4章 5話
はぁ、とため息をついてラルディムは机に突っ伏す。
「全く、母上は本気で言ってるのかなぁ」
「本気でしょうよ」
ロガレルが呆れたように返す。
「まさか、生涯結婚しないとでも考えていたわけじゃないでしょう」
「そのつもりだったけれど」
「馬鹿を言いなさい。王妃も後継もいなくてどうするつもりだったのですか」
「君がそんなに普通のことを言うとは思わなかったよ」
不服を込めて言ってみる。
ロガレルは黙って肩を竦めた。
実際、逃れられない義務なのだろうが、ラルディムはそれに迎合するつもりはなかった。
誰かと連れ添って生きるなど自分にできることではないだろう。
冷たい家族を作るくらいならば、一人で生きたほうが良い。
そもそも国のために生きる人間に生身の家族が必要だろうか。血筋のためだけの結婚などしたくはなかった。
「良いじゃないですか、結婚。女性が嫌いなんですか?」
ソジットが軽い口調で言う。
ラルディムはゆるゆると首を横に振った。
「別にそういうわけじゃないけれど……」
「じゃあ問題ないじゃないですか、ねぇ」
ソジットがロガレルに話を振れば、ロガレルは困ったように顔を顰める。
「お前はなんでここにいるんだよ」
「ちょっとお喋りにね」
「仲良くするのを認めた覚えはないぞ」
「良いじゃない。人が多いほうが楽しいよ」
ラルディムが笑って言う。
あれから何度かソジットとは話す機会があったが、愉快な面白い人だ。軽妙で、今まで関わったことのないような人だから、一緒にいて楽しい。
ロガレルはどうにもそれが不服なようであったが、その理由は今ひとつよくわかっていなかった。
ラルディムとソジットが顔を合わせると、いつも少し態度が神経質になる。ロガレルにしては珍しいことだった。
「まぁ貴族王族である以上、結婚なんてどうせ逃れられないんだから、好きな女がいるのでもなかったら、気楽に考えれば良いんですよ」
ソジットの軽口に、ラルディムは首を傾げる。
「そもそも君たちもまだ未婚じゃないか」
「俺はまだ遊んでたいですからね」
ソジットがけらけらと笑う。
「それに俺には結婚を押し付けてくる親もいないもんで、気楽なもんです」
「……そうなんだ。それは、ごめんね」
「なに、親が死んだのは記憶もないくらい幼い頃なので、気にしちゃいませんよ。他の人に良くして貰いましたし」
明るい人に思えていたが、その礎には別のものもあるのだろうか。
軽やかなようで妙にしっかりして見えるのも、幼少期の経験がそうさせているのかもしれない。
「そうは言うが、俺の両親がお前に持ってきた縁談をいつも駄目にしてるのはお前の勝手だろう」
ロガレルがため息混じりに指摘する。
ソジットはまた楽しそうに笑った。
「そりゃあまだまだ遊んでたいからね。俺には結婚なんて向いてないよ」
「理由は別だけれど、私も結婚は向いてないと思うんだけどなぁ」
ラルディムが憂鬱を込めて呟く。
「自分のことで必死なのに、他人を大事にするのなんて難しいよ」
「大事にする気があるなら結構ですよ。甘やかで温かな婚姻なぞほとんどないのですから」
ロガレルが淡々と言う。
なるほど、それが現実なのだろうが、残酷な話である。
結局貴族や王族の結婚など血筋や家柄のためのものであって、愛から成されるものではない。
そういう冷たさがラルディムは嫌いだった。
「そういえばロガレル様の婚姻の話ってどうなったんです?」
ソジットが思い出したように言う。
ロガレルが苦虫を噛み潰したような顔になる。
「はいはい、俺の結婚ね」
「そんな嫌な顔するなよ。許嫁が泣くぞ」
「話は進んでると思うよ。あんな若い子がこんな男と結婚するほうが可哀想だと思うけれどね」
「あまり仲良くないの?」
そういえばロガレルの口から婚約者の話を聞いたことはなかったと思う。
ロガレルは曖昧な表情で首を振った。
「というより、ほとんど会ったことがありませんね。俺はこんな感じでいつも忙しくしているので……」
「私の世話にかかりきりだったことが原因じゃない?」
ふと嫌な予感がして尋ねてみると、実際その通りではあったのだろう、少し沈黙が流れる。
「まぁ婚約者と過ごす時間より、あなたと関わる時間を優先したのは否めませんね」
「何だか悪いことをしたね」
「あなたがいなけりゃ戦争に関わってただけですよ。恋愛よりも政治の方が好きでね」
それはそうなのだろうと思う。
人のことよりも世界のことを考えている時間の方が長いような男だ、確かに恋愛は向いていないのかもしれない。
ソジットが真面目な口調で口を開く。
「ロガレル様は小さい頃がらずっと戦争に関わってたから、この六年はラルディム様のことで戦争や陰謀から離れられて良かったんですよ。失った少年期ってね」
「そうなの?」
「まぁ完全に全てを休んだわけではありませんが、その側面はありますね。良い休暇でした」
ロガレルも頷く。
そう言ってくれているだけだとは思うが、それでも少し気の楽になる話だった。ロガレルの人生を何年も食い潰したと考えると、重苦しい気持ちになる。
「しかしまぁ、それも終わりですね。戦争も本格的に始まることですし、俺もしばらくはここで働かなくては」
「君が王城にいてくれるのは心強いよ」
「ラルディム様の目下の問題ごとは、結婚の話よりも次回の評議ですからね」
もう一つの憂鬱の材料を思い出してラルディムはため息をつく。
人前は苦手だ。仕方ないことだとわかっていても身が竦む。
「そうだ、次の評議はお前も顔を出せよ、ソジット」
ロガレルが不意に言う。
ソジットはきょとんとして首を傾げた。
「何で俺が?」
「叱られに行くのだから、手土産くらいはないと困る。クリュソの内情に関して少し話してくれよ」
「アンタに伝えておけば良いだろう」
「俺にも色々考えがあるんだ」
納得のいかない顔をしつつも、ソジットはわかったと頷く。
ラルディムにとっては知り合いが増えるのは喜ばしいことだった。
憂鬱なことは尽きないが、先に進むのを止めるわけにはいかない。
窓から空を見上げながら、ラルディムは先のことに思いを馳せていた。
────────────────────────
評議はある日の午後に行われた。
王と四人の領主たち、それから何人かの官僚と武官、近侍や近衛兵だけが出席する、小規模なものだ。
評議の場は王の御前ということもあり、皆武器を預けて部屋に入る。例外は王家の護衛だけだ。
ラルディムの後ろに控えるザミスも剣を帯びている。
東部領主の席にはジスクが名代として座っていた。
順番に席を見ていたラルディムは、珍しい姿を見つけて小さく声を上げる。
そこには従兄のサガラムがいた。
彼は属国となったチレードの王位に着いたため、レオラで顔を見るのは随分と久しぶりのことであった。
未だ切ることを許されていない銀色の長い髪は、彼のこの国での立場の複雑さを表している。
ラルディムが気づいたことに気がついたのだろう、小さく微笑み返してくれた。
ラルディムとサガラムは仲の良い従兄弟だった。愛鳥のトジュは誕生日に彼から贈られたものである。
何だか味方が増えたような気分になり、少しだけ気が安らぐ。
最後に部屋に入ってきたのはロガレルとソジットだった。
本来ならば王が最後に来るところではあるが、ロガレルはわざとそうしたように見えた。
ラルディムが目線を遣れば、ソジットが小さく手を振る。
「相変わらずの遅刻癖だな」
ファズレムが咎めるように言う。
ロガレルは怯むことなく綺麗な笑顔を作ってみせた。
「主役は後から来た方が良いかと思いまして」
「軽口はよせ、ロガレル。王の御前だぞ!」
南部領主が立ち上がる。
ファズレムが嗜めるように手を挙げた。
「良い。お前の子の不遜は今に始まった事ではない。今更咎める気にもならんわ」
「しかし陛下……」
「どうせ得意の演出であろう。乗ってやる必要はない」
ファズレムのロガレルに対する評価は厳しいもののようであった。
それによく見ている、とラルディムは思う。
咎められることを承知でそうしているロガレルを咎めないのは、彼の思惑には乗らないということだ。
父のことも侮れないと再確認させられる。
「さて、評議を始めよう。まずは各領地の内情から報告してくれ。北から始めろ」
領主たちが順番に発言し、領内の様子を述べていく。
北、西、南は概ねいつも通りの様子であったが、東部はロベッタを取られた影響もあり、戦に向けて動きが始まっているようであった。
戦の足音に気が重くなる。
その後、官僚たちが細々とした諸問題の報告をあげ、それにファズレムが指示を下していくのを、ラルディムは重々しい気持ちで眺めていた。
本当に近い将来、自分が父と同じように振る舞うことができるのだろうか。
考えても仕方のないことであるし、できなくともできるようにならなくてはいけないことだったが、荷が重いと感じられる。
「さて、定例報告はこの程度にしよう。本題に入ろうではないか」
ファズレムがロガレルを睨め付ける。
「先日の砦攻めはロガレル、お前に一任していたな」
「はい、陛下」
「詰問の前に、こんなものが南部領主宛に届けられてな」
ファズレムが指示を出すと、侍従の一人が木箱を持ってロガレルの前に置く。
「開けろ」
ロガレルは少し躊躇ってから、木箱の蓋を開いた。
生臭い匂いが部屋に広がり、ロガレルが顔を顰める。
「首、ですね」
一同がざわめく。
「南部の将の首に相違ないな?」
「腐り始めているため人相は分かりませんが……それ以外の首が送りつけられる心当たりはございませんな」
ロガレルが努めて平静を装っているのがラルディムにはわかった。
戦士ではないロガレルは、血や悍ましさに慣れてはいない。
「その箱には奇妙なものが同封されていてな」
ファズレムが何かを取り出す。
よく見れば、それは大きな羽根のようであった。
どんなに大きな鳥でも、これほど大きな翼は持ち合わせていないだろう。
橙色に輝くその羽根は、血に染められたように黒ずんでいた。
「これが何か、お前は知っているな?」
ロガレルは薄い笑みを浮かべた。
「この目で見るのは初めてですが」
「説明してもらおうか」
「チレードの置き土産ですよ、陛下」
ロガレルは立ち上がり、手を広げて歩きながら話し始める。
かつかつと靴音が部屋に響く。
「思いませんか、皆様。神秘はなぜ神秘なのか。何故秘密のまま箱の中に閉じ込められなければならないのか」
ロガレルが何を言い出したのか、皆が黙ってその先を待つ。
「箱を先に開いた者がこの戦争の勝者です。神秘を恐れたまま、前に進まず停滞していれば、必ず負けます。事実、チレードとの戦争があと五年長引いていれば我々は敗戦の憂き目に遭ったでしょう」
「何が言いたい」
「チレードは若き国王を中心に神秘の研究を進めていました。その中に魔獣と呼ばれる異界の生命体の研究も。私はその研究成果を戦線で実験してみたに過ぎません」
「事実か、サガラム」
王に話を振られて、サガラムが重々しく頷く。
「はい、陛下。事実、チレードでは非人道的な実験が繰り返されていました。只人を魔術師にする研究や、異界に関する研究資料などが多く発見されています」
「何故報告にあげなかった」
「狂気の王の乱心であるのか、現実味のある研究であるのか確信が持てなかったからです。それに、この国では神秘の類は受け入れられないと判断しました。しかしこのような事態になる前に報告すべきでした、申し訳ございません」
サガラムが深く頭を下げる。
ファズレムはため息をついた。
「それで、不確実な研究成果をロガレルに融通したと」
「彼ならば事実を究明し、また誤った使い方はしないと信頼してのことです」
「お前とロガレルの仲は知っているが、軽挙であったな」
ロガレルとサガラムが親しいというのは今まで聞いたことがなかった。
ラルディムは意外な気持ちで二人を見つめる。
今回ロガレルが詰問されている内容は、二人の共謀だったということなのだろうか。
「戦線に出ていた兵士たちから、有翼人面の獣を見たという報告が数多く上がっている。これは我が国としては到底認められないことだ」
ファズレムの言葉に、ロガレルは馬鹿にしたような笑声を返す。
「認めなかったら魔獣がいなくなるとでも? クリュソは必ず神秘を武器にしてきますよ。その時、我々は火器も持たずに剣と槍だけで戦うというのですか。クリュソが動くその前に、我々が神秘を武器にするのです。さもなくば、断言しましょう、勝ち筋はありません」
しん、と室内が静まり返る。
ロガレルの言うことはわかる。
特に神秘の存在をすでに知っているラルディムにとっては、それは遠い未来の話でも、杞憂でもなかった。
だがこの古臭い国が、神秘を受け入れ、神秘と戦い抜くことができるだろうか。
「それで、お前はチレードに倣って神秘の研究なぞを進めろとでも言うのか?」
「無論です。神秘を人の手の届かないものから、我々の手の中に引きずり下ろすのです。砦攻めの結果は思わしくありませんでしたが、事実、魔獣は砦に壊滅的な損害をもたらしました」
「魔獣を持ってしても砦は落とせなかったというのが事実だ。お前の言うように魔獣が戦争の鍵であるのなら、何故負けた?」
ロガレルが足を止めて、ファズレムに向き直る。
「それも神秘です、陛下。敵に魔術師がいたとの報告が上がっています。もはや戦場の狂気と呼んで見て見ぬふりをすることはできません。クリュソは既に魔術を武器にしています」
ロベッタがクリュソの属領になったということは、ハクトもクリュソにいるのだろう。
それならばレオラは必ず魔術師と戦う羽目になる。
ラルディムは小さく手を握りしめていた。
「ですがまぁ、此度の敗戦はそのことばかりが原因ではありません」
ロガレルが手を振る。
「以前から、南部軍の動きがクリュソに露見していることがありました。内通者です」
「なに?」
部屋のざわめきが一層強くなる。
南部領主が驚いたように立ち上がる。
「ロガレル、それは真か。何故先にこちらに報告をあげなかった!」
「父上に言おうと陛下に言おうと結果は同じです。面倒な報告はまとめてするに限りますからね」
「ロガレル!」
「叱責ならば、この後に」
ロガレルの表情が真剣さを帯びる。
「今回、魔獣を用いるという作戦の要の情報を、怪しい者に分散して伝えました。結果、クリュソ側は魔獣の件を感知できず、内通者の正体を突き止めるに至りました」
「その者は今?」
ファズレムが険しい顔で問いかける。
ロガレルは一瞬黙り込んで、それから諦めたように口を開いた。
「ここに」
誰も口を開かなかった。
ロガレルもそれ以上何も言わなかった。
永遠にも思える沈黙の後、がたんと音を立ててソジットが立ち上がる。
青い顔で震えていたが、目だけが奇妙に光っていた。
「ソジット……?」
思わずラルディムも立ち上がって呼びかける。
青色の瞳と目が合った。
ソジットが追い詰められたように笑みを浮かべる。
「いったい、いつから……」
「お前が王家に忠誠心を抱いていないのは知っていた。ずっと昔からだ」
ロガレルが冷淡に答える。
ソジットは声を荒げた。
「いいや! いいや! 俺以上にこの国を、王家を想っている人間がいるものか。俺は自分の仕えるべき王を知っている!」
「その結果が裏切りか?」
「裏切り?」
ソジットの声が冷え切る。
そこには何よりも深い怒りが込められていた。
「裏切りだって?」
「ソジット!」
白い顔をしてサガラムが呼びかける。
ソジットは一瞬そちらを見たが、悲しむように首を振って、ロガレルに向き直った。
「初めに裏切ったのはお前じゃないか!」
世界の時間が止まったようであった。
ソジットが靴の隙間から短剣を取り出す。
驚いてロガレルが目を見開くのと、誰のものとも知れない悲鳴が上がるのが同時だった。
突き出された短剣が、腹部を庇ったロガレルの腕に突き刺さる。
「ロガレル!」
ラルディムが声を上げた時、ザミスが既に動いていた。
長剣を抜き払い、背中からソジットの胸を貫く。
「……あ」
自分の胸から突き出た剣先を見下ろして、ソジットがよろよろと膝をつく。
「ソジット」
痛みを堪えた顔で、ロガレルがその名前を呼ぶ。
「……お前は俺の目で、耳で、手足でなくてはならなかった。脳に逆らう身体はいらない。ここで終わりだ」
「……ああ、これが終わりか……」
ザミスが剣を抜く。
ソジットはそのまま地面に崩れ落ちた。
赤い、血溜まりが白い床に広がっていく。
ラルディムは何も言えずにその場に立ち尽くしていた。
否、誰も何も言えずにいた。
長い時間が経った。
脈をとったザミスが口を開く。
「死にました」
「……ご苦労であった、ザミス」
ファズレムが頷く。
ジスクがロガレルの腕の止血をしていた。
「ロガレル、医務室に行きなさい。詳しい話はまた別の機会に聞こう」
「……はい、陛下」
「死体は荒野にでも放っておけ」
その言葉を聞いた時、ラルディムは無意識のうちに口を開いていた。
「あの、陛下」
皆の目線が集まる。
「……なんだ、ラルディム」
「弔ってやるわけにはいきませんか?」
自分の甘さを露呈することは今後の得にならない。
敵には厳しく、裏切りにはさらに厳しく接するべきだ。
しかし。
ロガレルがただ驚いた顔で自分を見つめているのを、ラルディムは視線の端で感じていた。
「彼は私の友でした。二心あれど、彼の全てが嘘であったとは思いません。道を違えども国を想ってのことに違いないはずです」
「ならん。背信者に温情を与えることはない」
「お願いします、陛下。死体に罰を与えることに何の意味もないはずです」
「あれの心が違えばお前が傷ついていたかもしれないのだぞ!」
ファズレムが声を荒げる。
しかしラルディムは真っ直ぐにそれを受けていた。
「私の敵が国の敵でしょうか。王の敵が国の敵でしょうか。彼の長い勤めに免じて、どうか温情をお示しください、陛下」
これはきっと言ってはいけない言葉だった。
国とは王であり、王とは国でなくてはならないのだ。
そうでなければ権威が揺らぐ。
誰もが固唾を飲んで二人を見つめる。
ロガレルでさえ、口を挟むことはなかった。
長い沈黙の末、サガラムがゆっくりと口を開く。
「陛下、発言をお許しください」
「……良い、話せ」
「ソジットの遺体をチレードに持ち帰らせてくださいませ。そこで殿下のお優しさのために彼を弔いましょう。しかし故国の土で眠ることは許しません。それがこの男への罰になるでしょう」
ファズレムはそれでも迷うように黙り込んでいたが、やがて静かに頷いた。
「……許そう。異国の土に埋めるが良い」
「ありがとうございます、陛下」
「ラルディム、それで良いな?」
「はい、陛下。御温情、ありがとうございます」
助けられたと思う。
サガラムにはまた恩ができてしまった。
しかし衝動的な発言だったが、後悔はない。
あの優しい人が何故国を裏切ったのかはわからないが、それでも彼の名誉を守ってやれて良かったと思う。
ファズレムがラルディムの肩に手を置く。
「しかしラルディム。よく覚えておけ。私はお前の敵を許す気はないということを」
ラルディムは目を見開いて、それからゆっくりと微笑んだ。
誰もがその笑みを見つめていた。
「大いなる愛情に感謝いたします、父上」
────────────────────────
「殿下」
評議の帰り道、ザミスと共に歩いていたところをジスクに呼び止められる。
「なんだい?」
「少しお話が」
「外しましょうか?」
ザミスの言葉に、ジスクは良いと首を振る。
「すぐ終わります」
そう言って柱の影に三人で入ると、ジスクは苦々しい顔で口を開いた。
「殿下は今回の裏切りの背景をどこまでご存知ですか?」
「……いや、何も知らない」
「それではやはりお話ししておく必要がありますね」
ジスクが何故自分にそんな話をするのか、見当もつかなかったが、黙って頷く。
「今回の件は、王位継承権の問題が絡んでいます」
「……私も無関係ではないということか」
「はい。この国には、サガラム様を王位に据えようと考えている連中が多くいます。ソジットも若い頃はサガラム様に付き従っていたため、その一派でしょう」
そういう話があるだろうということは、何となく予想はついていた。
不出来な自分だ、見限る人が多くても仕方ない。
「現状、サガラム様がチレードの王位を継いだことで勢力は鳴りを潜めていますが、それでもまだ根強い勢力です。中にはソジットのように、クリュソと組んで王位を簒奪しようと考えている者もいます」
「なるほど、よくわかった」
「本題はここからです」
ジスクの目がラルディムを見据える。
「殿下、ロガレルに気をつけてください」
それは予想もしなかった言葉だった。
驚いて目を瞬かせる。
「……どうして?」
「ロガレルはその昔、誰よりも熱心なサガラム様の信奉者でした。今何故貴方のお側にいるのか、皆疑問に思っています」
「……知らなかったよ」
ロガレルの口からサガラムの話を聞いたことはなかった。
二人に面識があったことも今日知ったくらいだ。
ロガレルの真意はわからない。だが、秘密にしていたということは事実だ。
急に足元の地面がなくなったかのような不安感に襲われる。
「あいつが国や殿下を裏切るとは今のところ思ってはいません。ですが、あれは酷薄な男です。何かきっかけがあれば、昔に戻る可能性も大いにあります。どうかお気をつけてください」
「……ロガレルは私を裏切らないよ」
「本当にそう言い切れますか? ロベッタに貴方を置き去りにした男ですよ」
ロガレルは何故自分の側にいてくれるのだろうか。
何故自分を支え、笑いかけてくれるのだろうか。
考えないようにし続けてきた疑問が首をもたげてくる。
ラルディムはあまりにロガレルのことを何も知らなかった。
「……忠告ありがとう。よく考えてみるよ」
こんなことは考えたくなかった。
しかし、考えなければならない。
ラルディムはよろよろとその場を離れながら、あの血溜まりを思い出していた。
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