お母さんの発言について
お母さんのあの発言があって…
「殺したのは、私だから」と
聞いてしまってから3、4日経た。
持ち前の忘れんぼの能力で
記憶からすっかり消えてしまえば
いいのにな、とすら思った。
しかし、新品の陶器の如く
欠けなく綺麗に覚えていたまま
本日を迎えている。
おはようからおやすみまで、
ぎこちなさが出ないように
普段通りを意識して歩く生活が続いた。
湊「……でも、やっぱり気になる。」
部屋で独り言を呟く。
下の階からは掃除機をかける音が
ごうんごうんと鳴っていた。
乱雑に動かしているのか
掃除機が壁に当たって
2階まで響いている。
音は耳を通り抜ける。
その代わり、頭の中は疑念と思考で
いっぱいいっぱいに詰まっていた。
お母さんを、唯一の家族を疑うことは苦しい。
けれど、心の底から信じていたいから。
たとえこだわりが強くて少し過保護で、
時折構いすぎだと鬱陶しく思ったとしても
お母さんも大切な人の
1人であることに変わりはない。
ここまで育ててくれた恩のある人。
信じるために疑うのだ。
湊「いつ、どこで、誰がはわかってて…ここは誰を、かな……それから何故……どうやって。」
5w1hに準えて挙げてみる。
もちろんどれもわからない。
何故、どうやって、は
後にならないと解明できないと思い
一旦隅に置いておく。
となれば、いつ、どこで、誰を。
どこで、は想像がつかない。
お母さんはほぼ家にいるが
車は運転できるので行こうと思えば
町の隅くらいまでは容易く向かえる。
いつ、の項目も
少なくともうちがいない時間帯
もしくは期間だったろうとは思う。
うちが上京していた3年程度の間に
起こったと見るのが妥当だろうが、
決めつけほど怖いものはない。
湊「誰。」
突くならばまずは「誰を」。
これが分かれば大きく変わる気がする。
その人の死亡した経緯について調べれば
おのずと判明してくるはず。
ここ数年で亡くなった方はいただろうか。
数回にわたる帰省にて
ご高齢の方の訃報を耳にしたことはあった。
高齢化が進んでいるのだし
何度かその事実を聞いたこと自体
何ら不思議ではなかった。
死因を聞いたことはないが、
おそらく老衰ではないかと思う。
湊「……けど、決めつけはよくない。」
「と思う」だけで先に進んじゃ駄目だ。
まずはここ数年で亡くなった方々を洗い出し
死因をまとめるところから始めなければ。
お母さんにひと声かけて
自転車を飛ばし
町の中心の方へと向かう。
手始めに、比較的話を聞きやすい対象として
中学時代の友人が思い浮かんだ。
今は共通テストも直前で
酷く焦っている時期。
申し訳なさを強く感じながら
当時仲の良かった人に連絡すると、
「就職だから大丈夫」と
親指を立てた絵文字と共に送られてきた。
車道が広くなり、
やがて1件のファミレスが見えた。
今後の人生の中で初めに行うべきは
きっと免許の取得だろう。
冬なのに背筋から
汗をわずかに流し入店した。
「こっちやでー。」
湊「あー!久しぶりー!」
入ってすぐ右奥で
座ったまま大きく手を振る女の子がいた。
寺田里沙だった。
アイボリーのトップスに
焦茶色のパンツを身につけている。
縮毛矯正もしていないのに
素直に下に伸びる亜麻色の髪は
昔から変わっていない。
帰省するたびに会っていたし
数年ぶりというわけでもないのに、
顔を合わせると中学時代を思い出して
懐かしい感覚に襲われる。
湊「てんてーん!まー!また美人さんになっちゃってー!」
里沙「そんな近所のおばちゃんみたいなこと言って。ささ、座りぃや。」
湊「急だったのにありがとねん。」
里沙「んーん!帰ってきてるとは聞いててんけど今回まだ会うてなかったから嬉しいわ。」
湊「あ、今回の帰省まあまあばたついてて、てんてんに伝えるのすっぽ抜けてた…!」
里沙「んなことやろうと思った。でもまあ、受験忙しいんやろ?って、留年してるんやったー。」
湊「だはー。そーなんだよね!てか就職おめでとう!」
てんてんはうちが留年したことも知ってる。
何故か、というのは
結局誰にも話していない。
「遊びすぎちゃって」
「勉強サボってて」と
伝えたうちの1人だった。
思い出話と近況の話に花が咲く。
あの子は受験らしいで。
あの先輩、関東の大学やって。
この辺って高校までしかないもんな。
毎日通学だけで5時間かけてられへんて。
あの子は就職したで。
あの人ってどうなったんかって?
ホストになってててん、ホスト。
インスタでシャンパン並んでる写真あるで。
まあ顔かっこよかったもんな。
浮気性やけどねー、高校やばかったし。
それからその妹さんは京都の高校に行ったって。
頭よかったし納得って感じ。
うちのところまあバカ高やん?
え、ああ、あの人?
お家が不動産だったやろ、やから継ぐって。
ある意味就職かな?
引っ越す時聞こうっと。
実家から出るつもりはあんまないねんけど
結婚したいねんもん、まあいつかね?
次から次へと飛んでくる
かつて同じクラス、学校であったり
その周辺で関わっていた人々の名前。
懐かしい、と思うと同時に
やっぱり把握しているよね、と
息苦しさを覚える。
何を聞いても全て答えが返ってくるのでは
とすら思ってしまう。
まるで全知のAIだ。
1を聞けば10に広がって戻ってくる。
うちも昔はこの状況に慣れていたはずなのに、
都会のいい意味で人に無関心である部分に
染まり始めていたのか、
徐々に居心地が悪くなっていく。
けれど、このネットワークの狭さこそ
今だけはとてつもない利点なのだ。
里沙「そういえば湊のお母さん元気なん?」
湊「うん、まあまあかなー。てんてんは?」
里沙「うちんところは変わらずみんな元気やわ。ママが会いたがってたから今度来てみ。」
湊「そーする!この帰省期間に会えたらいいなー。」
里沙「そういやあんた高校は?もう始まってるんちゃうん?」
湊「お母さんのこと心配でさ、ちょっと長居しよっかなーって感じ!」
里沙「とか言って、都会に馴染めんくて泣き戻ってきたんちゃうんー?」
湊「あはは、みんな超超優しいから泣くことないよーん。」
里沙「湊の周りはいっつも平和やったし、都会でもいい人ばっか集まってくんのは納得やなぁ。」
飲みもんとってくるわ、と
からになったグラスを持って席を外す。
笑顔で見送った後、
笑顔を貼り付けたままに
鼻から大きく息を吐いた。
てんてんは基本的に明るい人で、
一緒にいて楽しい人だった。
受験期には少し
落ち込んでいる時期もあったが、
笑顔で挨拶を返してくれたのを
今でもしっかり覚えている。
本人は自分を人見知りだと言うが、
対面で話していると
そんな雰囲気はなかった。
けれど、確かに学生生活では
行事に前向きでなかったり
教室の隅にいる方だったりと
していた記憶がある。
湊「…うちの周りはいっつも平和。」
てんてんはどうだっただろう。
うちと一緒にいた時間は長いが、
部活などでは別々の時間を過ごした。
彼女の言葉を借りるなら、
彼女自身は平和とその逆
半々の位置に立っているように見える。
今だってそう。
…こう思ってしまう自分も自分で
とても嫌なやつなのだが、
彼女は、悪口を楽しめる
性格のように感じる時がある。
うちの前ではあえてそれを
抑えてくれているだろうことも
薄々感じていた。
里沙「お待たせー。」
湊「ういー。」
喉は安定を求めたのか
透明な液体の注がれたグラスを
机にことんと置く。
里沙「うちさぁ。」
湊「うん。」
里沙「湊がこの町でてったん、お母さんが原因かなとか思っててん。」
湊「え?お母さんが?」
里沙「ほら、一時めっちゃ荒れてたやん?荒れてたって言うか、暗ーいって言うか。」
湊「あぁ、ね。でもあれって小学生とかの時じゃない?」
里沙「高学年やったっけ。中学な気がしてたわ。」
湊「中学の頃も…まあ、長引いてはいたかも…?」
里沙「前あんなに明るかったのにってうちのママも言っててな。マジで心配やってん。」
湊「あらやだぁ心配してくれてたのん?」
里沙「そりゃあするやろ。勝手やけど湊の家ってほんま幸せの象徴やなって思っててん。だからあんたのお父さんがおらんようなって、お母さんも暗なってさ。湊、どうなるんやろうって。」
あ、うちのお父さんがいなくなったのって
その時期だったんだと漠然ながら思う。
確かに小学校低学年の時は
いたような気もする。
自転車に乗る練習に
付き合ってもらったような。
けれど、本当に気づいたらいなかったのだ。
湊「うちはこの通り元気に育ちましたよー。お母さんもめたんこ元気だし!」
里沙「そーなんや。よかった、ほんま。」
湊「最近お母さんが誰かと話してるところとか、見たことない?元気そうだったし何かしら交流があるのかなとか思ってさ。」
里沙「どうなんやろ、うちは家こんなに遠いしそんな会わんからなぁ。あんま家から出てこうへんイメージまだあったくらいやし。」
湊「そっかー。」
里沙「てかそんくらい自分で聞きいや。あんたのとこのお母さん優しいし答えてくれるやろ。」
湊「いやぁ、照れ臭くてー。あ、そういえば最近オレンジくれるおじいちゃん見てないような。」
里沙「あそこの爺さんちょっと前に亡くなったで。」
湊「え、そうなの!?」
本当は何年か前に
お母さんから聞いていた。
初めて聞いた風の反応をすると
てんてんは「何で知らへんのや」と続けた。
里沙「オレンジいろんなとこに配ってくれた有名人やからとっくに知ってると思ってたわ。」
湊「全然。わー…そうなんだ…お参り行かなきゃな。」
里沙「そうしとき。学校に近い方の墓地やった気がするわ。」
湊「わかった、ありがとん。他にも最近この方亡くなったなーとかある?お世話になったし、みんなのところにお参り行きたいんだよね。」
里沙「ええ子やなー。最近かぁ…それで言うと──」
それからつらつらと名前があがる。
おまけに聞いてもいないのに
あっさり死因まで話してくれた。
殆どはおじいちゃん、おばあちゃんの名前。
ほぼほぼ老衰で、
老人ホームで最後を迎えた人も多いらしい。
時折家の中の事故もあったと言う。
たまに4、50代の方の名前があがるも
「ガンやったらしいで」
「糖尿病が原因やったんやって」と
付け加えてくれた。
聞いた名前の全てに、
お母さんと深く関わりの
ありそうな人はいなかった。
話したことはあるだろうし
存在ももちろん認知しているだろうが、
恨みを買うほど接してもいなさそう。
やがてうちがこの町から
出る以前の名前があがる。
その範囲は記憶があると
思いながら聞き流した。
そして。
里沙「うーん…もう出てこんなー…このくらいまで遡ると、強いて言うならそれこそあんたのお父さんとか。」
湊「あー…そのくらい前になっちゃうかー。」
里沙「何やったっけ、ご病気やった気がするけど。」
湊「そうそう。」
病気だったかも知らないが、
てんてんはうちが全て
把握しているていで話しているようなので
なあなあに流すよう相槌を打った。
里沙「てか最後の方は湊も知っとるやん。」
湊「てへ。」
里沙「気づいとったんなら止めてぇやー。」
湊「ごめそごめそー。」
仕事中や家中での事故で
亡くなったという話はあれど、
事件で亡くなった、という話はない。
ならば、殺したという発言は
今も解明されずに
うまく誤魔化し続けられていることになる。
ネットワークの狭く、
関わる人も限られており
移動範囲も狭い方。
自然と、とても嫌なことに
自分のお父さんなのではと
思ってしまうことが恐ろしい。
てんてんの口から
具体的な病名が出ず、
加えてうちも死因がわからない。
今のところ最も可能性が
高いのではないかと感じてしまった。
そして、お父さんがいなくなったあたりから
お母さんは暗くなった、という。
殺してしまったからだとすれば
少し引っかかるが納得はできる気もする。
だからと言ってお母さんに直接聞いて
いいのだろうか。
何か詮索していると勘繰られたら、
のちに自分の首を絞めるのではないだろうか。
あの夜の発言を聞かれていたと
確実と言っていいほど
思ってしまうのではないか。
うちのお母さんが、お父さんを。
そんなこと。
そんなこと…あるだろうか?
他人から、てんてんの目から見て
幸せそうに見えた家庭内で…?
現実から目を背けるように
てんてんの話に耳を傾けて、
思い出話に乾いた笑いをたむけた。
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