あなたは誰? 俺は……
あなたは誰なのか、その言葉にドクンと心臓が跳ねた。
隣に座る有栖はジッと俺を見つめ、いつの間にか手を握られていたので逃げることも出来ない。
というより手を握られていることで僅かな手の震えも伝わるため、今の動揺は間違いなく伝わっただろう。
「それは……どういう意味だ?」
しかし、有栖の瞳に見つめられた俺はそう言って誤魔化してしまう。
有栖の瞳を通じて俺のポーカーフェイスはいつも通り……だが、僅かな体の震えなんかは容易に伝わるため、有栖にこんな誤魔化しが通用しないことなんて分かっているのに。
「この期に及んで誤魔化すの? 今、目の前に居るあなたは誰なのって簡単な問いかけをしただけなのに」
「……………」
「十六夜彰人としてその場にいるあなたは誰? 正直、私としても驚きでいっぱいだわ……こんなことがあるのかってね」
この言い方はつまりそういうこと……なんだよな。
有栖は鋭い……だからこそずっと隠し通せるとは思っていなかったが、実際にこうしてその事実を突き付けられるとどう反応すれば良いか迷ってしまう。
だがこれ以上煙に巻くことも出来そうにないなら……喋るしかないのかもな。
「……俺は」
声が震えていた。
どうやらそれだけの衝撃があったらしいのと、彰人ではない自分のことを喋ることで有栖がどう思うか……それが怖かったのかしれない。
しかし言葉を続けることは出来なかった……何故なら、有栖が優しく俺の顔を胸元に抱き寄せたからである。
「っ!?」
「唐突だったわね……ごめんなさい彰人さん。でも、まずは私の言葉を聞いてくれるかしら?」
「あ、あぁ……」
えっと……それはこうして有栖の胸に顔を押し付けたままってこと?
二つの膨らみの間……いわゆる胸の谷間に顔を埋めたまま、おまけに頭を撫でられながらの状態で、有栖は耳元で囁くように言葉を続ける。
「前々からおかしいと思うこと、気になることはあったのよ。入学式からの記憶がないのは本当だとしても、それ以前のあなたと今のあなたは明らかに違いすぎる……あなたもそれは分かってたんじゃない?」
「……あぁ」
それは……確かにそうだ。
「一部の記憶を失う衝撃で人が変わる、というのはあるでしょう。それに関してはずっと仲良くしてた真理愛さんを含め、取り巻きの彼らと離れたこと……私や天音さん、湊君やご両親との接し方を変えることもおかしくはない……そう、これだけは性格が変わったで片付けられる」
「……………」
「でもね? それは果たして、以前の彰人さんが決して知りようもなかったこと……やらなかった行動が出来るようになるのかというのはまた別の話ではないかしら」
有栖の言葉は、完全に確信を持っていた。
顔を上げるのが怖い……決してこのふわふわマシュマロの中から顔を出したくないとか、そういう不純な理由ではない……ないったらない。
「天音さんや湊さん、あなたのご両親はこの変化を好ましく感じているのはもちろんで、それは私も当然そう思ってるわ。けれど傍であなたのことを見れば見るほど、私の目はあなたの隠された姿を映し始めた」
「隠された姿……?」
そこでようやく、俺は顔を上げた。
一歩間違えばキスをしてしまうほどの距離感、それだけの近さは互いの吐息さえも届く。
人差し指で頬をなぞるように触れてくる有栖は、まるで慈愛の女神のようにも見える……それだけ彼女の表情が優しかったのだ。
「彰人さんではない何者か……けれども彰人さんでもあるあなたを。そうしてあなたのことを理解した時、あなたが口にした言葉の全てを理解するに至ったの。家の名や役割が重たいと、そう言ったあなたのことがね」
「俺……は……」
「それもそうよね。今のあなたを見ていれば、こういう生活に慣れていないことは容易に想像出来るもの……ねえ彰人さんではない誰かさん? あなたはひょんなことから彰人さんになってしまった人ではないの?」
「……………」
「無言は肯定と受け取るわ」
彼女は……この子は何者なんだ?
俺が知る有栖はとにかく主人公のことを病的なまでに愛し、主人公の全てを受け入れ肯定し、その甘い毒牙にかけて依存させる……そんなヤンデレ気質は怖くても、優れた見た目と声優さんの演技によって、瞬く間に彼女は人気トップのヒロインとなった。
俺のことはともかく……ここまで来ると逆に怖ささえ感じる。
「あなたは、とても頑張っていたわ」
「え?」
「何も分からず、何も頼れず……一人ぼっちだったのでしょう? 今はある程度慣れたみたいだけれど、最初は凄く心細かったはず」
それは……その通りだ。
俺は彰人になってしまった……最初はそんな自分自身に降りかかるであろう理不尽を避けたくて、嘘とハッタリを並べて無事を確保した。
だがそれは新しい災難を迎えたのと同時で、いくら原作知識があるとは言っても実際にその世界で過ごす分には頼りないものだった。
「私に頼りながらも身近な部分から把握しようとしていたことや、勉強も必死に食らい付こうとしていたこと、向けられる好意的ではない視線と陰口……その全てを受け止め、前を向いていたあなたの姿は凄く頑張っているように私は見えた」
有栖の言葉が、これでもかと心に突き刺さる。
それは痛みや緊張を伴うものではなく、突き刺さった部分から温かなものが零れだし、心全てを覆い尽くすような感覚があった。
「最初にあなたが頼って良いかと私に言った時は、とても不思議な感覚だったわ。けれどその時はまだその程度……でもそれからずっとあなたを見ていたら、そんなあなたを支えることに私もまた楽しさを見出したのよ」
「有栖……」
この子……ほんとに出来過ぎじゃないか?
けどここまでハッキリとした言葉を言われてしまっては、本当の意味で誤魔化すことは出来そうになさそうだ。
だから俺も話してしまって良いんじゃないか……そう思ったのに、有栖はこうも言葉を続けた。
「私は、あなたの味方よ。少なくとも、たとえこういう話をしたとしてもあなたにとって私が味方であることは変わらないはず……私が言うのも恥ずかしいけれど、今更私を遠ざけられるかしら?」
「……いや、難しいかもしれないな」
「でしょう? あなたの真実を知る私は、心からあなたのことを支えていきたいと思っている……だからもっと私に甘えて良いの。私は決して裏切ったり見捨てたりしない……彰人さんではないあなたのことを見てあげるからね」
「っ!?」
今まで接してきたこの世界の人が優しいのは分かっている。
その中でも特に有栖は本当に優しい……これでもまだ高校一年生だってのに、それなのにこの包容力は本当に何なんだよって言いたくなる。
「俺は……」
「ゆっくりで良いから話してくれる? その上で私がもっと寄り添ってあげるから……ふふっ、慌てずにゆっくり……ゆっくりね?」
そうして、俺は話してみることにした。
別に有栖のことは疑ってないし信用していないわけでもないが、絶対に誰にも信じられないような事実だとしても、それを知ってもらっていることの安心感に俺は抗えなかった。
▼▽
ゆっくりと言葉を紡ぐ彰人を、有栖は微笑みながら見つめていた。
その表情を見た彰人はきっと彼女を優しいと言うだろう……だが有栖が考えているのはこうだ。
『ねえ、目の前のあなた……あなたは私を優しいと思うでしょう? でもそれは間違いなのよ――今のあなたの力になりたいと、支えたいと思っているのは真実よ?』
そう、ここまでは既に伝えている。
問題はこの後だ。
『でも以前のあなたのことは……前の彰人さんはどうでも良いの。もう彼がどんな顔だったか、どんな声だったか、それすらどうでも良いとさえ思っているから……うふふっ♪ さあ目の前のあなた、私にあなたのことを教えてちょうだい?』
有栖の中で、完全にスイッチが入った瞬間だった。
それは本来の彼女よりも強く、目の前の存在のことしか見えないかのようで……もちろんそんな有栖の内心を、今の彼は気付けない。
【あとがき】
そろそろ十万文字!
もし、続きが気になる! 面白いと思われたら評価などよろしくお願いします!
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