第18話 視点2-(終) 『黎明期』
秋になって、お兄ちゃんの再就職が決まった。
「大学の可愛がってた後輩がさ在学中に会計士受かって大手監査法人就職したのよ、けど手取り30万くらいでこき使われるし繁忙期は普通に帰れないしこれって普通のサラリーマンと変わんなくないって気付いたらしく「資本主義って何なんすかね」とか今更のように聞くんだよウケるだろ? 漸く俺と同じ高次元へ達したかお前も無職になれって言ったら「それは低レベル過ぎなので独立します」だと。独立にあたって最低時給でパートの事務員さん募集してるっていうから俺が応募した。それで即採用」
言い訳を捲くし立てるように早口でしゃべって、スーツを着る。
「ああ労働やだ。今が旬の制服清純女子高生にネクタイ結んでほしいわ。でないとやる気でないわ」
「はいはい」
背伸びしてネクタイを締め、スーツ姿のお兄ちゃんを改めて真正面から眺めると、やはり元エリート社畜なだけあって普通に、身内贔屓抜きにしても相当カッコいいな。「やる気出た?」「うん」まあ誰かと比べるとかそういうのはないんだけど別に。誇らしげなお兄ちゃんに少しだけ苛立ったので、「ああ、もう清純じゃないけどね」と言い添えとくとお兄ちゃんはほんの一瞬だけ目を見開いて、
「はぁ~っマジかよ、加奈すっかり大人の女の顔してんじゃん、どうすんだよ、もう神社で巫女さんのバイトできないじゃん、幼い頃から見守ってきた無垢な妹をポッと出のわけわからん男に汚されるのか。妹思いの全国の善良なお兄ちゃんたちはどうやってこの地獄の苦しみに耐えてるんだろうな……」
あんたは善良というか邪悪系だし半分しかお兄ちゃんじゃないだろ、と言いたくなるのを堪えて「いちいちキモいんだよ言い方が。とっとと仕事行けよ初日から遅刻すんの」と玄関へと追い立てる。
最近は朝食はわたしの担当になった。お母さんは最近ずっと朝はドラマを見ている。きっと、彼女は人生の主役から降りられたのだと思う。
「今度彼氏君連れて来いよ、また三人でゲームしようぜ」
「ゲームしないらしいけど。普通に下らないからって」
「あーダメだわ。作られた世界の美しさを知らないタイプの頭良さぶってるバカだわ。「無駄なことはしたくない」とか言ってそう」
「そうかな……言ってるかな」
こうやって人生の登場人物は移り変わっていくのだな、とリアルタイムで感じている。
「まあ男のことはいいや。これ以上可愛い妹との朝の団欒壊されたくないし。それよりさ俺今度朝食であれ食べたい。有楽町か新橋のホテルで家族皆で泊まった時に朝出てきたやつ。卵がパンの上に乗っててソースかかって宇宙船みたいになってるやつ」
なんだそれ。どんなSF料理だよ。と思いかけて、
「あ? エッグベネディクト? 何よあんなん見た目ちょっとおしゃれなだけで上級国民の女がSNS映え意識して食べるだけの飾りみたいな料理じゃん。あれきっと誰も味分かってないよ。祭りの屋台で食べる妙に美味しい焼きそばみたいな味。たまご乗せトーストかスクランブルエッグで我慢しろよ」
と捲くし立ててしまい、あ、もうこういうノリはずっと前に卒業したのにな、と思い、思ったらなんだか涙が出てきた。
「じゃ行ってくる」
「行ってらっしゃい」
お兄ちゃんは玄関のドアを閉める前、「加奈は将来大物になるよ」と小さく言った。どこか寂しそうに。
わたしは家に一人取り残される。
一歩先さえ定かではない薄暗闇の中、幼少期。階下から響いてくる親戚の怒号と叫び声、こちらを値踏みするようなまとわりつく視線。きっと子供の頃の世界は著しく歪んで不安定で、透明な容器の中で培養されているクローンのようなものなのだろう。「なぁお前ってゲームとかする?」わたしはその人の言葉で容器の外へ出たのだ。
画面に敷き詰められた画素の荒いドット絵や子どもながらにわかる要領不足なマップ、架空のキャラクターを戦わせる闘技場に、王様以外誰も頼んでもないのに世界を救わされる勇者に人生を教えられたのだ。そしてこれからそこからも抜け出す。
お姫様ごっこは終わりだ……。
机の上にただ一つ残しておいた色褪せた想い出の写真を折り畳み、菓子の包装紙で包んで飛行機にした。二階の部屋の窓を勢いよく開け放ち、そのまま振りかぶって一直線に飛ばす。不安定な姿勢のまま、飛びもせず落ちもせず、想い出はゆらゆらと揺蕩うように消えていった。
scenario2. メサイア END.
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