本当の故郷は現実にはもう存在していないもの。

 過去ではなく、未来を体験している気分になりました。

 幼き頃の過去の思い出の中の故郷と、現在のその場所は大きく違って当たり前。昔はあったあれやこれはなくなり、家族や友人もそこにはもはや暮らしていないこともふつうだろう。現在のその場所はもはや故郷ではなく、故郷の痕跡が残る場所に過ぎない。本当の故郷は、一人ひとりの心の中にしか存在していない。故郷で育とうが離れて暮らそうがそういうことだと思う。

 祖母も母も、認知症になった最晩年は生家に帰りたがっていた。加齢と病とで浅いところの、直近の記憶は次々と失われていく。最後まで残る記憶は深い深いところに保存されているモノ。つまり、世界と言うものの認識と記憶が始まったごく幼少期の記憶になる。だからときに帰るべき家として思い出されるのは幼少期に暮らした家、もうどこにも存在しない家になり、故郷も幼い時に暮らした故郷になるのだとワタクシはそう思う。

 少なくとも生まれて数十年、海外に暮らして四半世紀以上のワタクシにとっては、本当の故郷は、もっと広い意味で故郷としての日本と言う国そのものも、記憶の中にしか存在していない。そしてもし、認知症になればやはり、幼いころ暮らしていた家のことを思い出すのだろうなと思う。