第22話 視点3-4
都心からは少し外れた郊外の大学のすぐ前の高層マンションにマッチングアプリで出逢った〈当たりの男〉ツバサくん(21)は一人暮らししている。医学部受験に失敗し理系からメーカーに就職した父親に「国立医学部以外は大学じゃない」と言われ幼少の頃から英才教育を施されるも自身も医学部に落ち、都内の大学に進学。コンプレックスとその他諸々を拗らせて歪んでしまった精神が愛おしい。
「やっぱ偏差値の低い大学はクソだな、分かってたことだけどさ。散らかってるけど座ってていいよ」
自嘲的に笑い、宅飲みの掃除を一手に引き受けながら、言う。
「ありがと」
「まりあさんは大学どこだったけ」
「偏差値低い私立の薬科大だよ。……中退しちゃったけどね」
高校も中退で高認取って入った大学も中退。人生も中退しちゃうんだろうか、いつか。
空気が一瞬にして澱む。あたしは店と同じように笑って、
「勉強とかさ、学校とか向いてなかったんだ。頑張ったけど、だめだった。そう言う人っているんだよ多分」
「そっか」
「大学で彼女とかいないの」
「いたら家入れてないでしょ」
「そうだね。お風呂借りていい?」
熱いシャワーを頭から浴びる。酒か、睡眠不足かストレスのせいか、心なしか肌が荒れている気がする。抜け毛もある。いつまでコンカフェで働けるんだろうか。需要のある外見を保てるんだろうか。
高校をやめたいと親に告げたとき、初めに返ってきたのは言葉ではなく暴力だった。
「何言ってんのかわかってんのか。人生終了だぞ、あのな、人間は社会的な動物なんだよ社会に馴染めなかったらくたばるんだよ分かってんのかお前」
分かる前に殴られた。
「……顔は止めときなさいね。顔くらいしか取り得ないんだからこの子」
パパの怒声と、怖いくらいに冷静に呟くママの声が、酷く遠くで交互に聞こえた。
「うっせえな今は男女平等の時代なんだよ時代の潮流に乗った男女平等パンチだこれは」
「学校とか以前に働けないでしょこの子。協調性の欠片もないし周りを困らせるだけよ」
結婚前は外資系の保険会社で歩合給のバリキャリをしていたママは呆れたように言う。子どもの頃からずっと優等生で美人で、でもずっと周囲を見下し誘いを断り続けていたから、高嶺の花のまま学生時代を終えてしまった。なんと高嶺の花は枯れてしまった! 勉強なんてしなくてもいいからせめて青春を楽しみなさい、と中学に上がる前に教えてくれたのは何だったのか。
「あのな、子どもは社会を知らないから。思ってるよりずっと厳しいんだよ社会って。俺やお母さんはな、いよなに惨めな思いをしてほしくないんだ、どうしてわかってくれないんだ」
経済的事情で大学は行けず高卒で仲介メインの不動産会社に入ったパパは諭すように言う。苦労を重ねたからか、粗暴で野卑な物言いや佇まいの中にも深いあきらめや挫折感のようなものを感じる。暴力を差っ引けばママよりは話が通じる程度で、小さい頃から勉強しろ上を目指せ底辺は悲惨だだの煩かった。ママは勉強するな頑張るなと言うが、どっちが正解なのか。言うことを統一してくれ。
「どうせわからないよこの子には。お金にも男にも住む場所にも困んないんだもんね、親の金で沢山遊べて、良いよねえ。わたしもそうしたかったなあ」
涙交じりに懇願するパパと冷めた視線を送るママは、かつてのパパ自身やママ自身を必死に説き伏せ説得させているようにも思えた。ほんと冷めた。
「やめるったらやめる、やめる!」
駄々っ子のように泣き叫び、あたしの最後のまともな人生は終わった。ずっと前の事なのに昨日のことのように思い出せる。岸上と最後に話した日も、大学に入って「ああここでも馴染めないんだ」と確信した日も、リビングで簿記や行政書士や宅建のテキストを広げていてママに「高校中退のバカ女が資格なんて取ってなにすんだよ」と嘲られ家を出た日も、初めてコンカフェの面接に行った時のことも。
もう何年も、過去と現在が入り混じったような、靄がかかった妙な世界を生きてしまっていた。
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