1章 4話

 翌日も眩しすぎるような晴れだった。

 ハクトの言っていた雨はまだしばらく来ないだろう。

 それよりも目下、軽率に引き受けてしまった面倒ごとをどうにかしなければならない。

 カロアンはうんざりした様子で後ろを歩くリディをちらと見た。


 大人しい奴かと思えばこれがどうして好奇心の強い奴で、先ほどから落ち着きなく目を動かしたかと思えば、あれはなんだと質問ばかり重ねてくる。

 気まぐれ程度で申し出るのではなかったと、カロアンは昨日の気の迷いを早くも後悔していた。

 後悔しても途中でやめはしないのが、この青年の面白いところでもあるのだが。


「この街に、議場はないの?」


 周囲を見回しながらリディが言う。


「議場だ?」

「うん。今はそうではないとはいえ、かつては議会を中心に作られていた街でしょう? それなのに、今のところそれらしい建物が見当たらなかったから」

「……一応、街の中央にあるぞ」


 一応と言ったのは、今では誰もそこに近づかないからだ。

 形だけは立派に作られたその集会所は、指導者を失った街には不要なものとなった。だからといって壊すわけにも、作り替えてしまうわけにもいかないのは、そこに何かを賭けてしまう愚かさのせいで。

 来るはずもないいつかのために、壊せないのだ。

 その複雑さを、どうやってこの部外者に伝えられるだろうか。

 そこまで考えて、馬鹿らしいなとカロアンは首を振る。

 伝える必要なんてない。


「あるけど、案内するほどの場所でもないってだけだ。他にまだ聞きたいことは?」

「ごめん、うるさかったよね」

「そういうことを言いたいわけじゃ」


 無駄に察しの良い奴だ。

 否定しようとして濁すのは、自分から言い出したことなのに疎ましく思った、その罪悪感のせいで。

 カロアンは灰の目をぐっと細める。

 何を言おうとしているのかもわからないまま口を開いて、ちょうど良く後ろからかけられた声に、救われたような思いで振り返った。


「あら。カロアンと、リディくんだったかしら?」


 首を傾げて笑っていたのは、やはりレミだった。

 琥珀色の目を細めてにこにこと笑っている。

 両手に荷物を抱えているところを見れば、買い出しの帰り道と行ったところだろう。


「あ……初めまして、リディです」

「初めましてじゃないわよ、昨日も会ったじゃない。ねぇ、私の名前覚えてる?」

「……レミさん?」

「大正解!」


 レミは楽しそうに笑ってリディの方へと身を乗り出す。


「昨日も思ったけど、やっぱり綺麗な目してるわね。羨ましいわ」


 意外でも何でもないが、リディは女慣れしていない様子で狼狽えたように一歩後ろに身を引いた。


「えっと……ありがとう、ございます?」

「駄目よ、こういう時は君こそ綺麗だよくらい言わなくちゃ」

「え、あぁ、気が利かなくてごめん」

「もう、変な子ね」


 レミが声を上げて笑う一方で、リディはただ困ったようにカロアンの方を見る。

 カロアンは呆れと愉快さが半分ずつの笑みをこぼした。


「ほら、レミ。お坊ちゃんからかうのはそのくらいにしてやれよ」

「人聞きが悪いわね。からかってなんかいないわ」

「アニエのところ戻るなら、それ持ってやるから貸しな」


 言いながら彼女の腕の中の紙袋に手を伸ばせば、やるじゃないなどと生意気なことを言われる。

 全くどこでその強かさを身につけるのだかと、カロアンは年下の少女に一種の尊敬の念を抱いた。


「ごめんね、リディくん。見てまわってるとこ邪魔しちゃって」

「いえ、もう結構見せてもらいましたし」

「本当? じゃあ良かった!」


 変わり身も早く、何一つ気にしていないような様子で、レミはリディの手を引いて歩き出す。


「お姉さんがお酒奢ってあげるわ」

「えっと……私の方が年上だと思いますよ」

「そんなのどうでも良いわ。私の方がお姉さんっぽいでしょ?」

「そういうものかな……」


 全く気ままなことだ。

 二人の後ろを歩くカロアンは、ふとレミの細い手に、昨日の腕輪がはめられていないことに気がついた。

 どうしたのか問うてみようかと一瞬だけ考えて、すぐにやめる。

 そこまで親しいわけでもなければ、装身具の一つや二つが一体なんだというのだろう。

 一切が、自分には何の関係もないことだった。

 

────────────────────────


 アニエの酒場に戻ったレミは、適当な席にリディを座らせて、その目をじっと覗き込んだ。


「うん、もったいないな」


 リディは居心地悪げに目を逸らす。


「……何がですか?」

「せっかく綺麗な色の目なのに、あなた全然楽しくなさそうね」


 ハクトの目に似ているとレミは思った。

 鮮やかな色をしているからかもしれないが、二人の瞳は生物の一部というより、宝石か何かが埋め込まれているように見える。光がない、何とも不安にさせられるような目だった。


「何か困ったことあったらアニエさんに言うのよ。あの人、あんな感じでもすごく良い人だから」

「ありがとうございます」

「あ、勝手に楽しくなさそうとか言ってごめんね。気に障ったなら謝るわ」

「いえ、全然」


 慌てて遮って、リディは困ったように微笑んだ。


「本当のことですから」

「ふぅん……」


 気に入らないな、とレミは心の中で呟く。

 見るからに良家の生まれとわかる、恵まれた人生を持つこの少年が楽しくないだなんて。それならば自分たちなどどうなってしまうのだろうか。

 そこまで考えて、くだらないなと思う。

 相手のことなんてお互いわかりようもないのだから。


 リディが人生に何を求めているのかもわからなければ、レミのようにロベッタに生きる人間の人生を理解できるわけもない。

 生まれからして別のものなのだ。

 本当にくだらない。

 レミはすいと目を細めて、笑っているように表情を作った。


「じゃあ、ここの滞在は楽しんでね」

「……ええ、そうします。ありがとうございます」

「寝る場所の問題は解決してるみたいだし、食事についてもここに来れば何とでもなるわ。あと他に心配事はある?」

「滞在の代金って、先にまとめて払っても問題ないですか?」

「あら、アニエさんから聞いてないの? そんなの誰もいちいち払ってないわ、気にしないで」

「でも……」

「お客さんでしょ。ちゃんともてなされなさい」


 言いかけたリディを黙らせるように、レミはぴしゃりと言った。


「……どうして、そこまでしてくださるんですか?」


 困惑したようにリディは言う。

 こうしていると本当に子どものようで、これで年上なんてとてもじゃないが信じられない。


「難しく考えすぎ。受け取れるものは受け取っておきなよ」

「そういう問題じゃ……」

「まぁ、一つ言えるとしたら、リディくんはハクトくんのお客さんだからかな」

「ハクトの?」


 リディが目を瞬かせる。

 賢いようで間抜けなようで。レミは何だかおかしくなって、笑いながら口を開いた。

 さっきの今でごく自然に笑えた自分に、少し驚く。


「ハクトくんが誰かに興味を示すなんて珍しいもの。あの子のこと、皆なんだかんだ言って好きだからなぁ。特にアニエさんは心配してるみたいだし」

「心配なんて、あんな強い人には要らないように見えるのに」

「強いから心配なんだよ、多分ね」


 一人でも生きていける人間は、一人で生きていってはいけないのだと、アニエは言っていた。

 その言葉の意味を理解できたわけではないが、何となく、レミは心の中で大切にしている。


「リディくんにはそういう相手いないの? 強さとか関係なく、無条件に心配になってしまうような人」

「うーん、どうなんだろう。いないかな。私の方が心配かけてばっかりだから」

「そっか。じゃあいつか、そういう人ができると良いね」

「レミさんにはいるんですか?」

「私?」


 聞き返されるとは思っていなくて、一瞬答えを迷う。

 心配するほど大切な相手が、自分にいるだろうか。

 迷って、真面目に答える必要もないと思い直す。


「秘密」


 自分の空虚を隠すために、レミはとびきりの作り笑いを見せた。


────────────────────────


「ガキは元気で良いなぁ」


 レミとリディのやりとりを横目に、カロアンは呟く。

 ふん、とアニエが愉快そうに鼻を鳴らした。


「ちょっと二十を超えたくらいで、アンタも生意気言うようになったわねぇ」

「そりゃ姉さんに言わせたらみんなガキだろうよ」

「そうとも。大人しく子ども扱いされな」


 ポンと放り投げられた酒杯に、カロアンは思わず笑ってしまう。


「おい、子どもに酒なんか飲ませんなよ」

「子どもこそ逃避が必要な世の中なもんでね。中毒のジジイ共に注いでやる酒はないよ」

「アンタ本当にいい女だよ」


 笑いながら注いだ酒を飲み干す。

 ふっと微笑むアニエに、カロアンは気になっていたことを思い出した。


「そういや、レミとかいうあいつ。ここで働くにしちゃあ随分若くないか?」

「ああ、そうだね。十六だったかな? ハクトと同じ年頃だよ」

「姉さんが子どもを雇うなんて珍しいな」

「ちょいと訳ありでね」


 くい、とアニエは目の横で指を曲げる。

 この街では誰もが訳ありだろうが、とカロアンは心の内で思った。

 何もなく生きていける奴などいない街だ。

 とはいえ、アニエは普段決して子どもを働かせない。こんな場所は子どもには相応しくないと、そういう信条のようなものが彼女にはある。

 それを曲げたということは余程の訳があったのか、あるいはレミに何かを見出したのか。

 どちらにせよ自分には理解できないなと杯を机に置いた。


「姉さんも拾い癖が抜けねぇな」

「店の前で泣かれてちゃ、入れないわけにもいかないだろう」

「そんなお人好しがこの街でよく生き延びてると思うぜ」

「なぁに、恩を売っときゃ見返りもあるってものさ」


 そう言って笑い出す彼女がこれまでどんな人生を歩んできたのかなど知る由もなく、きっとこの先も聞くことはない。

 ぽん、と強く肩を叩かれる。


「カロアン。あの子のこと、ちょっとだけ目をかけておいてやってくれないかい?」


 意外な言葉だったが、カロアンは何も聞かずに頷いた。


「わかったよ。姉さんに頼まれちゃ仕方ないな」

「手出したらぶん殴るよ」

「あんな子ども相手に何言ってんだ」

「ははは、悪いねいつも」

「アンタが俺に面倒見ろって言うガキは大抵厄介なんだがな」

「ハクトのことかい?」


 肩を竦めて見せれば、そうだろうねぇとアニエは懐かしむように目を細めた。

 ハクトと出会ったのはこの酒場だ。アニエがどこかから見つけてきて、その頃はまだ少年たちの求心力に過ぎなかったカロアンに、面倒を見てやれと急に言ったのだった。

 もう五年ほど前のことだ。

 カロアンは当然、ハクトも全く納得していなかったようだったが、その日から何だかんだと今日まで続いてしまっている。

 カロアンがハクトについて知っているのはそれ以降だけだ。

 それより前は、あれほど目立つ奴なのに、誰も何も知らない。


「全く、あんな奴どこから拾ってくるんだか」 

「たまたまだよ。どこの誰なのかは私も知らないねぇ」

「何で俺に任せようと思ったんだ?」

「おや、何でだと思う?」


 アニエの青い目が、カロアンを映す。

 ハクトに出会った十代のあの日に引き戻されるような、不思議な感覚がした。

 何も答えずにいると、アニエは微笑みながら煙草に火を付ける。


「アンタたちが寂しそうだったからだよ」


 白い息と共に吐き出された言葉に、カロアンは苦笑いを浮かべた。


「何だよそれ」

「寂しそうで、つまんなそうで、まるっきり孤独みたいな顔してさ」

「そりゃアイツだけだろ」

「アンタもさ」

「へぇ。じゃあ今は?」


 そう尋ねてみれば、アニエはにやりと笑った。


「鏡見てきな」


────────────────────────


 深い夜が始まろうとした頃、ふらりとハクトが酒場に顔を見せた。

 気まぐれなことだとカロアンは溜息を吐く。

 昨日の今日で来るとは誰も思っていなかったのだろう、居合わせた面々はこぞって驚いたように口を閉ざした。


「一日中どこほっつき歩いてたんだ?」


 からかうようにカロアンが声をかければ、ハクトはつまらなそうな顔で肩を竦める。


「別に、どこも」

「何だよ。お前がいないせいでこっちは子守りが大変だったんだからな」

「子守り?」

「あの妖精野郎のことだよ」


 カロアンは目線でリディの方を示す。

 少し離れたところにいる彼は、レミに気に入られたのか色々と連れ回されているようで。時々困ったようにこちらに助けを求めて来ていたが、当然カロアンは無視していた。

 今は古い衆と話しているようで、比較的安心したように、時々笑みも見せながら大人しく座っている。

 ハクトはしばらくそんなリディの様子を見ていたが、やがて首を振って彼に背を向けた。


「妖精、ね。言い得て妙かもしれない」

「なんだ。あいつやっぱりそういう類なのか?」

「あいつと話してると、見透かされているような気分になることがある。そのくせ変なところに疎いし。人間の常識ってもんがないんだ」

「ああ、なるほどね」


 それはお前もだろうとは口に出せず、カロアンはただ同意を込めて頷く。

 リディは普段は呆けたガキに見えるのに、ふとした時に冷たさすら感じるような鋭敏な顔を見せることがある。

 カロアンに言わせればどうにも不気味な一面だったが、今の様子を見るにハクトは随分気に入っているようだ。


「お前も悪趣味だよなぁ」


 ハクトは形の良い眉を不愉快そうにぐいと寄せる。


「別に、趣味とかじゃないでしょ、ただの気まぐれ」

「俺は絶対ああいう奴と関わるのはごめんだね」

「あら、でも今日は仲良くしてたじゃない」


 とんと後ろから背を押されて、カロアンは笑い混じりに振り返る。


「何だよ、レミ」

「ハクトくんいるからこっち来ちゃった」

「正直なこった」


 ハクトはとりわけ何の反応も見せずに、ちらと見遣っただけでまた無関心に酒場の喧騒へと目を向ける。

 女嫌い、というよりは全くの人嫌いだろう。あるいは自ら愛想を振りまかずとも他人から寄ってくるためだろうか。

 どちらにせよ困った奴だ。

 レミは少し膨れて見せたが、何の効果もないと悟れば、すっぱりと諦めたようにまたいつもの快活な笑顔を見せた。


「リディくん、面白いのよ。やっぱり貴族の子みたいだけど、あの歳でお酒苦手なんですって。結構飲ませちゃったけど平気かな?」

「お坊ちゃんに無理させるなって」

「あら、まるで保護者。結構仲良くなったのね」


 レミの軽口に、カロアンは思わず顔を顰める。


「やめろよ。レオラ人と仲良くするなんてごめんだね」

「はは、レオラ国はお嫌いかしら? 最近よく攻めてくるもんねぇ」


 軽やかに笑うレミと対照的に、ハクトがふっと表情を曇らせる。


「やっぱり気がつくよな」

「どういうこと?」


 唐突なハクトの言葉にレミはきょとんとする。

 ハクトは説明しようとするように口を開いたが、カロアンはそれを遮るようにレミに声をかけた。


「レミ、お前それ持ってあっち行ってろ」

「えぇ、なんでよ?」

「なんでも良いから」


 カロアンには珍しく厳しい声だった。

 レミも常ならぬものを察したのだろう、すぐにまたねと笑い、花の酒瓶を持って席を立つ。

 残された甘い香が、沈鬱な空気に不釣り合いなまま宙を彷徨っていた。



 ハクトは説明を求めてカロアンを見る。

 カロアンはうんざりしきったように首を振った。


「何だよ、その目」

「どうしてわざわざ退席させたんだ」

「戦争の話を女に聞かせる気か?」


 ありえない、とカロアンは言い捨てる。


「もう時期戦争になるって言いたかったんだろ」

「そうだけど、あの女だってそのくらい勘付いてるでしょ。いざ戦争になったら、男も女も関係なく被害に遭うんだから」

「そういうことじゃねぇだろ」

「……まあ、別に良いけど」


 カロアンの保護者面は気に食わないが、レミがいようといなかろうと、ハクトにとってはどちらでも良いことだった。

 そんなことを議論したいわけではない。


「クリュソもレオラも、それぞれ小国との戦争が終わってから随分経つ。そろそろ小競り合いだけじゃなくて大戦を起こせる基盤が整ったはずだ」

「そうなりゃロベッタも騒がしくなるだろうな」

「まあね」

「さて、どうしたもんか」


 妙に軽い口調でカロアンが言う。

 違和感に隣を見たハクトは、らしくもなく、彼が無理に笑っていることに気がついた。


 不安、なのだろうか。

 戦争が始まれば、両国の間に位置する目障りなロベッタは真っ先に狙われるだろう。今までのような小規模な小競り合いならともかく、大国に本気で攻め込まれればこんな小さな街などひとたまりもない。

 勝ち目のない局面だ。


 ハクトはやっと、カロアンがレミを離席させた理由を悟った。

 同時に、心底馬鹿らしいと思う。

 現実から守ってやったところで、いつかはその日が来るのだ。


「どうするも何も、やることは変わらないだろ」


 ぶっきらぼうに答えれば、そうだよなとカロアンは笑う。

 守りきれないことなどわかりきっていても、政治機構や決定機関がないロベッタではどちらかの国に帰属することも決められない。和解を図るのも不可能だった。

 最後まで戦うしかない。

 ハクトは深い溜息を吐いた。


「この街と心中か」

「そういうこと口に出すなよ」


 カロアンが咎めるように言う。


「お前がそれを言ってくれるなって」


 そんなことを言われたところで、ハクトにだってどうすることもできないのだ。

 勝てもしなければ、退くこともできない。

 悲観的でも何でもそれが現実だった。

 ハクトは不機嫌に舌打ちをする。


「……おい、リディ」


 立ち上がって、白髪の少年を呼びつける。

 レミたちに囲まれていたリディは助かったというような顔で振り向いて、それから深刻な雰囲気に気が付いたのだろう、すぐに二人のいる卓についた。


「どうしたの?」

「レオラとクリュソが開戦する確率、どのくらいだと思う」

「……そこまで直接的に聞かれるとは、思わなかったよ」

「この方が話が早いだろ」


 リディが迷うように目線を揺らす。

 開戦するかどうかというとより、答えることの利害を頭の中で計算しているのだろう。

 食えない奴だ。

 口元を押さえてしばらく考えていたが、やがてリディは諦めたように簡単に答えた。


「近いうちに、必ず」

「自信があるんだな」

「そういうことは少し知ってるんだ。今は開戦の条件が十分に揃っている。ロベッタへの攻撃も、事実増えてるんじゃないかな」

「条件って?」

「両国とも小さな国との戦争が終結して数年、やっと内政が安定してきた。さらにこの前クリュソで女王が代替わりしたというから、レオラにとってはまたとない好機なんだ。新女王の体制が不安定なうちに仕掛けたいと考えているはずだよ」

「お前どうにかしろよ」


 カロアンが無茶を言う。

 リディは困ったように唇を噛んだ。


「私には無理だ」

「貴族なんだろ。戦争するなとは言ってない、関係ないからな。でもこんな小さい街くらい放っておいてくれても良いだろ」

「私にそんな力はないよ」

「人質としてもか?」


 敵意のこもった声に、リディが怯んだように肩を揺らす。

 ハクトは何も言わずに二人のやりとりを見ていた。

 リディに何もできないと言うのは事実だろう。何かできるなら、こんなところにいない。カロアンだってそんなことはわかり切っているはずだ。

 それでも言わずにはいられなかった。

 カロアンにとって、この街に生きる人間にとって、リディは単にレオラの貴族であり、紛れもない敵なのだから。


「……人質をとれば敵対の意志を示すことになる」


 リディが目を伏せたまま、慎重な声で言う。

 カロアンは鼻で笑った。


「どっちにしろ攻め込まれるなら同じじゃねぇか」

「……私が君の立場なら、私を使ってレオラを脅すんじゃなくてクリュソに売りつけるよ」

「は?」


 予想に反する言葉にカロアンが面食らったような声を出す。

 ハクトもその意図が読めないままリディの顔を見つめていた。


「クリュソに私を売り渡して、その代わりとしてクリュソにロベッタの保護を求めるのが一番良い方法だと思う。もちろんロベッタの構造的に難しいだろうけれど、決定機関がないということは、君たちがそうすることを止められる人もいないはずだ。それが一番この街の安全に近い」

「……それは提案なのか?」

「私としてはそうしないでいてくれると助かるけど」


 リディは困ったように笑った。


「でも君たちがそうするなら、どうしようもないかな」

「お前はそんな風に死にたいわけ」


 ハクトは冷たい声で言い捨てた。


「死に場所探しなら他所でやれ。オレたちにさせるな」


 リディが戸惑ったように目を揺らす。


「そういうつもりじゃ……」

「じゃあそんなふざけたことは二度と言うなよ」


 杯を卓上に強く置く。

 溢れた酒の鮮やかな香りが心底疎ましかった。


「お前を売ってまでして、誰かに隷属して生きるのなんてごめんだ」

「……ごめん」


 目を伏せるリディと何も言わないカロアンを置いて、ハクトは振り返ることなく店を出た。



 夕日色の髪を目で追って、カロアンは溜息を吐く。


「お前が悪いぞ」

「でも、そうするのが君たちにとっては良かったはずだ」

「俺たちは人間の屑だけど、誰か一人に押し付けて生き延びるなんてことはしない」


 理性では、リディの言うことが正しいのだとよくわかっている。

 生き残りたいなら、街を守りたいなら、それが一番賢い方法なのだろう。

 そしてカロアンは、そういう賢さが大嫌いだった。


「そこまで落ちぶれちゃいないんだ」

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