Cys:35 身勝手な地図
「多分、ここら辺だよな……」
俺はスマホの地図アプリを見ながら、今、ちょっと郊外まで足を運んでる。
都心と違って緑が豊かだ。
人も少ないしゴチャゴチャしてなくていい。
ただ、道が分からん。
───ちょっと頼むぜ″青丸″さん……! お前さんだけが頼りだ。
と言ったものの、青丸さんってのは人じゃない。
地図アプリのナビカーソルで、俺はコイツに運命を託している。
理由は簡単。
俺がハイパー方向音痴だからだ。
昔っからそう。
ナビ無しで、すんなり辿り着いた試しが無い。
目的地に真っ直ぐ向かってるハズなのに、気付いたらいつも訳の分からん場所にいる。
───人生と同じじゃねぇか、ちくしょうめ。
そんな事を心の中で吐き捨てているが、迷っちゃいられん。
今、とあるヤツに会いに行くどこなんだが、そいつから言われてるのさ。
『耕助、どうせ遅刻してくるんでしょ』
ってよ。
悔しいじゃねぇか。
道に迷わなきゃ間に合うハズなんだよ。
だからかなり早めに出て、今の所は順調。
この青丸様を信じていけば辿り着くし、間に合うに決まってる。ハズだ……
「て、あれ? ここはどこだ?!」
おかしい。
とある『音楽教室』を目指してきたハズなんだが、それらしき建物は見当たらない。
けど、運命を託した青丸様はここで止まってる。
約束の時間までは後5分。
───チッ、これじゃまた言われちまうぜ……
方向音痴なのを見越して早く出たのにこのザマとは、我ながら情けねえ。
そう思ってうなだれたが、こんな時こそ一服だ。
周りに人もほとんどいねぇし、故にここは喫煙所。
タバコをくわえて一服しよう。
だがそうしようと思った瞬間、俺の背中の方から女の声が響いてきた。
「こら耕助! 路上喫煙は禁止なんだからね!」
「はあっ? 人のいないとこは喫煙所だろ……って、ああっ!」
タバコを指に挟み振り向いた先には、胸の前で腕を組んで俺をキツく見据えてる女がいる。
彼女はショートボブを揺らしながら、ツカツカと近寄ってきた。
「まったく、相変わらずね耕助」
「優美! お前さんも変わってねぇな……」
この女は『神崎 優美』
俺より8つ年下だが、敬語なんか一切使ってこねぇ。
まあ、そんなん今さらどうでもいいんだが、俺はまさにこの優美に会う為にここまで来た。
澪を勝たせる為には、優美の力が絶対に必要なんだ。
この世に数多くのボイストレーナーは存在するが、優美の腕は超一流。
AIドル達の台頭で消えたとはいえ、
「あれからもう、5年ぐらいだよな。元気にしてたか?」
そう問いかけると、優美は一瞬切なく視線を斜めに落としたが、俺の目を見て静かに微笑んだ。
「元気よ、お陰様で。まっ、少なくとも、誰かさんが勝手に事務所を畳んだ時よりはね」
「ったく、仕方なかったんだよ。あん時は……」
俺の脳裏に、事務所を畳んだ日の光景が蘇る。
それが終わり事務所を後にしようとした時に、優美が俺の背中越しに叫んできたんだ。
『耕助、待ってよ! 本当にもう……終わりなの?!』
『……あぁ、もう無理だ。
『それは、私だって悔しいよ……でも、でも諦めるなんて耕助らしくない! 耕助はどんな大変な時でも、いつだって……』
『やめろっ! ……もういい。終わったんだ』
『耕助……』
『すまねぇ優美。今まで、ありがとな……』
数年前の事なのに、思い出すと今でも胸にグッとくる。
けど、澪と出会った今はそれだけじゃない。
何というか、少し小っ恥ずかしい気持ちもある。
新しい夢を追う今となっては、昔の辛さに絶望するだけじゃない。
辛くとも、必要だった出来事だと思えるからだ。
そう思えるようになった今では、あの時に完全に絶望してた俺が、ちと恥ずかしくもあるのさ。
「すまなかった優美。あん時は、俺の勝手で振り回しちまって……」
優美も俺と同じように昔を思い出したのか、少し寂しそうに笑みを浮かべた。
「別に……許したわけじゃないけど、もういいわよ。耕助が身勝手なのは、出会った時からだし」
今の表情からすると、優美にとってあの日の事はまだ過去になり切れてない。
そんな気がした俺は軽くおどけてみた。
せっかくの再会なのに、ずっとしんみりしてるのも良くないからな。
「えっ、そーだったか? 俺はいつでも真面目で品行方正な、聖人君子のハイパージェントル、アルティメット聖徳太子……」
「ちょっと、どこまで続くのよ。もうw」
優美はおかしそうに笑ってる。
最初シリアスな雰囲気にさせちまったのは俺のせいだけど、やっぱ笑ってる方がいい。
それに、今日は優美に頼み事をしなきゃならんし、まずは打ち解けないとな。
「とりあえず優美、お前さんが思ってるよりはマシにはなったって話さ」
「……ハハッ、どーだか♪ また”身勝手”な話をしにきたんじゃないの?」
そう言われた時、俺は思わず言葉に詰まっちまった。
俺が今から優美にしようとしてる話は、まさに身勝手な話に他ならないからだ。
昔あんな事をしたにも関わらず、俺が優美に頼もうとしているのはカムバック。
澪を育てる為のボイストレーナーとして、戻ってきてもらおうと考えている。
もちろん、虫のいい話なのは百も承知だ。
例えるなら、自分から振ったクセに寄りを戻してくれと言うのに等しい。
ラノベの追放物だとしたら、優美から『もう遅い!』と言われちまうだろう。
それを承知でも優美を呼び戻したいのだが、話の切り出し方に悩んじまうんだ。
「あぁ〜まあ何というか、その……ちょっと色々あってだな……」
どうしたらいいかと顔をしかめる俺を、優美は艶のある大きな瞳でジッと見つめてる。
正直、参っちまう。
この瞳で見つめられると隠し事が出来ねぇんだ。
それに優美は賢いし、おおよその事には気付いているだろう。
───だからもう、言うしかねぇだろうが。何の為にここまで来たんだよ!
心で自身に
まるで恋の告白でもするかの如く、心臓がドクドクと波打つ。
「優美……ボイストレーナーとして、戻ってきてくれ! 今どうしても、お前さんの力が必要なんだ!」
告白のような宣言を受けた優美は目を一瞬大きく見開くと、すぐに呆れたような溜息を吐いた。
「はあっ……やっぱり身勝手じゃない。呆れた」
当然の反応だろう。
俺自身、優美にとんでもない無茶振りをしているのは分かってる。
すんなりいくハズがない。
ただ優美は、同時に少し興味のある素振りも見せてきた。
「けど耕助、そう言うからには見つけたのね。新しい輝きを……」
そう問いかけられた俺は、澪の持つ奇跡の歌声を心に思い浮かべて優美に告げる。
「ああ……
俺の言葉に優美はピクッと反応した。
包み隠さない俺の言葉が、心に届いたのかもしれない。
けど、当然すぐには信じてないようで、優美は軽く目を細めて零す。
「人間の最後の希望? 言うわね……何者なの、その子」
「優美、
俺はそこから優美に、澪との出会いと奇跡の歌声、そして
ちなみに、優美と
二人とも仲はよかったが、途中で決裂。
理由はシンプルで、
話の途中でさっきの俺のように、優美も
現に
ただ、優美はそこも黙って聞き終えると視線を斜め下に落とし、思案するような表情を浮かべている。
俺はその間、当然だが何も言わない。
いや、きっと今でも心の中にはあの日々の事があるに違いねぇのさ。
───でも、分かってる。あるよな優美。お前さんも“今“しなきゃいけない事がよ……
俺が今は澪を中心に夢を追って仕事しているように、優美にも今の夢や生活があるハズだ。
なのに、いきなりこんな事を言われても困るだろう。
けど考えてくれてるって事は、それと天秤にかけるぐらい
さっきまで軽やかに雑談までしていたのが嘘のように、俺と優美の間には沈黙が広がっている。
しかしその沈黙を、明るく弾んだ声が破った。
「あっ、神崎先生っ!」
「神崎先生、こんにちわ!」
優美と同時にその声の方へ振り向くと、そこにいたのは恐らくまだ10歳前後の少年と少女。
二人はキラキラした瞳で優美に片手を振りながら、タタッと駆け寄ってくると優美を見上げたまま微笑んだ。
「神崎先生、こんなとこで何してるのー♪」
「今日もお歌教えてねっ♪」
そんな二人に優美は優しく微笑むと、スッとしゃがんで目線を合わせた。
「ちょっと大事な人とお話してたの。後で教室に戻るから、光も摩耶も一緒に頑張ろうね」
「うんっ!」「はーい♪」
そう言って元気に駆けていく二人を、優美はスッと立ち上がって見送っている。
二人を見つめる眼差しは先生であると同時に、母親のようだ。
優美とは長く一緒にいたが、こんな表情は見たことが無い。
俺は思わずハッとして目を丸くした。
「優美、今のはお前さんの……」
「えぇ、教え子たちよ。今、私がやってる音楽教室のね」
その言葉と眼差しで、優美が“どういう今“を生きてるかが分かっちまった。
嫌という程に。
───優美、お前さんは立派だ。自分で、ちゃんと今を生きるための答えを見出したんだからよ。
もちろん、それ自体は本当に素晴らしい事だが、同時に優美が俺に何て言ってくるかは分かってる。
俺の顔に影がさした瞬間、優美は静かに告げてきた。
「だからごめん、耕助の気持ちには答えられない」
切なくも凛とした光に揺れる優美の瞳。
その瞳に見つめられた俺は、もうそれ以上、優美に何も言う事が出来なかった。
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