第十四話 モンスターを倒す
「保子、話があるんだが」
そう切り出された時、いよいよかと覚悟を決めた。何気ない調子で「なにかしら」と自分の口から出てきたが、その声もどこかしら震えていた。部屋の空気はいつもよりも冷え冷えとしている。
「明日の弥尋の授業参観なのだが、俺も行っていいか」
そして別ベクトルからの内容に少しばかり気落ちする。小さく舌打ちを打ちたくなるのを抑え「あなた仕事は?」と言うにとどめた。
「有給を取る。娘の授業参観に行く、これ以上ない理由だと俺は思うがね」
「それはまあ、そうだけど」
「不服か」
封筒から一枚の紙を抜き取り、相手に渡す。私の様子から緊迫感が伝わってきたのか、「ああ、そういやそうだったな」と納得した様子だった。
「分かった。帰りに四条さんのところへ行こう」
「弥尋も連れていく?」
「そりゃそうだろう。家族全員で来るって決まりだ」
「弥尋はまだ11だけど」
「遠藤さんの娘さんは小三で連れて行ったそうだが」
ただの会話の消化合戦にも飽きてきた頃合いで、弥尋を呼んだ。久しぶりに顔を出したと思えば目の下に大きなアザができていた。
「弥尋、あなたそのアザどうしたの!」
いつもよりも大きな声が出てしまい、テレビをつけようとしていた手が止まる。「どうした?」という声を遮って私は怒り心頭に弥尋を叱りつけた。
「あなた最近おかしいんじゃない?毎日決まった時間に帰ってこないし。今まで何も言わなかったけど、今日はちゃんと説明してくれるのよね」
弥尋は澄ました顔で父親の隣に座った。私を避けているようなその動きに更に怒りが込み上がってくるのを感じる。
「保子、今何時だと思ってるんだ。そんな大きい声で怒鳴ることでもないだろう」
そりゃあ娘が自分に懐いていたらそうやって擁護するだろう。私の気持ちなんて誰にも理解されないまま、ましてや家族にすら理解してもらえないのだからどうしようもない。私は涙が溢れるのを堪えるのに必死だった。
「いやぁ新鮮だな、弥尋が授業を受けているのを観れるのは」
呑気にそう話す父親の隣、私は少し距離をとって歩く。既に新婚だったあの頃の面影は互いにすっかり消え去ってしまっている。それに向こうは気づいているのだろうか。上機嫌な様子に水を差すこともできず、何も話しかけられない。
先生に誘導されるまま、私たちは弥尋のいる教室へと案内された。教室へ向かう際、他の教室からは子供達の愉快そうな声が聞こえてくる。少しだけ緊張がほぐれるのを感じる。
「こちらです」
そう言って案内された「5-C」と書かれた教室。その扉を開く前に何やら違和感を感じた。その違和感に父親も気づいたようで「なんだか、妙だな」とこぼした。
私たちの後ろに続く他の保護者もこの違和感に気づいたようでヒソヒソと話し声が聞こえてきた。
「静かね・・・・・・」
「子供たちは中にいるのよね?」
そういう声が聞こえてくる。騒がしい他のクラスの前を通ったからこそ、この差が顕著で違和感が増している。
先頭だった私が扉を開く。中に入る。思わずギョッとした。
児童は全員椅子に座っていた。しかし誰も私たちが教室に入ってくるのを見向きもしなかった。担任の先生は「こちらに並びください」と誘導してくれるが、その堂々とした態度はまるでこれが日常の風景あることを物語っていた。
「どういうことだ」
違和感に圧倒され、私にそう尋ねてくる。
「先生が厳しいのだろうか」
しかし弥尋の担任とは以前にも面談で話をしたことがあったが、特に厳しい雰囲気を感じなかった。逆に若くて頼りにならなさそうな印象すら持っていた。だが、クラスにいる子どもたちは、全員機械のように無言で着席している。よそ見すらしない。私たちに見せていた顔はフェイクで子ども相手には厳しいのか?
などと思考を巡らせている間、授業は淡々と進められて行った。授業の内容は社会、日本の歴史。カリキュラムに沿った教科書の内容を追っていく時間が二十分ほど続いた。
「このように江戸幕府八代将軍吉宗は、幕府の財政難を乗り越えるための政策を次々に打ち出していきました。これらを享保の改革といいます。米に関する政策を特に多く打ち出したことから吉宗は米将軍とも呼ばれています」
担任の説明には特に問題はない。
保護者(私たち)が見ているからか?
その疑問に対する答えは担任の説明が終わった後、児童たちによるディスカッションタイムになって明らかとなった。
話し合いをするために全員立ち上がり机を四つづつくっつけるように動かしていく。その時弥尋と目があった。しかしお互い何もリアクションはとらなかった。
全員が机を動かし終わり着席すると、また異様な空気が広がる。誰も何も言わない。沈黙。
「じ、じゃあみんな、徳川吉宗、田沼意次、松平定信、水野忠邦の四人から一人を選んで意見を発表していってください」
すると弥尋が「グループそれぞれ違う人にしよう」と言った。すると他の児童は「いいね!そうしよう!」と無邪気に声を上げる。
子供らしい反応に私たちも少しホッとしたのも束の間、弥尋は「じゃあ・・・・・・」と続けた。
「三谷くんたちのグループは吉宗、私たちは田沼意次、鳳さんたちのグループは松平定信、和田くんたちのグループは水野忠邦で」
「わかった」
「了解」
「任せて!」
異様な雰囲気はすぐに伝わってきた。なぜか弥尋が他の子どもたちを主導している。まるで考えることを放棄しているような、指示を受けるまで何もしないロボットのようなそんな風に洗脳されている不気味さがあった。
「み、弥尋は人気者なんだな」
「・・・・・・そうかもね」
他の保護者も弥尋は何者なのかとヒソヒソ会話していた。私たちが親だとは悟られたくなかったのでとりあえず相槌だけ打って同調していた。
そして子どもたちが意見を出し合うこと十分。担任から発表していくよう指示が出され、一つ目のグループが発表をする。
「・・・・・・このように吉宗は政策を打ちましたが結果としては失敗しました。主な理由は農民への負担が増えたからです。幕府内の財政収入の安定を優先したあまり、農民たちは増税に苦しめられました。それが暴動、一揆などの社会問題となり幕府は対応に迫られる結果となってしまいました」
児童や保護者から拍手が送られる。そして担任が「ではこれを踏まえて享保の改革はどう改善すれば良かったと思う?」と質問した。先程弥尋が指示を出していた三谷くんが答えた。
「大きく三つの改善点が挙げられます。公平な税制の導入、商業の活性化、そして農民への負担軽減。もちろんこれらを蔑ろにしていたわけでもないでしょうが対策が甘かったのだと思います」
そんなにすぐ改善点を出せるものなのか。小学五年生を侮っていた自分を恥じた。
「ありがとう。では続いて田沼意次について発表していただきます」
「はい」
弥尋のグループが発表するらしい。しかし立ち上がったのは別の子だった。その子が発表するのを弥尋は済ました顔で見届けている。
「先程出た改善点を受けて、田沼意次は商業を活性化させる政策を主に打ち出しました。株仲間の奨励。通貨制度の改革に貿易促進。これにより経済循環を円滑にする狙いがありました。しかし結果として農民や武士らから反感を買い、大飢饉の向かい風も相まって失脚しました」
担任は同じように質問をする。
「これを踏まえて田沼の改革はどう改善すれば良かったと思う?」
弥尋が立ち上がった。妙な雰囲気があり身構えた。
「賄賂政治だと言われることもある田沼改革ですが、その実態は単なる『嫉妬』です。貴穀賤金、穀物は尊く金は賤しいという考え方が当時は色濃くあり、商人を立たせる田沼の政策は反感を買いやすかった。だからあれやこれやと難癖をつけられ失脚させられたのです。改善点があるとすれば『より大衆に寄り添う方法』を模索すべきだった、と言わざるを得ません」
保護者や児童たちから拍手が起こる。近くで大きな音を立てて拍手する人は誰なのか、見なくても分かった。弥尋の意見はその後も特に悪目立ちすることなく、4つのグループが発表を終えたタイミングでちょうど終業のチャイムが鳴った。
「それでは社会の授業はこれで終わります」
机が元通りに片付けられ全員が起立する。「ありがとうございました」と頭を下げる。なんてできた子たちなんだと、私ですら驚いた。
この後は子どもたちがそれぞれの親のもとへと向かう団欒タイムが始まるのかと思いきや、子どもたちがぐるっと私たちの方へと向かってくる。驚く暇もなく、先頭の女児が一番に私に挨拶をしてきた。
「こんにちは、いつも仲良くさせていただいてます。鳳真利奈といいます。よろしくお願いします」
「こ、こんにちは。ところで私が誰か知ってるのかしら」
「はい、弥尋様のお母さんですよね?同じアッシュヘアで大きな黒い目だからすぐに分かると伺っています」
見渡せば確かにアッシュヘアなのは私だけだ。それに顔も、自分ではよく分かってないが周りからは似ていると思われているのだろうか。
それにしても、なぜ弥尋はこんなにも人気なのか。ここにいる児童は全員私の前に立っている。自分の顔が引き攣っているのを感じる。
「お父さん、お母さん」
そして本人はその群れの中から現れた。その際他の児童は通りやすいように大きく道を開けた。不気味な雰囲気は間違いなくこの娘から発生している。
「来てくれたんだ」
「当たり前でしょう。それに・・・・・・その、人気者なのね」
周りの保護者がざわついているのを気にして焦る私。それを見て弥尋は眼帯をつけていても分かるくらいの屈託のない笑顔を浮かべている。そして異様な雰囲気に圧倒されかけている父親の方へと向き直った。本人はひどく動揺している。
「お父さん、今日この後行くところがあるんでしょう」
「なぜ、それを」
いつのまにか今日の予定を弥尋に知られていた。もしかすると昨日の話を聞かれていたのかもしれない。流したことのない汗が身体中から流れ出る。
「みんなも連れて行っていい?私の信者なんだ」
そして巻き起こる大合唱。その異様な光景は悪夢を見ているような気分だった。
「弥尋様万歳!」
「弥尋様万歳!」
「弥尋様万歳!」
「弥尋様万歳!」
「弥尋様万歳!」
「弥尋様万歳!」
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「弥尋様万歳!」
「弥尋さ
「もうやめてええええええええええ!!!!!!!!!!!!!!!!!」
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