第13話 舞踏会①






 イルが変だ。



 体調が悪いわけではないと思う。昼食は相変わらず「どれも美味しそー♡」と言いながらいつものように食べていた。けれど、時折ぼーっとどこかを見つめて心ここにあらずの時がある。

 イルの様子が変わったきっかけは間違いなくあの時だ、あの――


(……レナート王子)


 前王妃の末っ子であると言うレナート王子。彼と挨拶を交わしてから明らかにイルの様子がおかしい。

 今まで色々な人と出会ってきたが、イルがあんなにあからさまに態度を変えた人物は見たことがなかった。

 レナートは背丈はガヴィとさほど変わらず、顔立ちはクリュスランツェ王や第一王子に比べれば優しげで優男の部類に入るだろう。だが軍を統括しているとあって、その身体は鍛え抜かれた体躯をしていた。

 見た目が精霊のごとく美しいゼファーを前にした時だってイルはあんなふうに顔を赤らめたりはしなかったと思う(初めて会った時は黒狼姿だからわからないが)

 

 ガヴィを前にした時だって――


 『……ガヴィってさ、本当に一言多いよね?』


 呆れた声と難しい顔。

 口を開けば口論している気がした。


 己を振り返って少し居た堪れなくなる。


 

『そこで見た陛下がとても素敵でね。一目惚れってやつさ』


 

 何故か唐突に、アリフォーレ王妃の台詞を思い出す。ガヴィは一目惚れってなんだよと今までは思っていたが、顔がどうとかそういうことではなく第一印象で直感的に感じる事は確かにあるのかもしれない、と王妃の話を聞いて己の考えを少々改めるところもあった。

 よく考えれば自分だって、イリヤと出会った時はもう次の瞬間には惹かれていたと思う。イルとの関係は水が染み込むように自然で、いつからか……と聞かれてしまったら答えるのが難しいが。

 人の気持ちを縛るのが難しいのは自分が一番知っているから。イルがもしレナートに何かをのなら、それを止める術はガヴィにはない。

 そこまで考えて、ガヴィは「アホくさ」と頭を振った。



 思春期の子どもじゃあるまいし、何をグダグダと考えているのか。



 ガヴィはボリボリと首筋を掻いた。






 夜にはガヴィとイルを歓迎する舞踏会が開かれた。

 イルは淡いグリーンに金と深緑のクチュール刺繍の花をあしらったドレスで、ガヴィもイルに合わせて黒地のベストと光沢のある深い緑のジャケットを着用している。


「……ねえ。ガヴィ、本当に踊れるの?」


 舞踏会場に向かう途中、ガヴィにエスコートされながら、イルが不安げにガヴィを見上げる。ガヴィはちらりとイルを見たが、すぐに前を向いてボヤいた。


「流石に代表で来て『踊れませーん』は通用しねぇだろ。ちくしょう……俺はもう二度と外交はやんねぇ」


 クリュスランツェ行きが決まった日から、ガヴィは旅の準備と共にゼファーにダンスのを叩き込まれることになった。国内の舞踏会や夜会からは逃げまくっていたガヴィだが、流石に国の使者として赴くのにダンスが踊れない状態で行くわけにはいかなかったようで。ガヴィはそれでもダンスの練習をサボろうとしたが、ゼファーには「君はその逃げ癖をどうにかした方がいいね」と文字通り首根っこを掴まれてみっちりと叩き込まれたらしい。

 ガヴィはこの時、五百年前にそのままいた方が良かったのではないかと思った、とのちに語っている。



 舞踏会のファーストダンスはパートナーと踊るのが慣例だ。

 国王一家への挨拶を済ませ、王家やクリュスランツェの貴族の視線の中で最初の音楽がかかる。


 イルはガヴィの肩と手に自分の手を乗せてドギマギと最初のステップを踏んだ。

 ファーストダンスの曲はどこの舞踏会でもよく耳にする代表的な曲だ。イルも以前にゼファーと踊ったことがあるからなんとか間違えずにステップを踏むことが出来た。あの時はガヴィは踊らなかったから、今ガヴィと踊っていることが不思議だ。


 ガヴィはなんだかんだといっても卒なくちゃんとステップを踏んでいた。真顔で一言も喋らなかったけれど。

「顔、怖いよ?」と小さな声で言うと、「話しかけるな。足、踏んでも知らないからな」と返ってくる。なんでも器用にこなすガヴィが、真剣にダンスのステップを踏んでいると思うとなんだか可笑しくて。ガヴィの仏頂面もちっとも怖くなかった。


 ガヴィの努力の甲斐あって、舞踏会でのファーストダンスは、イルの足を踏まずに危なげなく無事終わらせた。

 

 


 

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