第1話 ルル子ボックス出現

「ん……なんだこれ……牛乳屋さんの置き配ボックスか?」


 それは六畳一間にキッチンがついた、ワンDKのぼろアパートの我が家の玄関先に、ひっそりと置かれていた。

 お日様がピカピカに眩しい、爽やかなことこの上ない五月の朝だ。

 俺はいつも通り、時間に少し余裕がある状態でバイト先の倉庫会社に向かおうとしていた。

 ガチャ。

 玄関を施錠したところで目に入る、ドア横に置かれた鮮やかなピンク色の箱。そう、これは牛乳の置き配ボックスだ。


「あのおっさん……俺、ちゃんと断ったじゃんよ……なんで箱なんか置いて行くんだよ」


 どピンク色の宅配ボックスが置かれている理由。思い当たる節は、一つだけあった。

 一昨日の……そう、水曜日の昼間の出来事だ。


 ※ ※ ※


 その日は仕事が休みだったから、俺はいつものように部屋でゲームをしていた。

 ピンポーン。

 ん? 宅急便か? 母ちゃん、また差し入れでも送ってくれたんかな?

 そう期待して、よく確認もせずにドアを開けたら。

 そこに立っていたおっさんが着ていたのは、見慣れた配送屋さんのユニフォームじゃなかった。

 しまった。やってもうた。


『ワタクシ、隣の市から来ました牛乳配達屋です。今この辺りの皆様に、試飲キャンペーンで回っていましてペラペラペラペラ』


 と、おっさんは一方的にマシンガントークを繰り出し始めた。

 うおお! くそ、ここで負けてなるものか!

 

『いりません、俺、金ないんで!』


 おっさんの口が閉じた一瞬の隙をついての、つよつよの俺の断り文句攻撃!

 名付けて一撃必殺【カネ無しショーガナシ!】

 効け! そんでもって帰れ!


『いや、でもこれねぇ、すごいんですよ〜! うちは孫も飲んでてねぇ!』


 ところが歴戦の猛者(俺の想像)であるおっさんには、ピヨピヨの俺の攻撃などまったく効かない。

 それどころか、脇に抱えた黒い箱からなにやら商品を取り出してきた。

 が、頑張るんだ、俺! 相手が歴戦の猛者だからって、負けんじゃねぇ!


『いや、だから、金がないから無理だって!』

『いやいや、だからこそ健康を維持する為にウンチャラカンチャラ』


 俺VSおっさん。ああ、この戦いに終止符が打たれる日はくるんだろうか。

 いやいや、諦めちゃいかん。いいか、決定権は客である俺にあるんだ。ないもんは払えないんだ、貧乏人を舐めんなよ!


『まあ、働くのも体が資本ですからねぇ……もし気が変わったら、いつでもここに連絡くださいよ』


 カンカンカン! 勝者、俺!

 おっさんは渋々、店の連絡先と商品が書かれたビラを俺に押しつけ、去っていった。


『はぁ、良かったぁ……』


 ほんとは俺にもわかってんだ。

 働く、疲れる、寝ても疲れがとれない。このサイクルを止めるには、なんかしら栄養ドリンク的なモンが必要だってことはさ。


『安い栄養ドリンクでも買うかな……』


 俺はすぐさま閉めたドアに背をもたれ、深いため息を吐いたのだった。


 ※ ※ ※

 

「本音を言えば、俺だっておっさん推しの商品ってやつ、試してみたかったよ」


 自分でも嫌になるくらいの重苦しいため息を吐きながらしゃがみこんで、ド派手なピンク色をした宅配ボックスをまじまじと見る。

 しっかしコレ、なんでこんな色してんの?

 置き配ボックスの配色はこうだ。

 淡いピンク色の蓋に、本体はどぎつい蛍光ピンク色。素材はつるっつるのプラスチック。

 爽やかさと健康維持がウリなはずの牛乳屋のイメージとは、程遠い見た目だ。

 それとも、単に俺が知らないだけで、最近の牛乳屋はこういう路線で攻めてるんだろうか?


「まあいいや……勝手に置かれて後から金請求されても困るから、さっさと これ回収してもらおう。箱に連絡先くらい書いてあるだろ……って、ないじゃん連絡先!」


 これじゃ、回収してくれって言えないじゃん、なんだよ、この強引な作戦! やっぱりあのおっさんは猛者だったんだ! しまったなぁ、こんなことになるなら、あの時のビラとっとくんだった!

 でも、なんでこの箱しか書いてないんだろう? ルル子なんて牛乳屋は聞いたことないし、なにより全然牛乳屋っぽくない。

 俺はとてつもない違和感に襲われながら、そのでかくて丸い文字をじっと見つめた。


「あのおっさん確か、なんとか乳業って名乗ってたよな……あ、わかった、これは商品名だ! きっとそうに違いない!」


 俺はそっと箱を持ち上げてみた。

 ガチャガチャ。

 この瓶と瓶がぶつかるような音。それに、プラスチックの箱だけにしちゃ重い。間違いない!

 どピンクの箱、オープン!


「あー! やっぱりなんか入ってる! でもこれ、牛乳じゃないな」


 中に入っていた小瓶をつまみ上げてみる。大きさは、市販のドリンク剤と同じくらいだ。それが、なんと三本も入ってる。三本だと! なんて厚かましいんだ! 一本千円だったら三千円だぞ!


「しかも、ドリンク剤自体もどピンク色ときたもんだ……気持ちわりぃな。商品てのは見た目も大事なんじゃないのかよ……まあでも、飲みさえしなきゃきっと金はとられないはずだ。もういいや、時間もないし店の連絡先は後で検索しよ。っとにめんどくさ」


 とにかく今はバイト先に向かうのが最優先だ。あまりノンビリしてると始業時間ギリギリになっちまう。

 俺は箱の蓋を乱暴に閉め、立ち上がったのだった。

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