5章 4話
母の居室に呼び出されたのはそれから数日後のことだった。
話の内容は大体想像がつく。
ラルディムは扉の前で小さくため息をこぼした。
「あれ、ラルディム様?」
俯いていたら、廊下の奥から声をかけられる。
「ロガレル」
二、三日会わなかっただけだが、少し久しぶりな気がした。
なぜ彼がここに、と首を傾げる。
「ラルディム様も、王妃様に呼ばれたんですか?」
「君も?」
「はい。呼ばれた時は何か俺がしでかしたのかと思いましたが、貴方もいるならこれは別件ですね」
ロガレルが眉を寄せる。
「なんか嫌な予感がしてきたな……」
「私も嫌な予感はしてる」
「まぁ入らないわけにもいかないんですが」
ロガレルが扉を叩く。
「王妃様、ロガレルです。殿下もいらっしゃいます」
「声が聞こえてましたよ。入りなさい」
扉を開ければ、イミアが机について微笑んでいた。
その笑顔に、嫌な予感がさらに深まる。
「来ましたね。何の話かは、リディ、貴方は予想がついていますね」
「……私の結婚話ですか?」
「その通りです」
イミアが満足げに頷く。
「あれから各家の子女のことを調べていましてね、ちょうど良い女性がひとり」
「あの、母上。私は結婚する気はないのですが……」
「寝言ですか?」
厳しいことである。
しかしラルディムは抗議を込めて言葉を続けた。
「せめてもう少し待ってください。私は決められた結婚は嫌です」
「私と陛下も決められた結婚でしたよ。まぁ、十になる前には決まっていましたが」
イミアが子供に言い聞かせるように指を立てる。
「いいですか、貴方は、婚約者がいるのは当然として、とっくに結婚していてもいい歳です。王家の人間ならば政略的な結婚に文句を言うこともできません」
現実的にはそうなのだろうが、納得いかないことはある。
確かに父と母は政略結婚だ。北部領主家の長女であったイミアがファズレムに嫁いだのは、イミアが十四でファズレムが十六の頃だったと聞いている。
だがその結果がこの家庭だ。
父と母が必要以上の会話をしている姿など見たことはないし、それぞれが本人なりの愛情を示してくれているものの、ラルディムのことを六年もの間ロガレルに任せきりにしたのも事実だ。
要するにこうはなりたくない。
不服そうに黙り込んだラルディムを見て、ロガレルが困ったように口を開く。
「あーそれで、王妃様。なぜ私がここに?」
「この子のことを相談するのであれば、貴方が必要でしょう」
「はぁ……。それだけなんですね?」
「おや、流石に勘が良いのね。それだけではありませんよ」
イミアが楽しそうに笑う。
どうしてこういう時の彼女の笑顔はこうも人を不安にさせるのだろうか。
「ロガレル、王家の婚姻のしきたりは知っていますね?」
「……ええ。各領主家の力の関係が崩れないように、先代とは違う家柄に類する方を王妃に選ぶのが慣例です。まぁ各領主家で持ち回り制になっているというところですね」
「私は北部の女です。となれば当然、ラルディムの相手は南部領主家から選ぶのが筋でしょうね」
ロガレルが顔を顰める。
「それには反対です、王妃様。私の存在がありますから、これ以上殿下と南部の縁を深めるべきではありません」
「あら、貴方には都合が良いのではなくて?」
「私は家のことよりも国のことを考えておりますから」
「なるほど、よくわかったわ」
イミアが頷く。
それを納得だと思ったのだろう、ロガレルが付け足すように口を開く。
「それに南部から出すにはもう一つ問題がありますよ。今の南部の親類には結婚ができる適齢の女性はいませんから」
「ロガレル。私は息子の結婚相手を選ぶにあたって、あらゆる問題は無視することに決めたの」
「はい?」
イミアの意図が読めず、ロガレルもラルディムも首を傾げる。
イミアはにっこりと笑う。
「ひとり良い女性がいることを私は知ってるわ」
「……王妃様。まさかとは思いますが……」
「ラルディム、貴方、自分の妻になる相手には何を求めますか?」
急な質問に困惑する。
「私は妻はいらないのですが……」
「そんな我儘が通用すると思わないで」
仕方ないので真面目に考えてみる。
とはいえ求めるものなどわかりようもなかった。ろくに女性のことも知らない人間に、女性に求めるものなどわかるだろうか。
ラルディムはぼんやりとレミのことを思った。
「……芯の強い方であれば、別にそれ以上は何も」
ありきたりな結論に着地する。
それが女性であろうと男性であろうと、深く関わる人間ならば芯が強く信念のある人が良い。
というか、そういう人間が好きだ。
イミアが頷く。
「では問題なさそうね」
「問題しかありませんが」
ロガレルが声を上げる。
「本気であの子のことを言ってるんですか?」
「芯の強い子でしょう?」
「強すぎることが問題なのですよ」
ため息をつくロガレルとは対照的に、イミアは楽しそうにころころと笑う。
「私、あの娘のことが好きなのよ。ラルディムもきっと好きになると思うわ」
「いったい誰の話をしてるんです?」
ラルディムが当惑しながら尋ねてみれば、イミアがとっておきの秘密を明かすように答える。
「ロガレルには可愛い従妹がいるのよ。関係性で言えばほとんど妹のようなものなのかしら?」
「……ええ、あれとは確かに共に育ちました。だからこそ断言しますが、あれは結婚のできる女性には入りません」
ロガレルが額を抑えながら言う。
ここまで困っているロガレルを見ることは、きっとこの先もないだろう。
「えっと……ロガレルは何をそんなに心配しているの?」
思わず尋ねてみる。
ロガレルは言いづらそうに顔を顰めてから、重い口を開いた。
「あのじゃじゃ馬はこれまでに二つ縁談を潰して、その上生涯結婚はしないと宣言しているんですよ。南部領主家の頭痛の種です」
「じゃあ元から無理な話じゃないか」
何を考えているのかと母の方を見る。
イミアはその辺りの事情も当然知っていたようで、動じることなく笑顔を浮かべていた。
「結婚したくない者同士、一度会ってみれば良いと思いますよ」
「何のためにですか」
「気が変わるかもしれないでしょう」
自信を持ってそんなことを言われると、返す言葉も無くなってしまう。
「どちらにせよ、王妃の用意した席を断ることは二人ともできませんよ。これには陛下も同意しているのですからね」
「そんな強引な……」
イミアがふっと真面目な顔で立ち上がり、ラルディムの手を取る。
「結婚が義務というのは嘘ではありません。でも私は母として、貴方の人生に良き伴侶がいて欲しいと思っているのよ」
「良き友がいます」
「いついかなる時でも運命を共にし、裏切れば互いに滅びるしかないような、そういう相手を得るのは私たち権威を纏う人間には難しいことです。貴方の隣に、信じられる相手を置いてあげたいの」
母の言うことはよくわかった。
ロガレルの顔を見る。
彼を信じられるだろうか。
自分の隣には彼がいればそれで安心だと、そう言えるほど深く、信じていられるだろうか。この先もずっと。
一人では生きていけない。
だが誰の手も心から安心して握ることができない。
そんな現実を変えられる誰かがいるのならば。
「……わかりました、母上のために一度お会いすることにしましょう。ですが結婚を承知したわけではありませんからね」
「聞き分けの良い子でよかったわ」
イミアが微笑む。
怖い人ではあるが、それでもラルディムのことを想ってくれているのは確かだった。
「ロガレル、南部領主の了承はすでに得ています。貴方から従妹さんを説得しておいてちょうだい」
「はぁ……あまり期待しないでくださいね」
ロガレルが憂鬱そうに頷く。
何にせよ、少し騒がしいことになりそうだった。
────────────────────────
「どういうことですかお兄様!」
大きな声と共に、少女が部屋に駆け込んでくる。
ロガレルは来たかとため息をついた。
「お兄様、私に約束しましたよね。結婚などしなくても良いと!」
「頼むよメミラ、理解してくれよ」
メミラと呼ばれた少女は、ばんと机に手を置く。
長い黒髪が綺麗に揺れた。
「どうしてこんなことになっているのですか」
「俺にもどうにもできないことなんだよ。王妃様の命令に俺たちが逆らえると思っているのか?」
「そこをどうにかするのが時期当主としてのお兄様の務めでしょう!」
「俺が当主になっていたらこんなことはさせなかったさ」
キッと緑の目を持ち上げてメミラはロガレルを睨む。
身内から見ても、どこをとっても美しい少女だった。
ロガレルは二度目のため息をつく。
「いいか、メミラ。当主はまだ父上だ。俺たちをどうするかの権限は父上の元にある。あの人が王妃からの申し出を断ると思うのか?」
「お父様に頼んで抗議してもらいます」
「君のお父上でもこれはどうすることもできないよ」
「では私が直接王妃様に抗議しても良いんですね?」
「やめなさい、やめてくれ。一度会うくらい別に良いだろう」
メミラは不服そうに腕を組む。
そして切り札のように口を開いた。
「お兄様。前回の婚約破棄の時に、私が何をしたかお忘れですか?」
ロガレルが顔を顰める。
「忘れられるはずもないだろう。見合いの席で男の顔を殴り飛ばす女なんてお前くらいだよ」
「不埒な男にはそのくらいするのが戦士の国の女としては当然では」
メミラがふんと鼻を鳴らす。
前回の縁談は散々だった。
メミラは当然として、ロガレルも悪かったのは相手の男だとは想っているが、貴族の女が貴族の男に手をあげるなど前代未聞の騒動だった。
自分のことを侮辱されている間は耐えていたメミラであったが、相手の戯言が父親のことまで侮辱したので、耐えきれず殴ったという話だと聞いている。
平手ではなく拳でいったというのだから相当だろう。
「一応言っておくけど、殿下のことは殴るなよ」
「殴らせたくなければ無理やり会わせないでください」
「その場合飛ぶのはお前の首だけじゃないんだよ……」
あのラルディムが相手ならばそんな事態にはならないとは思うが、釘を刺しておくことは重要である。
メミラがロガレルの肩を掴んでがくがくと揺さぶる。
「ねぇ、本当にもうどうにもならないの?」
「ならない、ならない。諦めて一回だけ会ってくれ。悪い人じゃないから」
一度会うだけ、とは言うが、会えばこちらから断るようなことはできなくなるのだから、従妹のこの抵抗は当然だろうと思う。
「まぁ殿下も結婚には前向きじゃないみたいだから、な?」
「どうしてお互いその気がないのに会わなくてはならないのですか」
「この歳までその気もなく居続けてしまったからだよ」
こんなことなら早めに納得のできる結婚相手を双方に見繕っておくべきだったかもしれない。
いや、どちらもそれでは納得しなかっただろうが。
「それに良い機会だろう。お前だって殿下には会ってみたいと言っていたじゃないか」
「臣下としてならお会いしたかったですとも。お兄様が目をかけて育てた人なんて興味あるに決まってるわ」
「お前から見てどんな人だったか教えてくれよ」
憂鬱極まりない今回の件だったが、一つ利益があるとすればそこだと思っていた。
メミラはロガレルから見ても賢い少女だ。
気が強すぎるところはあるが、頭の回転も早く、普段ならば思慮深さも評価できる水準である。
彼女がラルディムという人をどう見るか、興味があった。
人を見る目の確かな少女だ。きっと有益な判断を下してくれるだろう。
本音を言えば、この縁談が上手くいけば良いと思っている部分もなくはない。
二人の気が合うかはともかく、能力は良い具合に溝を埋めてくれるような気がするし、それに二人がいつまでも独り身で生きていくというのも心配な話ではあった。
とはいえ本人の意思を無視するわけにはいかない。
会ってみなければ何も始まらないだろうとロガレルは判断づけていた。
案外上手くいくかもしれない。
そうしてくれれば悩みの種が一つ二つ解決するということになる。
「わかりました、では調査ということで」
変な方向で納得したのだろう、メミラが真面目腐って頷く。
「そうでも思わないとやってられません」
「会ってくれるなら何でもいいよ」
何とか同意してくれたようで安堵する。
手のかかる従妹だが、可愛い妹でもある。あまり嫌なことはさせたくないし、悲しむようなことも怒るようなことも人生から取り除いてやりたい。
今回のことも、悪い結果にならなければ良いと思う。
しかしロガレルにはどうにもできないことだった。
「俺も平均的な悩みに困らされるようになったもんだ」
ロガレルはやれやれとため息をついた。
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