5 悪鬼よりも人こそが
「おい、飯だぞ」
陰鬱な声と同時に納屋の扉が開き、砂埃で靄がかった白い光が差し込んだ。薄暗い空間に囚われているものだから、淡い陽光ですら、眼球を焼きそうなほど眩しく感じる。
蒸した玄米を包んだ葉と水差しを抱えてやって来たのは、人間の子どもほどの大きさの黄色い
清高の両腕は、内手首を合わせるようにして互いに結ばれている。不便ではあるが、握り飯を食うには困らない。
清高は貪るようにして僅かな食糧を胃に流し込むと、喉を鳴らして水を飲み、口元を拭って大きく息を吐いた。
館の敷地の片隅にあるこの納屋は、主殿からは程遠い。それゆえ、あの晩以降の状況については明確には把握できていない。
だが、見慣れぬ俗鬼ばかりが食事を運んで来ることや、未だ
鬼導丸の真意は知れないが、わざわざ危険を冒して鬼頭の当主に成り代わるならば、人にとって不都合な策を企んでいるに違いない。鬼から人の暮らしを守る東国武者の棟梁が悪しき
曙を数えるのも、出された食事を米粒一つ残さず食べるのも、いつか反旗を翻す日が来ると願っているからだ。雌伏して時を待つ。ただそれが、清高にできる唯一の……。
「清高様、どうしたのー。大丈夫ー?」
不意に、膝元から間延びした声がして、清高は思わず肩を震わせて視線を落とす。見れば、見慣れた緑色の俗鬼が心配そうにこちらを見上げていた。確か、奈古女につけていた家僕だ。
突然の俗鬼の登場に、鼓動が一回二回飛んだ気がする。清高は止まっていた呼吸を整えてから、唾を飲み込んで言った。
「おまえ、確か」
「あくびだよー」
「あくび?」
「奈古女様が名前くれたのー」
あまりにも安直な命名に、常であれば頬が緩むところだろうが、今はそれどころではない。
「おまえ、生きていたのか」
「うん。あの日ね、おいら
「
「あそこ嫌いー。どろどろぐるぐるした重たい感情ばっかりなんだもん。地上の方がよく眠れるー」
鬼や人を食うことを望まない、人間に近い感性を持つ俗鬼は一定数存在する。あくびもそうした鬼の一体なのだろう。ならば、もしかすると、状況を打開する切り札になるかもしれない。
「あくび、若殿のことは好きか」
「若殿? うーん、嫌いじゃないよー。あんまり話したことないけど」
「では、奈古女様のことは」
「奈古女様、好きだよー。おいらに名前くれたしー」
「そうか、ならば頼みがある。奈古女様を探して、館の状況を伝えてくれ。清めの波動が生まれる場所に、彼女はいるはずだ。出立する前に、大殿の墓から
「ええーお墓を荒らしちゃだめなんだよ。それに、髻は大事なんだよー。切られるなんて、すっごい恥ずかしいことなんだよー」
「致し方ない。大殿もご理解くださるはずだ」
通常、罪人でもないのに髻を切られることはない。だからこそこれは、大きな証拠になる。
対外的には大殿は存命だ。そのため、貴人らしく
「あくび、頼む。このままでは、人食い鬼食いの粗暴な鬼たちが、東国を蹂躙することになる。そうなれば、ゆっくり昼寝もできなくなるぞ」
「えー、それは困るー。うーんわかったよ。お墓掘りに行くねー」
「そしてそのまま奈古女様のところへ向かい、
「わかったよー。清高様、元気でねー」
少し気づかわしげな目で清高を見上げてから、俗鬼は板壁の小さな裂け目に身体をねじ込ませて外へ出た。
あくびの姿が消え、再び静寂が訪れると、純鬼の清高は瞼を閉じて神仏に祈った。どうかこの混乱を制すのが、悪鬼ではなく人でありますようにと。
二章 終
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