本当だと言った

ゆうちゃんの家の前に立ち、

インターホンに手を伸ばしては

引っ込めてを繰り返す。

その間に1人の若い男性が

スウェットのまま

オートロックの玄関を通り過ぎる。

入るタイミングを逃し、

ゆうちゃんの部屋番号が入力された

機械を見つめる。


先週、話し合いをしてから

1週間が経った。

今日がその答えを出す日。


湊「……。」


どちらの答えを出すにも残酷なもので、

叶うことなら逃げてしまいたかった。

何でもかんでも

向き合い続けて生きるもんじゃない。

ふらっとかわして

適当にやり過ごすことだって

ひとつの方法だ。

だけれど、この件に関しては

逃げるのは得策ではない。


冬の晴れ切った空を背に、

寿命を迎えた電球の下。

震える息を吐き切って、

目を瞑ってインターホンを鳴らす。


詩柚『はーい。開けるねー。』


まるでいつもご飯を持ってきたり

遊んだりする時のように

軽やかなトーンで返事をした。


階段の踊り場についた窓から

緩やかに日がさす。

扉の並ぶ廊下を歩き、

ゆうちゃんの家の前に立つ。

彼女の家の鍵を手にして、

けれどそれを握りしめたまま

またインターホンを鳴らした。


待ち構えていたように

すぐに淡白な灰色の扉が開く。

優しく外に跳ねた髪、

眠たげな目をしたゆうちゃんが顔を出す。


湊「おはよ。」


詩柚「おはよお。…入る?」


湊「うん。」


顔を合わせると気まずさからか

ゆうちゃんは背を向けて

リビングまで向かう。

いつの間にかうちの方が

身長は高くなっていた。


部屋は思っている以上には

荒れていなかった。

いくらか干した後の服は

クローゼットにしまわれていなかったが

きちんと畳まれている。

ゴミが散乱していることもなければ

食器が山積みになっていることもない。

カーテンも開いて隅に止めてある。

誰が家に入ったとしても

いいような状態になっていた。


彼女がダイニングテーブルに

腰掛けたのを見て、

外套をいつものように椅子にかけて

対面するように席に着く。


詩柚「…元気?」


湊「元気だよ。いろいろツケが回って大変だったけど、来週あたりからまた日常に戻っていきそうかな。ゆうちゃんの方こそ元気だった?」


詩柚「そこそこかなあ。」


湊「そっか。…あのさ。」


詩柚「うん。」


湊「…最後にもう1回聞いてもいい?」


ひとことでいい。

ひと言、一緒にいたいって言ってくれたら。

もしくは、自首するって言ってくれたら。

うちは選択しないでいい。

決めないでいい。


詩柚「いいよ。」


湊「…今後のこと。どうしたい?…どうして欲しい?」


ゆうちゃんが願えば

うちは子供のまま

責任を持たないでいられる。


彼女の過去を聞いた。

その日から毎日悩み続けた。

答えも出した。


それでもあなたの口から

願いを聞けたら嬉しい。


自然と持ったままの鍵を握りしめていた。

暖房が効いているのに

足先だけ寒くてつま先を重ねる。

眉間には皺が寄っていたことだろう。

口の中で弱く舌を噛んだ。


詩柚「湊ちゃんに任せるよお。」


終始穏やかな声で話す彼女は、

今まで関わったきたどの時よりも

心底安心し切っているように見えた。

10年、それ以上前の

無邪気なあなたはもういない。

同時に、近年の

恐れ続けたあなたももういない。

どの選択をしたって

受け入れるよと

全身で示してくれていた。


ならば、うちがゆうちゃんの人生を

決めなければならないのだ。

うちの決断は、

ゆうちゃんがこれまでしてくれたような

優しく手を引くようなものではない。

道の先を照らすようなものでもない。

そうだとしても、

うちはゆうちゃんの幸せを

この先もずっと願ってる。


うちはどう足掻いても

大人になるしかないのだろう。


湊「わかった。」


詩柚「…。」


湊「ゆうちゃん。」


詩柚「はい。」


湊「…。」


詩柚「…。」


湊「……自首、を…して欲しい…です。」


悩んだ。

悩みに悩んだ末、

たとえこの先長いこと、

もしくは半永久的に

離れることになったとしても、

自首してもらう方を選んだ。

罪は罪だ。

許されるものではないのだろう。

けれど、ゆうちゃんが今後も

犯した罪について悩み苦しむなら、

許された方がいい。

どれほどうちが言葉を尽くそうと

あなたはきっと自分を追い詰める。

どれほど「許すよ」と言ったとしても、

あなたは幸せを捨て去る。


ならば、幸せを捨て続けて

いずれ命が閉じてしまう前に、

明確に許されたという経験をした方がいい。

正式さを重視するゆうちゃんなら、

時間をかけて償うことで

罪悪感も薄れると思った。


優しくない優しさが

ゆうちゃんを救うと信じて。


いつからか閉じていた瞼を開く。

ゆうちゃんは僅かに口角を上げて

ひとつ頷いた。


詩柚「わかった。」


湊「…っ。」


詩柚「そんな顔しないでよお。」


湊「だって…。」


詩柚「私のことをたくさん考えてくれたんでしょお?その上で決めたんなら、何も言うことはないよ。」


湊「…。」


詩柚「ありがとね。」


柔らかな声のはずなのに、

聞くだけで喉が締められるようだった。

世間的には

どちらを選んだとしても間違っていて、

どちらを選んだとしても正解にはならない。

なのに、うちの選んだことは

ゆうちゃんにとっての正解になる。


詩柚「私が自首した時のことは、湊ちゃんのお父さんとお母さんに話してあるんだ。」


湊「…なんて…言ってたの。」


詩柚「そうなったら一緒に自首するって。」


2人を巻き込んでしまって申し訳ないけど、と

ゆうちゃんは最後まで他の人を

優先する言葉を続けた。


詩柚「2人も…背負ってたものを償いたいって言ってくれた。」


湊「…そうだったんだ。」


詩柚「明日にはもう死亡が確定しちゃうし、すぐに関西まで出るね。どうせ死体も山も向こうにあるし。」


湊「…。」


詩柚「湊ちゃん。」


湊「…何かな。」


詩柚「お母さんもお父さんも巻き込んで…湊ちゃんを1人にしてしまってごめんなさい。」


湊「…っ。」


詩柚「それに、留年のことも」


湊「うちの心配より自分の心配してよ。それにさ、ほら。」


ゆうちゃんのことを思うと胸が痛む。

その度勝手に涙腺が緩む。

目から溢れないように天井を見上げてから

ゆうちゃんの目を見つめた。


湊「うちもう大人だから。」


詩柚「…!」


湊「だから安心して、自分のことたっくさん労ってあげて。」


詩柚「……うん。」


これまで苦しみ続けたのだ。

戦い続けてくれたのだ。

この先の人生に少しくらい

お休みがあってもいいはずだ。


ゆうちゃんは夜には

神奈川県を発つらしい。

しばらくこの家には

戻ってこれないだろうから、

できる限り準備をして出ていくと言う。

ごみを放置したままは

大変なことになりそうだからと

苦笑いして話していた。


やっと普通に会話できるようになったけれど

準備の邪魔をするわけにもいかず、

長話をすることもなく玄関に向かう。

数十分で冷えた靴を履き、

彼女と向き合った。


詩柚「じゃあね。」


湊「…。」


またね。

そう言おうとしたのに

口が開かなかった。


また、会えるのはいつだろう。

うんと長い時間が経つまで

会えない可能性だってある。

産まれてから今日まで

ものすごく長い時間を

一緒に過ごしてきて、

隣にいるのが当たり前だった存在なのに、

明日から遠くに離れてしまう。

この2ヶ月よりもさらに遠く。


彼女に伝えたい言葉は

数えきれないほど沢山あったはずなのに、

いざと言うときにひとつも出てこない。

咄嗟にゆうちゃんに手を伸ばす。

一緒驚いて目を見開いたのが見えるも

次には彼女の肩に顎を乗せていた。

目一杯力を込めて

ゆうちゃんを抱きしめた。


大好き、も。

またね、も。

全部この言葉にひっくるめるよ。


湊「7年間守ってくれてありがとう。」


ゆうちゃんが大きく肩で息を吸う。

そして笑い泣くように息を吐いた。

もう小指は結ばなくていい。

もう必要ないよ。


不意に、背中に伸びるあたたかな片手。

そしてもう片手は

うちの頭をそっと撫でた。


詩柚「大人になったね。」


骨が軋むほどに

強く大事に抱きしめる。

それでも全く嫌がらず

逃げないでいてくれた。





***





夕刻になり、キャリーケースに入れた荷物を

ざっと確認して閉じる。

まだまた早いけれど、

早めに出たっていいだろう。

湊ちゃんから返してもらった

この家の鍵もくっついた

キーケースを眺めた。


詩柚「行ってきます。」


3年間暮らした家から抜け出し、

マンションを1歩踏み出す。

小さくなっていく自分の家を横目に

最寄駅へと向かっているときだった。

遠くに、動かず突っ立って

こちらを見ている人影があった。

女性で、同じくらいの身長をしている。

幻覚かと思ったがそうでもないらしく、

近づいてみればふわふわの

髪の毛が風に揺れていた。

津森さんだった。


一叶「もう行くの?」


詩柚「そうだよお。時間もないからねえ。」


一叶「おつかれさま。」


そっか、津森さんは

一連の流れ全てを知っているんだっけ。

やり切ったよ、と言うのも違う気がして

目を伏せて苦笑した。





°°°°°





詩柚「…ここまで来たんだよ。もう無理だと思うけどねえ。」


一叶「何度考えてもその結論に行き着く?」


詩柚「状況が悪くなっちゃった。気分も悪いし、今日は帰るよ。」


一叶「詩柚。」


詩柚「…。」


一叶「誰とどんな向き合い方をするか、考えておきなよ。」





°°°°°





元はと言えば、津森さんのひと言で

始まったような出来事だ。

父親と向き合い、

死体をひた隠しにする方法だってあった。

けれど、湊ちゃんと…それから

自分の罪と向き合うことを選んだ。


詩柚「私の向き合い方、合ってたかなあ。」


一叶「詩柚が正しかったと思うなら、それは正しいよ。」


詩柚「自分じゃもうわからないよお。」


一叶「なら、ボクが言ってあげようか。」


詩柚「お願い。」


一叶「全て間違っていたよ。自分のことを顧みず投げ捨てている時点で、間違いだ。」


詩柚「そっかあ。」


間違いばかりの人生だったらしい。

甘い嘘で隠さないから

なんだか心がすっきりした。


特に話す用事もなく

様子を見にきただけのようで、

津森さんは踵を返し

背を向けて歩いていく。

一応、長年見届けてくれた1人なのだ。


詩柚「でもね!」


遠のく背中に声を飛ばす。

津森さんは足を止めた。


詩柚「自分より大切な人がいたんだ。」


一叶「…。」


それって、とてつもなく

嬉しいことなんじゃないだろうか。

幸せなことじゃないだろうか。


彼女が振り返ると同時に

雲の奥から太陽がのぞいた。

地球を呑むような真っ赤な太陽だった。


一叶「それは、詩柚にとって1番の幸福だね。」


詩柚「うん。」


間違いない。

私はずっと幸せだった。





***





七「もう今日が来ちゃったね。」


いろは「早いよねー。今頃話し合ってるのかなー。」


七「だね。」


彼方「詩柚は逃げてそ。」


七「そんなことしないよ。詩柚ちゃんも湊ちゃんも強い人だもん。」


彼方「あっそ。」


彼方ちゃんは今日なさげに

トレーに乗ったホットコーヒーを手に取った。

いろはちゃんも抹茶オレを

ちまちま美味しそうに飲んでいる。


彼方「んで、何?この集まりは。」


七「一段落したしちょっとゆっくりしようの会!」


彼方「直帰して寝た方がゆっくりできるんだけど。」


いろは「まあまあー。今回はいろいろと重たかったし、ここで分散させとくというかー。」


彼方「はあ…重いだの分散だの気に入らない。」


七「みんなお疲れ様ってことで!ね?ね?ほら、喧嘩せずに楽しく行こうよ!」


かんぱーい、とアイスココアを持つ。

いろはちゃんとグラスを鳴らしたけれど

彼方ちゃんは案の定乗ってくれない。


彼方「その切り替えの速さ、探偵に向いてんね。」


七「ほんと!?やったー!」


彼方「皮肉だっての。」


七「へ?」


いろは「もう3月だねー。早いなー。」


彼方「露骨に話変えたな。」


七「そういえばこの異変って3月で終わるらしいね。」


いろは「そうなんだー。じゃあもう不思議なことはないのかなー。」


彼方「の方がいいよ。」


七「2人ともさ。…やり残したことがあると思わない?」


彼方「は?」


不機嫌そうな声を聞き流して

こほんと咳払いする。

そう。

今日2人を集めたのは他でもない。


七「そもそも何でこの異変が起こってるかって思わない?」


いろは「あー…確かに理由知らないねー。」


七「一叶ちゃんと悠里ちゃんのこととか、詩柚ちゃんのこととか…断片的にはわかってるけど、全体的な理由がなーんにもわからないじゃん。」


いろは「確かにー。」


七「これまでは無理だったかもしれないけど、今回は一叶ちゃんがいる。悠里ちゃんにも協力してもらえる。」


彼方「未来の人たちが多いし会話もできるって算段?」


七「そういうこと!それに、何年も続いてるなら止めなきゃ!」


私にできることは

できるだけ全部やるんだ!

不可思議なことが起こってるなら

それを解決してこそ探偵ってもんだよね。

人差し指を天井に向けて

まっすぐに伸ばす。


七「題して!全ての真相編、開幕!」


彼方「…。」


呆れ顔の彼方ちゃんと

微笑んでるいろはちゃんを前に

ふふん、と鼻を鳴らした。










骨を砕いた桜時計 終

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