第4章: 「追い詰められたステージ」
第1節:「生誕祭の幕開け」
広いライブハウスのステージ袖は、独特の緊張感に包まれていた。
今日は篠宮ひなたの生誕祭。
――けれど、そこに楽しい空気はほとんど漂っていない。
事件で揺れるラストフレーズにとって、久々に大きな観客を前にしたイベントだからこそ、みんなが「本当にやり切れるのか」と不安を抱えていた。
控室では、ひなたが衣装を直しながら必死に笑顔を作ろうとしている。
顔を上げた瞬間、手の震えがはっきりわかり、私はそっと声をかけた。
「大丈夫。私たちがついてるから。」
ひなたは何とか明るく振る舞おうとするが、その目にはうっすらと涙が浮かんでいる。
亡くなった水無瀬莉音のことを考えると、どうしても笑顔になれないのだろう。
「莉音の分まで頑張ろう」という決意と、「彼女がいないステージ」に対する悲しみとの間で、心が引き裂かれる思いなのだ。
いざステージに出ると、客席にはたくさんのサイリウムが揺れている。
いつもならカラフルで眩しいほどの光の海なのに、今日はどこか遠慮がちに光っているように見えた。
「莉音のことを思うと、声を出しづらい」――そんな観客の気持ちが伝わってくるかのようだった。
SNS実況を追っているスタッフが、舞台袖からスマホを見せてくれる。
そこにはファンの声が流れていた。
@hinata_birthday ひなた生誕祭だけど、なんか会場暗い… そりゃ事件あったし、莉音ちゃんいないしね…
@idol_love998 莉音ちゃんの分も盛り上げようって気持ちはわかるけど、胸が痛いよ。
会場全体に漂う沈黙――いや、厳密には沈黙でもない。
ファンは声を出そうとしているけれど、どうすればいいのかわからず躊躇しているようだ。
やがて客席から控えめなコールが起こり、ひなたの名を呼ぶ声が小さく重なる。
その瞬間、私は後ろに立つメンバーたちを振り返ってみた。
ふと舞台袖の奥を見ると、橘かりんが誰かと電話している姿が見える。
あまり大きな声ではないが、その口調には焦りが混ざっているようだった。
内容は聞き取れないものの、不自然な雰囲気が気になる。
怪訝そうな顔でステージへ戻ってきたかりんが、私と目が合うとすぐに視線をそらした。
その仕草に、胸がざわつく。
一方、ステージ裏ではスタッフたちがバタバタと動き回っている。
いつもの生誕祭なら、もっと祝福ムードが高まっているはずなのに、今日は妙な緊張感しかない。
誰かが私に「あれ?」と話しかけるので振り向くと、スタッフがコソコソと耳打ちしてきた。
「なんか運営の動きがちょっと変なんですよ。いつもはもっと配信準備がスムーズなのに、急にカメラ位置がどうとか言い出して…」
確かに、ちらちらと視界に入るスタッフの挙動に違和感がある。
カメラマンが何かを気にしているようで、同じ所を行ったり来たりしている。
私はその光景を横目で見つつ、ステージへと視線を戻した。
メンバー紹介が始まり、コールが少しずつ大きくなる。
ひなたは舞台の中央でマイクを握り、ファンの前に少しだけ笑みを浮かべた。
拍手が起こるが、いつもほどの熱気はない。
それでも、今日の主役であるひなたが一生懸命声を振り絞ると、客席のライトが一斉に点滅し、そこかしこで「おめでとう!」という言葉が聞こえてくる。
私も「がんばれ」と小さく呟き、ひなたの背中を見守る。
莉音を失ったステージ。
いつもなら五人で歌うはずのパートを四人で必死につなぐ。
だけど、生誕祭という特別な日のはずなのに、私たちは何かに追い詰められているような焦燥感と恐怖を感じていた。
ファンサイトの速報欄を覗けば、すでに「ひなた生誕祭、空気重すぎ」「莉音事件の影響半端ない…」といった書き込みが並んでいる。
配信を見ている人も少なくないようで、リアルタイムのコメントには「心が痛い」「みんな暗い表情」「橘かりんの様子がいつもと違う」といった声が次々と上がっていた。
ステージを彩るスポットライトの下、私たちは笑顔を作ろうと必死だ。
だけど、頭の片隅にはいつも莉音の姿が浮かんでしまう。
(あの子もここにいたら……)という思いが、痛いほど胸を締めつける。
そんな私の葛藤など知らないかのように、曲のイントロが無情にも流れ始めた。
「――さあ、行こう、ひなたの生誕祭だよ!」
ステージMCが盛り上げようと声を張り上げるが、客席から返ってくるコールはやはり弱い。
それでも、メンバーとファンの双方が手探りで「いつも通り」を演じようとしている。
まるで薄氷の上を歩いているかのような危うさだ。
(本当に、このまま何事もなかったようにステージを続けるの……?)
そんな疑問が、私の心を重く支配する。
けれど、ひなたの輝きを見ていると、背中を押されるような気持ちにもなる。
今は何が正解かわからない。
でも、観客が待ち望んでいるなら、私たちはステージに立たなきゃ――そう自分に言い聞かせて、私はマイクを握った。
生誕祭という華やかな舞台のはずなのに、ラストフレーズのステージには重々しい影が落ちている。
何かが起こる予感――そして、何かを隠そうとする大人たちの気配が、ステージ裏で蠢いているようで、私はどうしようもない息苦しさに襲われていた。
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