第10話
空港を発ってからの2時間程度の車移動で、私はすっかり精神的に消耗してしまっていた。佐原さんが悪い訳ではない、というよりも素晴らしい方であることは間違いない。緊張気味の私を慮ってこまめに休憩を入れようと提案し、休憩先の道の駅では地域の特色や特産物を私のためにわかりやすく説明してくれた。所作もスマートで、お顔も大変ステキだ。ただ、長時間話しているとドッと疲れが出てしまうのだ。何というか話のレベルが高すぎて私の無知さ加減が露わになり、とにかくシンドイ。
「あと20分ほどで着きますから。家では先生のお部屋でまずはゆっくりとお休みくださいね」
私の様子を横目で見ながらそう声を掛けてくれた。色々と顔に出ていたのだろうか、佐原さんの表情は少し心配げだった。
「いえいえ、ご家族の方々とのご挨拶が最優先ですので。この時間、奥様も在宅していらっしゃいますか?」
「妻は……おりません。娘との二人暮らしなんですよ。家のことは、毎週日曜日にハウスキーパーさんにお願いしています」
――うわー、さらりと失礼なことを言ってしまったかも。お家にお世話になるのだから、相手方の家族構成など最初に確認すべき事項だったのに。死別、離別、それとも別の理由、いずれにせよ何らかの思い返したくないエピソードをお持ちだったら非常に申し訳ない。こういう気の回らない性格だから、初対面の方には丁寧に接しなければならないと自分に言い聞かせてきたのに。去年の保護者面談のときだって……いや過去のことはどうでもいい。今は佐原さんにしっかり謝罪せねば。
「陽菜先生、気になされないでください。そんな表情をされるようなことでもありませんので。ちなみに離婚は昨年のことで、再婚の予定はありません」
――え、『そんな表情を』って、すべて顔に出ていたってことですか。確かに友達からはよく「陽菜って隠し事できないタイプだよね。全部顔に出るから」って言われるけど、ひょっとしてお会いしてからここまで表情を読まれたりしていましたか。となると、メンドクサイとかシンドイとか思ったときも、すべて見透かされていたのでしょうかね。申し訳ありません、こんな親切にしてくださっているのに失礼な表情をしてしまい。どうかお許しを。土下座でもしたほうがいいのかな、すぐクビかな、ええとどうしよ、わーごめんなさい。
「陽菜先生、少し落ち着きましょうか」
佐原さんはそう口にすると同時に、車を路側帯に停車させた。
「陽菜先生が嘘の吐けない方であることは、オンライン面接のときから理解しています。あの時も、先生の感情はすべて顔に出ていましたからね。そのことを含めて娘の家庭教師に先生が最適だと判断しました。その真っ直ぐで裏表ない人柄こそ、今の娘に必要だと思ったからです。ですので、思うところがあっても内側に溜め込まずに溌溂としていただきたいです。元気で笑顔あふれるお姿のほうが、娘もすぐに信頼を寄せるでしょうから」
――えっ、こんな私でいいのですか。マイナス感情も抑えられずにすぐに表情に出す未熟者でも。この車内の時間を振り返ると、佐原さんに軽蔑されても仕方ないと思っていたのですが。こうして佐原さんが私を選んでくださった理由をお話しくださったからには、それに応える”先生”でいたいとは思いますが、本当に私で大丈夫ですか。
「ちなみに、お気づきかもしれませんが、私は思ったことを考えなしにすぐ口にしてしまう悪癖があります。今後、そのことで気になったら遠慮なくお申し出ください。気分を害されたのであれば、すぐに謝罪いたしますから」
「いえ、その、そんなことは……」
気分を害したことは決してない。ほんのちょっぴり面倒だとは思ったけど。否定する私の表情をじっと見ながら佐原さんは言葉を継いだ。
「どうやら、私たち二人とも嘘や隠し事が不得意なようですので、何かあれば腹を割って話すようにしましょう。娘にとっても、教育に関わる二人がオープンな姿勢であるほうがプラスになるでしょう。今の私にとって、陽菜先生は娘の教育に必要な存在ですので、持ち前の元気さを前面に出して娘に会っていただけますでしょうか」
必要な存在なんて……やばっ、泣きそうになってきた。ここで泣いては、早起きして75分かけたメイクが台無しになる。メイクが崩れてこれ以上不細工な顔を晒す訳にはいかない。いや、そんなことを気にしている場合ではない。必要とされているのなら、元気で笑顔で正直者な教師をやってやろうじゃないか、どうせ私にはそれしかできない。ぐっと瞼を閉じ、溢れ出しそうな涙を押さえつけた。
私は種々湧き起こる感情を一旦腹の内に収め、大きく深呼吸した。
「佐原さん、ひとつお伺いしたいのですが……、現在、娘様はお家で独りでお留守番されているのでしょうか」
私の目を見つめながら、佐原さんは深く頷いた。
「小学校低学年の児童を長時間独りにしておくことは、安全面でも、教育的観点からも適当だとは言えません。大人の都合でそうせざるを得なかったとはいえ、まずは二人で娘様に謝罪しましょう。それから、二度とこういうことが無いよう、今後の対応を検討しませんか」
佐原さんはこれまで見せない驚きの表情を一瞬浮かべるも、ひと呼吸入れてから「ええ、そうしましょう」と優しく発した。心なしか柔らかな笑顔を浮かべているように見えた。
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