第22話 手放したくない
「私、やるよ!」
イルは入浴を済ませ、客室に戻った途端ガヴィに訴えた。
「あんな事があってこのまま帰れないよ! ここの人達のことが心配だし……私、レナート様の力になりたいの!」
ガヴィの服を掴んで必死に頼むイルに、ガヴィは苦虫を噛み潰したような顔をした。
「……アイツのためかよ」
小さく吐かれた言葉に「え?」とイルが聞き返す。
「いや、……なんでもね。……レナート王子が言ったように、これは俺達には関係ない話だ。無駄に首を突っ込んで、お互いに何かあったら国際問題になるぞ」
俺達は、国の使者としてきているんだから。とガヴィに言われてイルはぐっと詰まった。
「そう……だけど、でも、でも! そんなのガヴィらしくないよ! なんだかんだ言って、ガヴィだって全然関係ない私をいつも助けてくれたじゃない? ヒューも、王妃様もレナート様も、私にとってはもう関係ない人じゃないもの! 私にできることがあるのなら、力になりたいんだよ!」
お願い、ガヴィ!
イルの必死の懇願を聞いて、ガヴィは諦めにも似た気持ちが沸き上がった。
ああ、この気持ちには覚えがある。
憧れと、愛しさと、……そして、人の気持ちは自分の思い通りにならない切なさ。
自分の思いだけを通すなら、彼女の願いは無視すればいい。
立場的にも、今の自分はそれができる立場にある。
けれど、ガヴィは活き活きとしているイルが好きだ。
自由に生きている彼女が見たいのだ。
それをできるのが、もし自分でないのなら――
(……手放せるのか。俺は今更、こいつを)
いや、手放すのなら今なのか。
まだ、手放せる。今なら――きっと。
「……お前、なんでそんなにあいつばっかりに肩入れしてんの」
わかったと返事をしようと思ったのに、口からこぼれた台詞は違うものだった。
イルは「え?」と呟くと一呼吸おいて一気に顔を赤らめる。その顔を見て、ガヴィはあぁ……と、とどめを刺されたような気がした。
「いや、あのね? やだ、私そんなに分かりやすかった!? うそうそ、なんか恥ずかしいな!?」
「……ん?」
顔を真っ赤にして急に百面相をしだしたイルに少々違和感を感じる。
イルは視線を左右に彷徨わせると決心したようにおずおずとガヴィを見上げた。
「じ、実はね? ガヴィには言ってなかったんだけどさ……レナート様が……」
イルの口からレナートの名前が出るだけで引っかかるものがある。が、ここはグッとこらえて断頭台に上がる死刑囚のように言葉の先を待つ。
「レナート様の声がね? ……すごく、すごーーく、亡くなった兄様に似てて……」
「――――は?」
理解が追いつかないガヴィをよそに、イルは俯いて眼の前でブンブンと両手を振った。
「初めてお会いした時はびっくりしちゃって!! しかも顔もすっごく似てるの!! 会うたんびにそこに兄様が生きて動いてるような気になって……でも、ガヴィにそんなこと言ったら心配するかなとか、レナート様と兄様は別人だろって怒られちゃうかなとか、色々考えちゃって……」
でも顔に出ちゃってた? ダメだなぁ〜。いつまでも兄離れ出来てなくて恥ずかしい〜! とイルが眉を下げる。
「舞踏会の時にレナート様にもバレちゃっててね、『私の顔に何かついてますか?』って。兄に似ているんですって言ったら『兄上だと思っていつでも頼っていいですよ』って笑われちゃったけど」
兄様には生きてる時になにも返せなかったから、レナート様は別人だけれど自分に出来ることがあるのならなにかしてあげたいなって思って……
そう言って再びガヴィを見上げたイルに、ガヴィははあぁぁっと長い溜め息を付いた。
(――――あっ……っぶねぇぇぇ……!!)
あと一歩で、「アイツのことが好きなのか」とイルに尋ねるところだった。
イルとは一回り近く歳が離れているというのに、みっともなく嫉妬心をさらけ出す羽目になる所をギリギリの線で回避したガヴィは思わず左手で自分の顔を覆った。
イルは急に溜息を付いて押し黙ったガヴィに「え? ガヴィ呆れちゃった?」とワタワタしだす。
さっきもね、あんまりに兄様みたいな事をレナート様が言うもんだから、泣きたくなっちゃって。励ましてもらったんだ、と照れくさそうなイルに、ガヴィは「あー、なんでもねぇなんでもねぇ」となんとか平常心を取り戻すと、「俺の目の届く範囲で行動しろよ」と言ってイルの目を輝かせた。
あの黒い靄がなんなのかが解らない内にイルに関わらせるのは承服できかねるが、アカツキしかアレが見えない状況下では仕方ない。
一気にご機嫌に戻ったイルを見て、己もさっきまでもやもやしていた気持ちがなくなってしまうのだから自分も大概頭がいかれている。
手放さずにすんだイルの手を、ガヴィはそれとなくそっと握った。
「あ、あとね……これもガヴィに言ってなかったんだけど……」
「ん?」
「あのね、実はクリュスランツェに入ってから三日目の夜からかな……夜、あんまり寝られてなくて」
イルの言葉にハッとする。
「夜、怖い夢を見るの。それで、うつらうつらしたまま朝になっちゃって。はじめは慣れない旅の途中だからかなって思ってたんだけど」
この事件が起きて確信した。
あの夢は魔物のせいなのではないかと。
今思えば、夢を見るようになった頃から、一緒に旅をともにしてきた馬たちの様子も可笑しかった。
レナートは言っていたではないか、この奇病はアルカーナの国境付近から北上していると。それは、自分たちのルートと同じなのではないか。
だから、イルは他人事として放おってはおけない、と言った。その言葉に、ガヴィも深く頷いた。
「お前、眠れないって、今もか」
魔物によるこの奇病は、眠れなくなることが続いたあと、精神を病んで昏睡状態になってしまうと聞いた。もしイルにあの黒い靄が付いているとしたら、彼女も同じような状態になってしまうのでは。
心配するガヴィに、イルは対象的ににっこりと笑った。
「それがね、ガヴィの隣で寝ると全然怖い夢を見なくなったの! すっごくよく眠れるし、ガヴィって本当に凄いよね!」
だから今日も一緒に寝てね! と腕に巻き付いてくるイルに、ガヴィは喜んでいいのか悲しんでいいのか真剣に悩む羽目になった。
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