元黄金等級という確かな実力を持つ冒険者にして、現在は冒険者時代の伝手を駆使して手に入れた情報を金銭を対価に提供する情報屋だ。リリーとは、裏社会を通じて顧客として繋がった。

 因みに冒険者とは、いわゆる何でも屋である。街の掃除から傭兵、魔物退治までこなす。冒険者はギルドにより実力に応じた等級により管理されており、ラリクスのそれは上から数えた方が早い等級だ。

 誰もが羨む立ち位置だ。情報を教えるだけで巨額の金が手に入り、尚且つ王国どころか大陸随一の美女であるリリーと会話が出来るのだから。

 ただ、その美しい仮面の下を知っている彼は、彼女に鼻の下を伸ばすことは無い。無論元々はそうだったのだが、贅沢なことに人は慣れる。

 どれだけ美しい薔薇であろうと棘の鋭さを知ってしまえば、触れる事を躊躇ってしまうもの。月は、遠くに在るからこそ美しい。


「カッ、名前で呼ぶなよ。鳥肌が立つ」

「あら、私に名前で呼んでもらう権利は、宝石と同じ値段で取引されているのよ。光栄に思うことね」


 闇オークションでは、何者かの出品によりリリー・オウル・スカーレットの落とし物が幾度も競売にかけられている。毎度、最終金額は高級帆船や巨大な宝石と並ぶことも珍しくは無い。

 落とし物を手にすれば、届けに行くという口実が生まれる。そしてリリーの優しさは貧民であれど尊き生まれであろうと、貴賤は無い――。


「御託はいい」


 ラリクスのその言葉を合図にしてか、今まで美味しそうに煙を味わっていたリリーの表情が変わる。


「……へイエス・ルイエルド辺境伯に関する情報が欲しいわ。所持している軍事力、資金力、最近の言動に、寝る前のルーティーン。使用人の身体の黒子の数まで」

「高く付くぞ。お前も知ってんだろ。ルイエルド家は表社会では重鎮だ。それを探ろうってんだから、お値段は張るぜ?」

「報酬はいつもので構わないわよね。私という絶世の美女の情報が、どれだけの黄金に姿を変えるかは貴方もよく知っているでしょう?」


 この怪しい女に絆されない男が、この世界に一体何人いるのだろうか。確かに彼女ならば、吐いた唾にすら値段が付きそうだ。

 ラリクスは紫煙をくゆらせるリリーを眺め、漠然とそう思った。

 ここはロンデイルが、麦の脚亭。

 スカーレット家はその稼業故、王国内外問わず多くの拠点が存在している。この酒場も彼女等の手が及んだ、ロンデイルでの活動拠点になる場所だ。


「……成程。プラム?」

「はい。娘たちの情報と一致します。間違いはないかと」


 買った情報を聞き入れたプラムが、激しく頷きながらリリーに告げる。その一連の様子を眺め、不満げにするのはラリクスだ。


「俺としては、何でお前らが俺と同じ程度情報を集められてんのかが気になるね」

「だって」

「優秀な部下のお陰です!」


 笑顔でそう告げるプラムに、ラリクスもこれ以上追及するようなことはしない。パイプの煙を消し去り、おもむろに立ち上がる。


「部屋は二階を使え。空き部屋だ」

「貴方は?」

「心配しなくても別に家があるよ」

「あら、その逆よ。抱かせた程度で一生無料で情報を提供してくれるなら、全然構わないのに」


 ラリクスはその言葉に一瞬だけ立ち止まり、そして部屋から去った。


「俺はお前の犬は御免だね」

「フフッ、大事に撫でてあげるのに」


 その表情に劣情が見え隠れしていることを知ってか知らずか。悪戯っぽく告げるリリーから逃げるように、ラリクスは従業員用の休憩室から消えていく。残ったのはリリーとプラムの二人だけだ。


「結局、ヴィエルジュ・ルージュと依頼に関しての謎は分からず仕舞いね」


 ラリクスから齎された情報は基本的な情報だ。ルイエルドの行動パターンに、彼の部下について。屋敷の構造や、街の人間からの心象。確かに暗殺には役立つ情報だが、リリーが欲しかった情報ではない。


「あとはアイビー様が……」

「あら、あいつ今日はもう来ないわよ」

「へ?」

「……言ってなかったっけ。彼、今はルイエルドの執事よ」


 牛乳を運んでいた荷馬車はリリー等と二人と別れたその足で、馬車を手繰りある場所へ向かう。

 ロンデイルは交易都市だ。その街道は広く長く、馬車同士が並んですれ違う事も容易い。その中、男は迷いなく進んでいき、やがて街道の橋によって止まる。

 馬を落ち着けて馬車を降りる。

 ファインスト王国には古くから伝わる義賊集団がいる。その名も、蔦の劇団スウィ・ル・ギィ

 その構成員はさも木々に生い茂る葉の如き数を誇り、それは王国の至る所に蔦を伸ばしている。全員が全員演技と変装の名人であり、ある者は王国軍の将校。ある者はメイド。ある者はパン屋。商人、傭兵、騎士、浮浪者の中にも。富める者から奪い取り、貧しき者に渡す為に。

 そしてその蔦は無論、ルイエルド辺境伯領にも伸びている。


「やぁアイビー」


 雑踏の中。誰か一人が立ち止まろうと、不自然に思う者はいない。その為、アイビーに話しかける女を怪しむ人間もいない。


「お仕事ご苦労様だね」

「リエール、御託はいい」

「おいおい。折角迎えに来た私に、随分と薄情な言いようじゃないかね。まぁいいけどね」


 艶のあるキャラメルのような髪の女。長い前髪は左側に片寄っており、群青色の瞳を隠している。顔立ちは穏やかで、その美しさは神秘的と表現するのが最も似合う。服装は、農家の娘と言った出で立ちだ。長袖と長ズボン。頑丈そうなつなぎに、つばのある帽子は正直に言って彼女には似合わない。


「お嬢様の所はどうかね?」

「悪くない。良くも無いが」

「あはー楽しい癖に、相変わらず素直じゃないねー。さてさて、私が交代するね」


 彼女が前髪を掻き上げると途端に、雰囲気が変わった。ミステリアスな美女から、明るく元気な少女に。

 これならば、彼女の服装も似合う。彼女は髪を帽子の中へ入れた。

 服装が変わったところで彼女は折り畳んだ一枚の葉をアイビーに手渡すと、入れ替わるように御者台に乗る。アイビーも、特にそれを咎めようとする様子はない。それが当たり前と言わんばかりに。渡された髪を懐に突っ込む。


「では失礼するね」

「庭師は?」


 蔦の劇団は義賊とは言え、直接的な盗みを働く集団ではなく。各地に忍ばせた団員により得た情報を売る、大規模な情報屋集団だ。

 彼らは何処にでもいる。例えば、ルイエルドの執事の中にも。

 アイビーの問いに、女は少し面倒そうな顔を浮かべる。


「……読んだんだよね?」

「いや」

「読んでから聞いてよね、せっかちさん。材料を先に並べて置くタイプ? 洗い物増えて面倒じゃないかね?」

「作ってる最中に無いと困る。いざ手元になかった時どうするんだ?」

「そこはほら、臨機応変な対応。って奴だよね。……君皮肉だとよく喋るよね。詳しくは読んでよね。私はもう行くからね」


 手綱を手繰り、馬車が発車する。アイビーはそれを暫くの間眺めていたが、やがて雑踏に紛れるようにして歩き始める。歩きながら紙片を開き、内容を確認。そして、目的地を定めたアイビーは歩幅を広める。

 無論その足取りは、ルイエルド邸へと。

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