第14話侵入
部屋に戻った俺をリビングで待っていたのは案の定月見里だった。
撮影から戻ってきた足で立ち寄ったのか、服装は地味なジャージに少し大きなサングラス。顔いっぱい隠れるほどのマスクを着用し、深く被った帽子に髪をしまっている。
俺の姿を確認した月見里はマスクとサングラスを取った。顔の大部分を隠していた装飾品が無くなり、彼女のにこやかな表情が見えるようになった。
「おかえりなさい千堂くん。待ってたわ」
「……なんで待ってんだよ。あと3日は帰ってこないって話じゃなかったのか?」
「抜け出してきたのよ。千堂くんに会いたくなっちゃって」
言葉にして並べていると可愛らしく感じられるものの、その裏にはなにかが潜んでいることを俺は知っている。月見里との距離はできるだけ空けて対話を続ける。
「今日は随分と遠出してたのね」
「なんで知ってるんだ?俺、お前に連絡した覚えはないんだが」
「右ポケット」
月見里に言われて右ポケットに恐る恐る手を入れる。中に入っていたのは小型のGPS。最近は無くしたくないものにつけておくなどして使用されるものが出回っている。俺のポケットに入っていたのはその類のものだ。物騒な世の中になりやがって。
「男一人で水族館……」
「怪しいって言いたいのか?言うなら全国の水族館好き男子に謝ってから言えよ」
「別にただで疑ってる訳じゃないわ。貴方、昨日お父様からチケットを貰ってたわよね?」
「……なんで知ってるかはこの際聞かないでおく。知ってて言わせようだなんてタチが悪いぞ」
「試したのよ。……で、誰と行ったの?」
この先の返答次第で俺の今後の生き方が決まる。そうなんとなく察した。
幾度となく迎えた修羅場は頭の回転の速さで何度もくぐり抜けてきた。今回もそうすればいい。俺は脳内で言い訳を模索する。
俺は脳内で瞬時にはじき出された言い訳をすぐさま口にした。
「友達とだよ。別にお前が思うような相手じゃない」
……間違ってはいない。あいつは俺の中では友人枠。恋を手伝う関係ではあったが、互いに愛し合う関係ではない。嘘はついてない。
「……ふ〜ん?成る程ね」
月見里は分かっているのか分かっていないのかな反応を見せた。その後、心臓が激しく脈打つ俺の元へとゆっくりと近寄ってくる。そして固まった俺の首元にゆっくりと手を這わせると……
「すんすん……」
その鼻で目一杯俺の匂いを嗅いできた。これほど密着されると体のいろんな部分が月見里の体と接触する。特に胸部の部分は月見里の大きなものが密着しており、こちらの理性を激しく揺さぶってくる。
加えて月見里の甘い匂いも俺の理性を揺るがし、非常に危険な状態だ。匂いで判断できるのかという疑問を感じる前に俺の理性が危ない。追い詰められた俺の理性は急速な状況の打開を欲していた。
「……あの、月見里?」
「この匂いは……制汗剤?ASMのフローラルシリーズ、千堂くんが普段使っているものじゃない……」
「……この体勢、結構、というか、かなり色々と恥ずかしいんだけど?」
「……誰と行ったの?」
「だから友達だって。汗かいたからそいつから制汗剤借りたんだよ。これじゃ納得いかないか?」
「……まぁ、そういうことにしておいてあげる。後に分かることだしね」
ぱっと手を離して月見里は俺から離れた。俺の理性が崩壊するなんてあるまじきことにならなくてよかった。
納得がいってない様子の月見里は数秒俺の顔を見つめる。俺が小首をかしげると、月見里は両手を広げた。
「ハグして」
「はぁ?さっきしただろ。やっぱり満足してないってか?」
「するのとされるのとじゃ訳が違うの。いいから、お願い」
ここで拒否してごねられても困る。俺は渋々月見里を抱きしめた。再び彼女から香る甘い香りと肌を介して伝わってくるぬくもりが俺を温めた。
「……私から離れないで、お願い」
限りなく小さな声で月見里は呟いた。その時感じ取れたのは、普段気丈に振る舞う彼女からは感じられない弱々しさ。不安と後悔が募る沈んだ声。その根源にある存在に俺は心当たりがある。
「……離れようとしてもお前はついてくるんだろ。お前が諦めてくれない限り、当分は離れられないさ」
「……私は諦めないから。ずっと、千堂くんを求め続ける。貴方がどうなっても」
俺にはもったいないほどの重々しい言葉に先が思いやられる。
十数秒抱きしめていたところで月見里はするりと俺の腕を抜けた。再びマスクとサングラスを着用し、表情は隠れてしまった。
「そろそろ仕事に戻るわ。暖かなハグをありがとう。あと3日でちゃんと終わらせてくるから」
「気を付けてけよ。お前がここに通ってることバレたら俺も大変なんだ」
「えぇ。帰ってきたらとびきりのキスを所望するわ。それじゃ」
月見里は軽く手を振りながら去っていった。今日のところはなんとか乗り切れたようだ。
一人になったリビングで俺はソファに身を沈める。制服も脱がないまま、俺は天井を見上げた。
今の俺は月見里に猛アピールを受けており、さらに今日は星導が俺のことを好きだと言ってきた。なんとも奇怪な状況に追い込まれてしまった。一日一日を生きるので精一杯だ。
あの時のように空っぽな日々じゃなくて幸せだけれど、体が限界を迎えるのも時間の問題だ。なんとかしなくちゃな……
立ち上がろうとはしたが、疲労感が俺をソファに貼り付ける。遠のいていく意識をそのまま手放した俺は夢の世界へと旅立った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます