地下街(おまけ付き)
アイス・アルジ
第1話 地下街
私は憧れの東京で勤め始めてから、ほぼ三年が過ぎた。地下鉄SS線のTT駅で降りて、二十分ほど歩いた所にある、RRインテリア会社に勤めている。最初のうちは通勤途中でも、お店のウィンドウなどに目を奪われたが。三年もたつと毎日の通勤は、単調な移動時間に変わりつつあった。
久しぶりに早く仕事が終わった。会社のある少し古びた七階建てのビルを出ると空は暗く、小雨がぱらついている。ここはオフィスや小売商店、飲食店が混在するエリアだ。小売商店の明かりは輝き始め、通勤者を誘っている。夜の客を待つ飲食店の明かりはまだ暗く、遅くまで夜の客を待つ準備をしている。通りの明かりは小雨の向こうに、いつもより霞んで見える。
私は地下街を通って駅に向かおうと、近くの階段を下った。地下街のほうが人通りは多い。地下街は駅下から周辺の商店ビル、大型百貨店、ホテル街などへと迷路のように伸びている。私は迷うことなく、慣れ知っている地下通路を進んだ。地下街には小さなお店が連なっており、通勤途中の人々の目を誘っている。雑貨、洋服、本、日用品、薬などと多彩だ。しかしこの時間、足を止める客は少ない。通勤者は足早に駅へと向かう。私は久しぶりにお店のウィンドウを眺めながら歩き、途中で何気なく曲がった。
ふと違和感を覚えた。見慣れないお店が並んでいる。あれ、こんなお店あったかな? いつもの街路でも、知らないうちに新しいいお店が開店していることがある。また新しいお店かと思い、あたりを見ると、どうも様子が違う。足取りを緩めて立ち止まった。まったく記憶にないお店ばかりだ。今まで通ったことのない街路のようだ。こんな所あっただろうか? 私は方向感覚には自信がある。先ほど右に曲がったので、この辺を左に曲がればよいし、この先を途中で左に曲がっても、元の地下通路に出るだろう。このまま進んでも駅方面だ、いざとなれば地上へ出ればよい。
私はこのまま進んだ。地下街は迷路のように広い。まだ知らない街路があっても不思議ではない。しかし、こんな通り慣れた所で? ……まあ、新しい街路を見るのも、ちょっとした楽しみとなるだろう。
この街路はちょっと狭く薄暗い感じがする。古くからあったのだろうか? 雑貨屋、インテリアとか喫茶店とか、ちょっとエスニックな感じのお店が多い。しだいにウインドウに目が引かれ、ある小さなお店の光景に目が止まった。綺麗な小瓶がたくさん並んでいる。なんのお店だろう? 雑貨? ジャム、お菓子? 店名もよく読みとれない、ただ〔OPEN〕の札だけが見て取れる。店に入った。
店内は柔らかな照明が灯り、ほのかなミルラの香りが漂う。少し明るいトップライトが棚に並んだ商品を照らしている。客も店員もいないようだ。棚に近づき、並んだ瓶を眺めると、赤っぽいもの、青味のあるもの、ステンドグラスのように煌めくもの、黒っぽくザラザラしたもの、白い光沢や、乳白色、何とも多様で色とりどりの小瓶が並んでいる。中には何やら液体のようなものが入っていて、何かの結晶のようなものがキラキラしている。液体は粘液のようにドロッとして、淡い色もついているようだ。手に取ってみても中身はよくわからない。蓋にはアルファベットと数字のラベルが張ってあるだけだ。輸入品だろうか? 香水とかコスメ関係? 何かの薬かもしれない、まさかドラッグ? 私は小瓶を棚に戻した。
すると、近くに店員がいることに気がついた。店員は黒い服装で、胸元にターコイズのペンダントを下げている。黙ったまま、声をかけるタイミングを待っていたようだ。
………
「お気に入りの物はありましたか」
「あっ、いえ、これはなんですか?」
「これは心の瓶です」
「こころ? 心って、この…… 」 ……胸に手をあてた。
店員はうなずいただけだった。一瞬、不安がよぎった。
「あなたに気に入ってもらえる瓶が、きっと見つかると思いますよ」
「ごゆっくりどうぞ」
店員は瓶の並びを直した。
私はしばらく店内を歩き小瓶を見て回り、いくつか手に取ってみた。やはり何が入っているのかよく分からなかったが、引き寄せられるような魅力があり、立ち去りがたかった。やはりもう一度、店員に聞いてみようと振り返ったが、そこには誰もいなかった。私は小瓶を戻し腕時計を見ると、もうこんな時間だ。いつ時間がたったのだろう? 私は足早に店を出た。店名を確認しようと目を凝らして見ると〔CANOP’S〕と読めるようだ。また来ようと心にとめた。
それからしばらくの間、私はあの店のことをすっかり忘れていた。ある日、会社を出ると小雨が降っている。あの店のことを思い出し、自然と足が地下街に向かった。あの時、どこを曲がったのだろうかと考えながら歩いた。あれ? もう通り過ぎたはずだ。あの街路への曲がり口は、この変だったはずだ。駅へ急ぐ通勤者を避けながら、しばらく探し回った。
前にも言ったが、私は方向感覚には自信がある。一度通っただけの所へ行くのも迷うはずはなし、これほど探して見つからないはずもない。ところが、しかし、私はどうしても、あの街路もお店も見つけることはできなかった。
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