紙一重の分岐点

吉岡剛

紙一重の分岐点


「うーっ、さっむ!」


 1995年1月17日、AM5:30頃、神戸市某所。


 当時、プログラマーになることが目標だった僕は、新聞社の奨学金制度を使って大阪にある情報処理の専門学校に通っていました。


 新聞社の奨学金制度とは、新聞社が学費を出してくれて、それを新聞配達をして、その給料で返済していくという制度。


 なので、当日のその時間、僕はいつものように新聞を配っていました。


 1月の日の出前の時間というのは途轍もなく寒くて、当時は今ほど防寒してくれる服もなくて、凍えそうになりながら新聞を配っていました。


 各所に新聞を配り、いつもの場所で休憩をする。


 それがルーティーンでした。


 その日、休憩場所に到着したのがAM5:30頃。


 そこでいつものように温かい缶コーヒーを買い、休憩をしました。


「はぁ~、あったか……」


 身を切るような寒さの中で新聞を配達し、凍えてしまった身体に暖かい缶コーヒーが染み渡る。


 そのまましばらく、缶コーヒーで温まっていたのですが、その日はどういう訳か今までにない行動を取りました。


「もう一本飲んどこ」


 あまりの寒さにか、ただの気まぐれだったのか、いつもは一本ですます缶コーヒーをもう一本買い飲み始めました。


 それが生死の分岐点になるとも知らず……。


「ホナ、そろそろ行こか」


 そうして休憩が終わったあと、新聞配達用のバイクに跨り、発進したのですが……。



 ゾクッ!



 と、物凄い嫌な予感に襲われました。


 それは、今まさに後ろから車が迫っていて、自分にぶつかろうとしている。


 そんな感覚でした。


「!?」


 あまりにも嫌な感じがしたので、僕は慌てて後ろを振り返る。


 が……。


「あ、あれ?」


 そこには、車どころか人っ子一人いない、早朝の真っ暗な道があるのみ。


「えー? なんや今の? 気のせいか?」


 とりあえず車も来ていなかったし、気のせいだろうということでそのまま配達を続けました。


 そして、そのあとすぐに車が一台かろうじて通れるくらいの路地に入り、そこからさらにバイクから降りて人一人がようやく通れる道を通った先にある家に配達に行く。


 そのために、バイクのサイドスタンドを出して停車した。


 その瞬間でした。




 ガガガガガーン……。




 突然、そんな音が辺りに響いた。


「え? 雷?」


 その音は本当に雷の音に似ていて、僕は思わず顔を上げ、空を見ました。


 しかし、その冬空に雲は少ししかなく、星も見えていました。


「? 晴れてるな。なんやったんや、今の……」


 そう思った時だった。


「!?」


 突然、地面が落ちた。


 本当に、揺れたのではなく、落ちた感じだった。


 そのせいで倒れそうになりながらも、上下する地面の上でなんとか踏ん張っていると、今度は地面が横に揺れ始めた。


「う、うおおおおっ!? なんやこれ!? なんやこれえええっっっ!!??」


 本当に意味が分からなかった。


 もしかしたら、新聞配達は朝が早く常に寝不足状態だったので、配達しながら居眠りしてしまい、夢を見ているのではないか? とも思いました。


 しかし、揺れる地面は現実のもの。


 その場で右往左往しながら、でもなんとか倒れずにその場をやり過ごすことができました。


 そして、数十秒後、ようやく揺れが収まったとき、街灯も家の明かりも全部消えて真っ暗になった路地で、僕は思わずこんなことを呟いてしまった。


「……ノストラダムスにはまだ四年も早いやんけ……」


 この時は、本当にこれが地震だとは認知できていませんでした。


 ただ、なにかは分からないけれど、尋常ではないことが起きたことだけは分かりました。


「あ……そ、そうや、とりあえず逃げな……」


 あまりの衝撃でガクガク震える足をなんとか奮い立たせてその場から逃げようとしたのですが……。


「え? なんでこんなところに窓が……」


 逃げ出そうと道の先に視線を移した僕の側に、なぜか窓がありました。


 そして、その窓の正体を見たとき、僕の背筋がゾッとした。


 それは、僕が次の次に行く予定だった家の二階部分。


 その家の一階が潰れ、二階部分が僕のすぐ側まで落ちてきていたのです。


「あ、危なかった……」


 本当にあと少し。


 あと少し先に進んでいれば、この先に行っていたのです。


「あ、じゃあ、次の家は……」


 そこで見たのは、次の家に行くまでの道に設置されている高さ二メートルほどのブロック塀が全部倒れ、道を塞いでいる光景でした。


「……マジで死ぬとこやった……」


 そうは思ったものの、あまりの異常事態で実感はまるで湧きません。


 とにかくここから逃げなければと、来た道に目を向けると……。


「こっちもか……」


 その路地の入口には酒屋があり、普段からビールケースが高く積まれていたのですが、それが全て道に倒れ、通路を塞いでいました。


「バイクはアカンな……」


 辺りには割れたビール瓶が散乱していて、カブの細いタイヤなんか簡単にパンクしてしまう。


 なのでバイクを出して逃げることを諦めた僕は、歩いてその場から逃げ出した。


 すると……。


「うわっ! ビックリした! なんやこれ?」


 目の前に突然現れた黒い紐。


「……電線って……」


 それは、切れて垂れていた電線。


 この時、停電で通電していなかったと思うのですが、触れたらマズイと思い、電線を避けながら真っ暗な道を歩いていく。


 すると、今度は倒れた電柱が道を塞いでいた。


「マジでなんや!? なんやこれ!?」


 そのときは、その言葉しか頭に浮かんできませんでした。


 一体なにが起きたのか?


 外にいたから猶更なのか、本当に何が起きたのか分かりませんでした。


 それでも狭い路地が多いこの地域にいることがマズイのは分かるので、なんとかこの地域を出ようと歩いて行くと、片側二車線の国道に出ることが出来ました。


 そこには、車を止めて呆然としている人が何人かいました。


「! だ、大丈夫ですか!?」


 車から降りて呆然としていた女性が、僕を見付け話しかけて来てくれた。


 それまでずっと一人で混乱していた僕にとって、その声掛けがメチャメチャ嬉しかったのを覚えています。


「あ、はい、なんとか……これ、なんなんですか?」

「どうも地震みたいですよ……」


 その女性は車を運転していたとき、突然車が上下に揺れたのでパンクしたと思って路肩に停車したそうです。


 それなのにずっと車が揺れているから、地震だと気付いたそうです。


「地震って……神戸って地震起きへんのとちゃいましたっけ……」

「ねえ……」


 そんなことを話していると、こちらに向かってくる若い男女の二人組が見えました。


 近くのマンションに住む御夫婦だそうで、旦那さんの頭からは血が出ていました。


「すみません……病院まで行きたいんですけど、車に乗せてもらえないですか?」


 旦那さんが僕と一緒にいた女性に声をかけると、女性は二つ返事で「いいですよ」と答え、車でその御夫婦を病院まで連れて行くことになりました。


「キミも一緒に来た方がええで。ここにおったら危ないわ」


 その女性は僕にそう声をかけてくれて、御夫婦と一緒に病院に行くことに。


 車に乗り込んだ僕たちが見たのは、信じ難い光景。


 どこもかしこも家が壊れ、電柱が倒れ、電線が垂れ下がっている。


「……地獄やな」


 一緒に病院に向かっていた旦那さんがそう言った言葉が、今でも脳裏にこびりついています。


 そうして病院に向かっているときでした。


「わっ! ナニコレ!?」


 車が急ブレーキをかけて停まったのです。


「え? どうしたんで……」


 ドア側の窓から外の景色を見ていた僕は気付かなかったのですが、障害物が道路の片側を塞いでいました。


 それはとても巨大で、真っ白な……。


「……ボウリング場の建物の上のピンって、こんなにデカかったんやな……」


 今はもうほとんど見ないけれど、当時ボウリング場の建物の上にはボウリングのピンが立っていたのですが、それが二車線の道路を完全に塞ぐとは思いもしませんでした。


 片側二車線、合計四車線あるその道路でしたが、ボウリングのピンが片側を塞いでいるため、そこだけ交互通行になっており、対向してくる車に気を付けながら進んでいると、ある建物が目に入ってきました。


「すみません。病院行く前にアソコ寄ってもらっていいですか? まだ店に連絡してないんで」


 その建物とはNTTの建物。


 当時NTTの建物の前には公衆電話が沢山並んでおり、そこから店と実家に連絡しようと思ったのです。


 車を停めてもらい、大勢の人が並んでいる中に僕も並びました。


 そのとき……。


「……後ろ、火事起きとんな……」


 誰かがポツリと言った言葉に後ろを振り返ると、道路の反対側に少し入ったところから火の手が上がっていました。


「ホンマですねえ」


 本当にあのときは思考がおかしくなっていたのか、火事を見てもそんな感想しかでてきませんでした。


 そうして火事をボンヤリと見ている間に順番となり、いつも常備しているテレフォンカードを使ってまずは店に電話をする。


 しかし……。


「繋がらへんなあ」


 何回かけても話し中になり、一向に電話が繋がりません。


 この時、電話回線がパンクしていてどこもかしこも繋がりにくい状況だったそうです。


 しばらくかけ続けましたが、全然繋がらないので店への連絡は諦め実家に電話しました。


 僕の実家は結構ボロい家だったので、正直こっちの方は潰れているかもなと思いながらダイヤルしました。


 すると。


『もしもし?』


 電話口から聞こえてきたのは紛れもない母の声。


「オカン? え、家大丈夫やったん?」

『ああ、家は大丈夫やで。それよりアンタ、どこおんの? 弟が兄貴が帰って来えへん言うて出て行ったで』

「マジで? じゃあ、生きてる言うといて」

『はいはい』


 そのとき、道路の向こう側で家が崩れる音がしました。


「あ、ちょっと近くが火事になってて、ここ危なそうやし、怪我人を病院に連れて行ってる途中やから電話切るわ」

『ええ? アンタ、大丈夫なんか?』

「大丈夫、すぐ逃げるから。ホナ」


 そう言って電話を切り、車に戻りました。


「すみません、お待たせしました」

「連絡ついた?」

「はい、家にはつきました。店は繋がらなかったです」

「そうか……心配やな……」

「あ、いえ、多分店は大丈夫なんで。ただ電話が繋がらんかっただけやと思います」


 なぜそんなことが言えるのかというと、僕が働いていた新聞配達店というのが、割と大きな線路の高架下にあって、それが崩れるとは考えられなかったから。


 ともかく、僕の用事は終わったので再び病院を目指し、その病院に着いたのですが……。


「電気が来てないのでなにもできません!」

「ちょおっ! なんとかせえや!」

「見て下さいよこの状況をっ! なんかできると本気で思てますの!?」


 そこで見たのは、入口の自動ドアが割れて辺りにガラスが散乱し、停電により真っ暗になった病院の入り口で揉める、看護師さんと怪我人たち。


 病院の中は、外から見ても分かるくらいグチャグチャでした。


「……これはちょっと無理やな」


 その様子を見た旦那さんは、もう痛みは大分引いたのか落ち着いた声でそう言った。


「ここまで連れてきてもろて申し訳ないんですけど、これは無理ですわ。もう私も大分落ち着いたし血も止まってますし、戻りましょか」

「そうですね。これはしゃあないですよ」


 運転手の女性はそう言って、再び元の場所に戻りました。


 帰る道中、あちこちで火事が起こっていましたが、それに一々リアクションすることもしなくなっていました。


 ただ「ああ、ここも火事やなあ」くらいの感想しか出てこなかったです。


 こうしてみると凄く短い時間のようですが、この時点で既に地震発生から二時間ほど経過しています。


 もうすでに日が高くなっていました、


 元の場所に戻った僕は、もう大分落ち着いていたので、ビール瓶をどかしてバイクを取り出して帰ろうと元居た場所に戻ろうとしました。


 そこで、日が高くなったことでようやく周囲の様子を見ることができました。


 そのとき見た光景は……。


「……空襲でもあったみたいやな……」


 僕がいた地域は、古い木造平屋建ての建物が多く立ち並ぶ地域。


 しかも、後に知ったのですが、そこは活断層の真上にあり、所謂震度7地域だったそうです。


 そんなところに立っている古い木造の平屋。


 ひとたまりもなかったらしく、一区画全部の家が崩れ、見たことのない景色に変わってしまっていました。


 思考回路が麻痺していた当時の僕の感想は「見通しが良くなったな……」しか出てきませんでした。


 そんな壊滅的な被害がでている町を見ながら元いた場所に戻ると、そこで不思議なものを見ました。


「……俺、ホンマに、なんで生きてるんや?」


 それは、潰れた家の二階部分に塞がれた道路、倒れたブロック塀、崩れたビール瓶入りのビールケースの山が散乱している中、奇跡的に何もない数メートル四方の中に倒れているバイクの姿でした。


 それはつまり、僕がいた場所です。


 これも後から知ったのですが、そこから先、何ブロックか全滅だったそうで、道なんてもう確認もできない状態でした。


 つまり、ほんの数秒早くても遅くても駄目だったし、あのときもう一本缶コーヒーを飲まなければ、あの時の僕はこの先に進み、倒壊した家の下敷きになっているところでした。


 本当に奇跡としか言いようのないタイミングで、僕は生き延びたのです。



 こうして奇跡的に生き延びた僕でしたが、実はちょっと困ったことが起きました。


 当時、神戸から大阪にある専門学校に通っていたのですが、線路が寸断されてその年の三月いっぱいまで電車が不通で学校に通えなくなったのです。


 ですが、学校側が事情を考慮して公欠扱いにしてくれたので、そのま進級しました。


 しかし、三か月間なにも学んでいない状況で進級しても、全く授業に付いて行けません。


 正直、なにをしているのかサッパリ分かりません。


 その結果、学校もほとんど行かなくなり、就職も諦め、フリーターになることが確定してしまいました。


 その時、ふと思ったのです。


「折角奇跡的に拾った命なんだから、自分には似合わないとか思ったりせず、やりたいことをやりたいようにやろう」


 そう考えた僕は、自分が本当にやりたいことって何だろう? と考え、そういえば昔、姉の友達に「弟君、メッチャいい声してんね」と褒められたことがあるのを思い出しました。


 自分の人生で、唯一身体的特徴で褒められたことだったのでよく覚えていました。


 それに、当時からアニメをよく見ていたこともあり、そこから声優を目指すようになって養成所に通い始め、上京してナレーションの事務所に入ることになったのでした。


 なので、あの出来事は、正に人生の一回目の分岐点だったなと、今でも思います。


 二回目は2015年1月2日ですね。


 このとき、あまりの暇さに自分で小説を書いて投稿してやろうと思わなければ、今の自分はありませんので。


 ということで、今の自分の人生は奇跡的に、紙一重で生き残ったことにより、発生したルートの先にある人生を歩んでいます。


 あのとき、本当にバッドエンドになって、人生が終了していてもおかしくなかった。


 そんな、僕の阪神淡路大震災の体験談でした。





◆◆◆◆◆◆




 これは、僕がどうにかこうにかバイクをその場から出し、店に帰ったときの話。


 僕がカブに乗って店に帰ると……。


「ただいま……」

「「「ああああっ!! 帰ってきたあっ!!」」」


 店の片付けをしていた他の配達員たちが、僕の姿を見るなり絶叫していました。


 なんで僕が戻ったことでこんな大騒ぎをしているのかというと、それにはこんなドラマがあったそうです。



★★★



 地震発生後、続々と戻ってくる配達員たち。


 その中に僕の姿はありません。


「ねえ、剛君帰ってきた?」


 その配達店の店長の奥さんがそう聞くと、その店で全ての配達ルートを把握している配達員さんが、今の時間なら僕がこの辺を配達しているはずという地点を導き出し、その地域を見て全員漏れなく暗い気持ちになったそうです。


「ここ、古い家と路地ばっかりの場所やな……これは……ちょっと覚悟しといた方がエエかもしれんで……」


 その人がそう言ったとき、店の中はまるでお通夜のようだったと後から聞きました。


 それでもとにかく探しに行こうとしたとき、僕の弟が店に駆け込んできたそうです。


「兄貴、帰ってきましたか!?」


 その弟を見た店の人が、沈痛な表情で告げました。


「お兄さん、ちょっと危ない地域を配達しとったみたいやねん。今から探しに行くけど、もしかしたらってこともあるから……」


 そういう店の人に、弟は「それ、俺も付いて行っていいですか?」と一緒に行くことを志願したそうです。


 こうして、店の人数人と弟で僕の配達していた地域に来たのですが……。


「……無茶苦茶やな……」


 そのあまりの惨状に、いよいよ僕の生存は絶望的なのではないかと覚悟を決めたそうです。


 そして、配達地域に入ろうにも、電柱が道を塞いでいてそもそも道路が通れないし、どこからかガス漏れの匂いもしてきたそうで。


「……ここにおる方が危ないな。一旦戻ろか」


 そう言って店に戻るなり、店で待っていた他の人にこう言ったそうです。


「……剛君、諦めた方がいいかもしれんで……」


 そのとき、本当に絶望的な空気が店に流れていたそうです。


 そして弟は、急いで家に戻り、母にこう告げたのです。


「兄貴、ダメかもしれん!!」


 それを聞いた母は。


「え? さっき剛から連絡あったで?」

「……はああっ!?」


 僕が家に連絡したのが、ちょうど弟が僕を探しに家を出た後だったそうで、弟はその連絡を知らないまま僕を探しに行っていたのでした。


 母の言葉を聞いた弟は、その場で思わず大声を出してしまったそうです。


 そりゃあ、生存が絶望的だと思っていた人物から生存連絡がすでにあったと聞かされたらそうなりますね。


 でも、しょうがないですよ。


 後ろに沢山人がならんでいましたし、なりより火事が迫っていたんですから。


 ともかく、僕から生存連絡があったことを知った弟は、すぐに店に戻り、僕から連絡があったこと、怪我人と一緒に病院に行っているので帰るのが遅くなることを店の人に告げました。


 僕の生存が確定したのでホッと胸をなでおろしたそうなのですが、一度は生死不明になって物凄く心配をしたので、一言言ってやらないと気が済まない状態になっていて、僕が帰ってくるのを手ぐすね引いて待っていたそうです。


「アンタ! 生きとんやったらさっさと帰って来んかいな!」


 店の人から口々にそんなことを言われ、連絡したけど繋がらなかった、などのやり取りをしながら、こんなに心配してくれていたことを嬉しく思ったりもしたのでした。



 ちなみに、学校の友達から店に連絡があったときも「あああっ! 生きてたあっ!!」と絶叫され、学校に連絡をしたときも「あああっ! 吉岡君! アンタ生きとったん!?」と絶叫されました。


 なんか皆、ニュースを見るたびに僕の生存は絶望的だと思っていたそうです。


 心配をかけて申し訳ない気持ちと同時に、心配してくれていた嬉しさでちょっと顔が緩んだのが懐かしい思い出ですね。


 この専門学校での授業内容はほとんど覚えてませんけど、ここで徹底的に仕込まれたブラインドタッチが、今この仕事に大いに役立っています。


 本当に、人生はなにが起こるか分かりませんね。


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