悲しき神様.
雪本つぐみ
scenario.1 Summer time
第1話 視点1-1
1
夕陽が鋭く差し込むバス車内に、
バスを降り、階段を上がり、寂れた看板が目立つ灰色のデッキ前をふたりで歩く。
「明日から夏休みだっけ。どっか行くの?」
「鎌倉に祖父母の家があって、そこ行くくらいかな。それ以外はたぶんずっと東京いる」
「へえ。近くていいね。わたし親族全員東京だからさ、帰省って概念と無縁なんだよね」
「そうなんだ……」
そうなんだ、ってなんだ。なんかもっと言うことないのか。
「予定もないし、わたしはずっと暇だなあ」
岸上さんは空を仰いだ。駅の屋根に遮断された空には、希望だけで膨らんだような雲がある。乗り換えでごった返す人並みもまばらで、やけに周囲が静かだった。
「あ、じゃ、わたしこっちだから」
手を振り、体の向きを変え、乗り換え口を向かおうとした岸上さんを僕は「あの、」と呼び止め、「ん? なに?」と怪訝そうに振り向いた岸上さんの顔をじっと見つめ、いや、なんでここで硬直してしまうんだろう僕は。
「あのさ……」僕は再度口を開く。
「その……良かったら、なんだけど、」……何故言葉がこんなにうまく出てこないんだろう。良かったら、なんて仮定形は要らないだろ。遊びに誘うだけ、あくまで誘うだけだここでは。次は、遊びに行かない? だからな……「ん? なに?」と岸上さんは僕を見る。口の端に笑みを浮かべて。何かを期待しているようにも、困惑しているようにも思えた。
「付き合ってくれない?」
「え?」
「え」
……あ。
「え? 嘘。なに?」
あ。えっと、これは。
「そのさ、岸上さん、いいなと思ってて。ボランティアで一緒になって、話もあったし、そのさ……」
支離滅裂だった。喉の奥で言葉が絡まって、伝えるべき順序も情緒も分からない。
「付き合ってください」
岸上さんは暫し呆気にとられた顔をしていたかと思ったら
「え! ほんと! 嬉しい。めっちゃ嬉しい嬉しい嬉しいありがとう~」
とか言って僕の両手を素早くつかむとぎゅむっと握り、
「ありがとう~」とまた言った。満面の笑顔で。
僕の両足は宙に浮きかける。心の何処かが浮遊したように、現実味がない、めくるめく世界へ飛び立ちかけ、
「でも、」
……でも?
「今はまだ友達でいたいかなあって」
今はまだ? 友達?
「気持ちはほんと嬉しいんだけど、今はまだ誰とも付き合う気とかなくって。ごめんね~」
ほんと嬉しい。ごめんね。ごめんねごめんねごめんねごめんね貴方とはお付き合いできないのごめんね。
「ほんとごめん! 夏休みもまた図書館で会おうね! それじゃ!」
岸上さんは僕の両手を振り下ろすように手放すと顔の前で謝罪のポーズを作ってくるりと僕に背を向け碌にスカートも抑えずに駅の階段を駆けあがっていった。
僕は呆然と立ち尽くす。灰色の石畳に固定される僕の両足。惨めに立ち尽くしている自分を俯瞰的に見て、本当に今の自分は世界一桁位に惨めなんじゃないだろうかとか思って、思ったら、なんか変な笑いが込み上げてきたので僕は笑いながら駅の階段を岸上さんとは逆方向に降りた。
先程とは打って変わって世界が色彩を欠いて見える。惨めだなあ僕は。いけると思ったんだけどなあ、少なくとも可能性はなくはないかなとか思ってた。ふたりきりでも会話は弾んでたし何度かこうやって一緒に帰ってたし共通の話題もあったしでも実際いけてないんだから結果が全てだよねはははははは。
恐らくこの駅半径200メートルくらいでは一番惨めな思いをしているであろう僕は首都東京の片隅にありながら地方都市からコピペしてきたかのような、チェーンの牛丼屋と潰れたレンタルショップのテナント跡地と中規模のスーパーと胡散臭い学習塾が猥雑と並べられた寂れたロータリーを惨めに歩き出す。ずっと貼られているアルバイト募集中の張り紙が眩しい。僕は残念ながら気になる異性には募集されませんでした。あはは。きっとこの先何年か何十年か経ってこの駅前を歩いてもこの希望の一つも見いだせないような天国から即奈落に突き落とされたかのような重い気持ちを忘れられないんだろう。辛いけどこれが現実です。……陽射しが眩しい。陽の光なんてなくていいのに。天気良いのが割と腹立つ。心の中はずっと雨天。
しかしいつまで経っても情けなく気持ちを引き摺っているのは過去の自分や岸上さんにも失礼であるし、僕は本屋で少しだけ文庫本を立ち読みした後、帰路を辿り始めた。が、足が本当に重い、気分が塞がって仕方がない。失恋と言うか絶恋と言うか、歩く能力すら僕には最初から備わっていなかったのではと疑いたくなるくらいにふらふらとして、僕は駅近くの大きな人工池がある公園の休憩所に座り込んだ。木々の隙間から差し込むとぎれとぎれの陽光が丁度よい。今の僕にはこのくらいの光で良い。
目の前に広がる、何処にも流れてゆかない水の固まりを眺める。まるで今の僕の気持ちみたいだ、滞留して、何か他の事を考えようとすればするほどに同じところをぐるぐると回り始める、黒い感情が段々と底の方に堆積し始める。ループものじゃあるまいし、この心の何処かが丸ごと空洞化したかのような虚無感とかも何とか一夏の想い出とかに消化し昇華できないかと思い悩んでいたところで、
「ね~え」
と、後ろから急に声をかけられたので大変びっくりした。不意を突かれた、背後を取られた。
「ぜんぶ見てたよ。ばっちりフラれてたねぇマジうけるんだけど」
全部? 全部って何だ。どこからどこまで? 「みんなお前のこと嫌いって言ってるよ」の皆くらい捉えどころがない。というか後ろをずっとつけてたのかよストーカーじゃないか恥ずかしくも告白してフラれるところをばっちり観られた、もしかしなくても一生の不覚かもてかそもそもまずあんた誰だ。
「ね~え」
謎の少女はまた口にした。
「岸上みたいなゲスビッチは放っといて代わりにあたしと付き合おうよ」
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