叶わない願いについて
『昔のゆうちゃんを
知っている人はいませんか。』
何故それを知ろうと思ったのか、
おおよそ想像できてしまう自分が憎い。
詩柚「…。」
食卓に座り、
その文字を見てすぐに
画面を眠らせた。
時間は止まったかのように遅く
思うように進んでくれない。
暖房でティッシュがなびく。
つい目で追うほどの余裕もない。
机の目を眺む。
そして顔を覆う。
調べ物は
どこまで進んじゃったんだろう。
引く様子を見せないあたり、
もう行くところまで行ったのかな。
見たくないはずのことなのに、
そればかり不安になって考え込み
一層不安になっての悪循環だった。
詩柚「…。」
キッチンから水の滴る音がした。
きちんと蛇口を
ひねっていなかったらしい。
ひと、とシンクに水がぶつかっただけ。
それだけなのに背筋は震え上がり、
冷えた裸足のままキッチンに向かう。
電気すらつけていない室内は
自然光のみが唯一の明かりだった。
詩柚「…いてっ…。」
しかし、窓のない奥まで向かうと
真っ暗な中に足を踏み入れるしかなくなる。
近くに落ちていた
縛ったばかりのばかりの
ゴミ袋に足を引っ掛ける。
ついでに転がっていた
ペットボトルまで散乱した。
シンクにはおよそ10年前後昔のように
お皿が積み重なったまま
水に浸されている。
いつからあるものかはわからない。
水も腐ると言うし、
そろそろ危ないだろうと思いながらも
洗う気力が湧かなかった。
辛うじて人間であるために
布団からは出るようにしていた。
起きて、食卓に座る。
学校に行く時間が迫る。
しかし、座ったまま動けない。
そのまま1時間。
高頻度で眠りにつき、2時間、3時間。
起きて、座ったまま茫然とし、
眠るために布団に向かう。
その繰り返し。
まるで壊れてしまった
ゲーム内のキャラクターのよう。
同じ動きばかりをしている。
抜け出したいはずなのに、
諦めてしまいたくなる。
諦めたっていいか、とも思う。
今更何をしたって
湊ちゃんはもう止まってくれない。
詩柚「………ふー…。」
数日前から腹痛がする。
胃が痛い。
お腹が空く。
食べる気力がなくて食事を抜く。
お腹が空きすぎて腹痛になる。
でも1日に1回は食べなきゃと思い、
力を振り絞って何かしらを口に入れる。
久々の食事に胃は過剰に胃酸を出し、
内部が荒れてまた腹痛になる。
眠る。
痛む。
また次の食事を抜く。
その繰り返し。
湊ちゃんが近くにいなくても
頑張ってやっていくって。
生きるって思ったのに。
無理だった。
馬鹿みたい。
生きたかったから生きていたのではなく、
生きるしかないから
生きていたのだと思い知る。
そこらにはチラシが散らかっている。
買い物に出られた時の鞄が
床に転がっている。
学校用の鞄の中は
プリントの束があり、
角はぐしゃぐしゃになっている。
服は脱ぎ捨てたものと
洗濯したものが
一部わからないほどに
そこらに投げられ放置されている。
詩柚「…。」
それでも、席につき続ける。
窓の外を見て、机へと視線を落とす。
湊ちゃんはいずれ、
花奏ちゃんと出会うらしい。
その文字をたまたま見つけてしまった。
あぁ。
花奏ちゃんなら話すだろう。
仲がいいんだったよね?
…なら、その優しさから
私のことを伝えるはずだ。
花奏ちゃんが私のことを
何も知らないままでいて、と
願うことしかできない。
詩柚「……………ぅぅ…。」
湊ちゃん。
もうやめようよ。
この先には何もないよ、
幸せになれるようなことは
何もないよ。
ねぇ。
何を。
どこまで
見たの?
知ったの?
私の手を離れて向かう先はどこ。
…これまで湊ちゃんの自由を
奪ってしまった罰なのかな。
今度はあなたが
私の首を絞めている。
どうしたらよかったんだろう。
何がいけなかったんだろう。
何がよかったんだろう。
あの日、間違えてないはずなのに、
あの日から全てがおかしくなっちゃった。
何も悪くないのに。
何も悪くないのに。
なんで、
なんで?
何で。
詩柚「……げほっ…。けほ…っ…。」
嫌だ。
嫌だ。
嫌だ。
いやだ。
いやだ。
いや。
……。
知らないで。
どうか。
お願い。
あなたのため。
きっと。
でも。
もしかしたらずっと
自分のためだったりしてね。
詩柚「…ぅ……ぅぇっ…。」
湊ちゃん。
大切なあなた。
世界で1番大切な人。
あぁ、お願い。
大人にならないで。
何も知らないままでいて。
子供のままでいて。
昔のままのあなたでいて。
喉からくるる、と音がした。
次の瞬間には、消化不全の食物が
体内を傷つけながら競り上がり、
酸の強い嫌な匂いが鼻から抜ける。
詩柚「……ぅ………。」
口の中に僅か流れるのを感じて
息を止めて外に漏れるのを防ぐ。
袋。
何か。
ゴミ、捨てる。
やつ。
ゴミ箱。
ある。
もう、そろそろ。
変えなきゃ。
しばらくまともな暮らしを
していなかったせいで、
ゴミ箱には今にも溢れそうなほど
紙やプラスチックが詰め込まれている。
どうして捨てておかなかったんだろう。
ふらつく足は使い物にならず、
腹の奥を殴られたような
胃の不安定感と強烈な痛みに膝をつく。
も、少し。
ゴミ、潰せば。
水まわりまで、
行…けないか。
無理。
だ。
無理だ。
手。
あ。
私。
てのひら。
°°°°°
「……ーー……ーーーー…。」
詩柚「…。」
°°°°°
ぜんぶ。
きたない。
詩柚「こ…っ…。」
こぷ、と音がした。
気持ちの悪い音だった。
口を手で塞いでいたのに、
意味なんて微塵もなく
指の隙間から胃液が床に滴る。
詩柚「げっほ…けほ…っ…。」
あれ。
これ、どこかで。
あ。
ああ。
あの家で。
あー、
あった。
あった。
そんなこと。
あ…は。
ふふ。
ふ。
何にも変わってないじゃん。
目にはいっぱいの涙を溜めて、
強烈な匂いに塗れる。
口角など上がるはずもない。
頭の中では、きちんと「辛い」と
信号が出ているはずなのに、
どうしようもなくて
脳内では笑い声が響いた。
おかしいことなんて
ひとつもないはずなのに、笑っちゃう。
詩柚「……か…………ごぷっ…。」
また、重さのある粘っこい水音が
床に叩きつけられる。
床、カーペットのないところでよかった。
けれどフローリングの溝に
入ってしまっては、
それはそれで不快感が残る。
…いや。
なんだっていいか。
たったそれだけで
不快感なんてものはないよ。
どうせちゃんと掃除するでしょ。
掃除して無かったことにしたら
ベタつくこともないんだし。
吐いたものを掃除した後の道を
裸足で歩くことくらいの
何が嫌だったんだろう。
詩柚「けほ……ぅ…。」
嫌なのは、たった今ここが汚いことじゃない。
綺麗になった後、歩くことでもない。
吐瀉物で汚れた過去があることだ。
吐いた事実は変わらない。
たとえ掃除されても、
無かったことにしようと思っても
何も覆らない。
もう戻らない事実が嫌なんだ。
嫌なこと、他にももっと
たくさんあるんだ。
詩柚「…………おぇっ……。」
もっと。
たくさん。
あるんだ。
辛いこと。
嫌なこと。
悲しいこと。
諦めたこと。
諦めたいこと。
泣きたいこと。
怒りたいこと。
愚痴りたいこと。
吐き出したいこと。
やりきれないこと。
苦しいこと。
詩柚「…………。」
もういいんじゃないかな。
自画自賛だけど、
私、こんな体でさ、
結構頑張ったと思うよ。
ね。
そうだよね。
だよね…?
それとも、まだ?
口元を抑えていた手とは逆の手を
力なく床に落とす。
運良く液体の凹凸には
突っ込んでいかなかった。
そのまま手は滑り、肘がつく。
床が近い。
眠くなってしまう前に
早く片付けなきゃ。
横髪がはらりと耳から離れ、
ひと束の毛先が濁った水溜りに付着した。
その時。
ピーンポーン。
と、インターホンが鳴った。
どう考えたって今は
対応することはできない。
背をこれでもかというほど丸め、
瞼をぎゅっと閉じる。
今来てくれたのが
もしも湊ちゃんだったなら
どれほどよかったことだろう。
扉が勝手開くことはない。
そう思っていたのに。
詩柚「……ぅ…。」
次に聞こえてきたのは
扉が開く音だった。
どうして?
もしかして、犯罪者とか。
…本当に湊ちゃん?
そんな、わけ。
そんなわけない。
今あの子は田舎にいる。
私の家に来ることはできない。
現実的じゃない。
でも。
家に入ることができるのって。
ついに、また、幻聴でも
聞こえてきたのかと思った。
湊ちゃんに会いたいと
神様どころか私の頭すらも
困るほどに願ってしまったんだろう。
目を閉じたまま時計の針の
進む音に耳を傾ける。
けれど、やはり時折
1人で家にいるには
聞こえないはずの音が響く。
誰かが家の中を歩いているみたいに
床が軋んだ気がした。
…頭がおかしくなっちゃったのなら
時がすぎて落ち着くまで待つしかな──。
「……詩柚…?」
詩柚「……っ…?」
喉をころころと鳴らすような、
鼻から抜けるかわいらしい音。
この音、声。
名前の呼び方。
聞いたことある。
肘までついてしまった手に力を入れ、
肩甲骨から引っ張り上げられるように
体を起こす。
猫背のまま、髪の毛の隙間から
声のする方の足元を見る。
靴下だ。
誰か。
あ。
そう。
声。
ふと、目の前にいる人は
しゃがみ込み、顔を覗き込んだ。
悲しそうに目を細めた
彼方ちゃんがいた。
自然と口元から手が離れる。
その手はどこに触れるもせず、
手のひらを上にしたまま
空で止まっている。
詩柚「な、ん…」
彼方「片付けるから待って。」
詩柚「わ、私が」
慌てて口元を拭おうと
袖を近づけたが、
彼方ちゃんは反射的に
私の手を掴んで止めた。
白くて細く、長い指。
なのに、力が強く
肌に食い込むよう。
全身は緊張していくのに
体は従うように力が抜けた。
今私、酷い顔してるだろうな。
匂いだって鼻がもげるほど
きついもののはずなのに、
彼方ちゃんは真っ直ぐ私のことを見つめた。
彼方「触っちゃ駄目。」
詩柚「…ごめ…ん…。」
彼方「うち吐くの得意だった時期あるし、慣れてるから。」
あちらこちらに散っていたチラシや
暖房に靡いていたティッシュ、
ラックから飛び出していた
ビニール袋をかき集め、
目の前の汚れをさっさと掃除していく。
何、させてるんだろう。
さっきまで私、何してたっけ。
物が逆流したせいで
溜まった涙が溢れないよう
必死に堪えることしかできない。
彼方ちゃんは目を合わせなかった。
彼方「手、洗ってきなよ。」
詩柚「…。」
彼方「…うがいもして。」
詩柚「…。」
彼方「詩柚。」
ぴく、と肩が動く。
名前。
そうだ。
呼ばれると
自然と嫌な感じがした。
彼方「あー…でもキッチン使えなさそうだったし、お風呂入って頭から流してきな。」
詩柚「…。」
彼方「頭の中の余計なものまで流してきて。」
詩柚「……ごめん。」
彼方「服適当に選んで置いとくから。」
詩柚「……うん…。」
返事は、しよう。
ごめんなさいもちゃんと言おう。
湊ちゃんが大切にしてたことを、
彼女の姿勢から学んだことは捨てるな。
人であれ。
どうにか、人の頭を持て。
それすらもやめたら、
全てが報われなくなる。
近くの布の山から
タオルを引き抜こうとして、
改めて自分の手が
汚れていることを思い出し、
手を引っ込めた。
できる限り汚れた部分が
服につかないようにし、
洗面器に突っ込んで
シャワーを浴びる。
頭の上から降り注ぐ水。
量があまりに多いから
シャワーの音は気にならなかった。
ひと、ひと、と
一粒一粒落ちるような音が苦手だった。
髪の毛が濡れてほほに張り付く。
手を念入りに洗う。
洗剤で皮膚が被れたっていい。
念入りに、念入りに洗う。
だけど、頭の中から
余計なものと称される塊は
流れていくことなどなかった。
どのくらいお風呂で
流されていたのだろう。
洗面所に出てすぐに
眠気に襲われ、慌てて服を着て
倒れるように一睡した。
再び目を開くと、
ゴミ袋を何重かに縛って
玄関先に置く彼方ちゃんの姿が目に入る。
彼方「その感じ、ここで寝てた?」
詩柚「……うん…。」
彼方「風邪ひくよ。」
詩柚「いいよ。」
彼方「馬鹿だから風邪引かないか。」
詩柚「うん。」
彼方「はーあ。この張り合いの無さよ。」
詩柚「…掃除…させちゃってごめん。」
彼方「最近ツイートもしてなかったし、連絡は見もしないし、まさかね…とは思ったけど、来てよかった。」
詩柚「…。」
彼方「死ぬつもりだった?」
詩柚「ううん。」
彼方「でも生きるつもりの部屋じゃないよ。」
詩柚「…無理だった。」
彼方「鍵くらいは閉めようよ。開けっぱなしなのはどうかと思う。」
詩柚「彼方ちゃんが、来てくれたからもういい。」
彼方「うちじゃなくて犯罪者が来てたらどうするつもりだったの。」
詩柚「結果論でいいよ。」
彼方「もしも、とか思わないんだ。」
詩柚「1番怖いもしもは現実になりそうだから…もう何でもいいかな。」
彼方「怖いもしも、ね。」
詩柚「…。」
彼方「どうせ髪乾かさないでしょ?」
詩柚「うん。」
彼方「フェイスタオル肩にかけときな。カップ麺いくつか積んであったしあれ食べよ。うちにもいっこ頂戴。」
詩柚「いいよ。」
今となっては
彼方ちゃんが汚れているように見えなかった。
それ以上に私自身が
汚く映っているからだろう。
汚れも相対的評価ができるらしい。
彼方ちゃんはミニサイズのカップ麺を
2つ並べてお湯を注いだ。
私が長いこと座っていた席には
彼方ちゃんが腰掛けた。
自然と窓の外が見えない席に座る。
背の隅では遮光が照っているはずだ。
彼方「最近なんか食べた?」
詩柚「…多分。カップ麺かな。」
彼方「1日以内に食べてないでしょ。」
詩柚「寝過ぎてわからない。」
彼方「極限の空腹の時にご飯食べるとお腹痛くなるから、一応ちっちゃいのにしといた。」
詩柚「…わかるんだ。」
彼方「うちもよくやるし。食べる以上無意味だろうけど、少しでも量少ない方が負荷は少ないでしょ。」
詩柚「だといいな。」
彼方「…。」
かつ、と彼女が爪で机を叩く。
時計の針の音と
ちょうど重なった。
彼方「詩柚は…本当にこれでいいの?」
詩柚「…。」
彼方「生活も高田とのことも…。」
詩柚「…。」
彼方「…やっぱなし。」
詩柚「…。」
彼方「弱ってるやつに聞くことじゃなかった。」
詩柚「…うん。」
彼方「ご飯の後にしよ。」
スマホを持ち上げて時間を確認し、
「いいよ」の合図をもって
蓋をぺりぺりと剥がす。
この1週間で何度この音を聴いただろう。
割り箸を割って、
手を合わせることなく食べ始める
彼方ちゃんを横目に、
気持ち程度に指先だけ合わせた。
食事を終え、彼方ちゃんに言われるがまま
自分の分のゴミを捨てる。
こういう部分で
自分にやらせるあたりが
彼方ちゃんらしい。
何もしない方が…できない方が
辛いことを知っている人じゃないと
こうはできないだろうな。
湊ちゃんだったらきっと
1人で全部洗って捨ててしまう。
ありがたいことなのに
無力感を抱える時が来るのだ。
彼方「詩柚はこれからどうしたい?」
詩柚「…どういう答えが欲しいの。」
彼方「生活と高田の件を所望してるけど、他のことでもいい。やりたいこととかに脱線しても可。」
詩柚「……ない。」
彼方「でしょうね。」
詩柚「どうしたらいいと思う?」
彼方「知るかよ。」
詩柚「…ちょっと、考えたい。」
彼方「3分だけね。」
彼方ちゃんはスマホを横に置いて、
けれどいつものようにいじることなく
食卓に肘をついて静かに目を閉じた。
長いまつ毛が下を向く。
対面に座って、微かに揺れる前髪を見た。
やりたいこと。
ない。
どうしたい。
どうしたいんだろう。
時間が過ぎるのを待ってた。
待ってるだけでいい。
というより、待つことしかできない。
死ぬことは無論できない。
してはいけない。
生きるのを最低限に、
追加で何を足したいだろう。
生活のこと?
この生活で不便はない。
たまに今日みたいに
…今日ほど酷い日は
一人暮らしを始めてから
なかったはずだけど…
荒れることはあれど
今のままでいい。
眠りだって諦めた。
もういい。
学校?
不便ない。
ご飯。
食べられればいい。
どれもこれも、不便ない。
何が。
…。
何を?
…。
…。
もう足りてるんじゃないかな。
じゃあ、湊ちゃんのこと?
…。
…。
近くにいて?
守る?
守られたままでいて欲しい?
離れないで欲しい?
健康であればいい?
幸せであればいい?
笑顔でいられるなら
それでいい。
はず。
だけど。
笑顔でい続けてもらうには
やっぱり大人になってほしくない。
1人でいた時に
願い続けた言葉が。
詩柚「…知られたくない……。」
彼方「…。」
詩柚「知られたくない…知らないままでいて欲しい…っ。」
彼方「高田に、だよね。」
詩柚「……うん…っ…。」
彼方「…。」
詩柚「…いやだ………っ。」
どうしたい、の問いの答えにはなっていない。
だけどこれしかなかった。
彼方「…詩柚はどうなりたいの。」
詩柚「ど、う。」
彼方「知られたくないのはわかった。」
詩柚「…。」
彼方「知られないままでいたら、詩柚は幸せになれる?」
詩柚「………ぅ…。」
彼方「…。」
詩柚「……なれ、ない。」
彼方「じゃあ、幸せになりたいにしよ。」
詩柚「…。」
彼方「幸せになりたいって思ったら、どうしたらそうなれそう?高田と仲直りしたら、とか。」
詩柚「…。」
彼方「死んだら、とか。」
詩柚「…。」
彼方「何でも。」
詩柚「…カウンセリングのつもり?」
彼方「だったらよかったね。」
詩柚「…。」
彼方「うちが人を慰めて前を向かせるとか無理だから。」
詩柚「…。」
彼方「一緒に落ちることしかできない。」
詩柚「…じゃあ、カウンセリングじゃないね。」
彼方「でしょ。」
どうやったら
幸せになれるか?
…。
…。
…。
あれ。
どうするんだろう。
考えたことなかったな。
知られないままでいたら幸せ?
いいえ。
知られたら幸せ?
いいえ。
忘れられたら幸せ?
頭が忘れても体には残っている。
結局、いいえ。
背負うものが消えたら幸せ?
いいえ。
湊ちゃんが離れたら幸せ?
いいえ。
湊ちゃんが幸せになったら幸せ?
それは本望だし幸せのはずだけど、
私には過去が残ってる。
根本的には、いいえ。
どうしたらいいんだろう。
幸せ、になれるはずないな。
想像ができないんじゃない。
不可能だ。
絞り出せ。
何か答えを出せ。
何か。
何か、考えて、思ってくれ。
死なないでくれ。
…。
…。
ふと。
詩柚「……ら…くに、なりたい。」
彼方「…!」
詩柚「…楽になりたい…よお…。」
糸が切れたように
雫が膝に滴った。
髪を乾かしていなかったからだ。
俯いたせいで横髪からぽたぽた
水滴が垂れている。
楽になりたい、
幸せになりたい。
その方法は、ない。
ひとつもない。
だから夢見てる。
手放しに笑ったり喜んだりして、
毎日の生活を…いや1日でいい、
そういう日を送れることを夢見てる。
いつか叶えばいいな。
彼方「それは、無理だよ。」
詩柚「…。」
彼方「今の詩柚じゃ無理。」
詩柚「うん。」
彼方「…。」
知ってる。
自然と力が抜けた。
だよね。
夢見させないでくれてありがとう。
なのに彼方ちゃんは
正直に言ったことを悔いたのか、
付け加えてこう言った。
彼方「…こう言われても、納得したら負けだからね。」
元から言うつもりだったのかわからない。
けど、納得しちゃった。
負けでいいかな。
詩柚「うん。」
ぽた。
また水滴が垂れる。
ズボンには点々としみができていく。
だけど、あの嫌な音はない。
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