いないもの
奈那美
第1話
転校初日。
放課後、職員室に呼ばれてもろもろの書類や教科書を受け取って、安岡みちるは教室へと廊下を歩いていた。
(きっと、もう誰も残っていないよね)
転校生が珍しいのか、午前中はクラスメイト達が話しかけてきてくれた。
だけど、特に際立った容姿を持つでもなく、スポーツでなんらかの成績を挙げたわけでもないごく普通の人であるみちるへの興味は、時間とともに薄れていった。
まだ転校初日だと言うのに、みちるはずっと前からクラスにいたけれど特に仲良しがいない人という扱いが定着していた。
(まあ、ぼっちには慣れているけどね)
それに──
あ、居たんだと軽く扱われているよりも、居ないものとして扱われる方がずっと辛かった。
配布物のプリントは回ってこない。
提出物の回収者はみちるの席を飛ばして回収していく。
いわゆるイジメ……ハブにされていた。
なにが原因かはさっぱりわからなかったけれど。
先生に相談しても親身になってはくれなかった。
それどころか提出物を自身の手で届けた時も『提出時までに終わらせてなかったんだろう』と叱責を受けた。
周囲には、味方が誰ひとりとしていなかった。
それに耐えられなくなって、県外の叔母を頼って転校したのだけれど。
(ここでも意地悪されたらどうしよう)
みちるはうじうじと考えながら教室の扉を開いた。
思った通り、教室内には誰も残っていなかった。
もちろん照明も消えていて薄暗い。
(カバン取って帰るだけだから、あかりつけるなんてもったいないよね)
みちるは受け取ったものをカバンに入れ、帰ろうと入口に目を向けた。
「ヒュッ!」みちるは息をのんだ。
誰かいる!
教室に入った時には気づかなかったけれど、入口のすぐ横に誰かが立っていた。
顔はよく見えないけれど、長い髪とスカート姿で女子であろうことは想像できた。
「こんにちは……ああ、もうこんばんは、かしら」
鈴を鳴らしたような声だった。
「あ。こん……ばんは」みちるはなんとか返事をした。
「あなた、転校生?昨日までは見かけなかったけれど」その少女が聞いてきた。
「はい。今日、転校してきました」みちるは何とか落ち着きを取り戻して答えた。
「お名前を伺ってもよいかしら?」少女が小首をかしげた姿で聞いてくる。
「安岡、です。安岡みちる」みちるは自己紹介をした。
「そう。みちるさんね。私は高木
「高木さん、ですね。よろしくお願いします。同じクラスの方、ですよね?まだみんなの名前、覚えていなくて。ごめんなさい」みちるは頭を下げた。
「いいのよ。というか私、い……ないものだから」少女が、不自然に間が入った言葉を口にした。
「え?いないものって……」みちるは問い返した。
「そのうちにわかるわ。じゃあね」
高木鈴音と名乗った女性は、そう言うとひらひらと手を振って教室から出て行った。
「いないものって、どういう意味なんだろう」みちるは腑に落ちないまま家路についた。
「ただいま」叔母の家の玄関を開けて中に入る。
叔母は仕事から帰っているらしく、キッチンの方からいいにおいがただよっていた。
「ただいま、
みちるから見れば叔母にあたる結衣──川上結衣は母親の妹だが、おばちゃんと呼ばれるのを嫌がったため、小さい頃からずっと結衣ねえちゃんと呼んでいたのだ。
もっとも実年齢よりもずっと若く見えたから、違和感は全くなかった。
「おかえり、みちる。学校はどうだった?……って、ごはん食べながら話聞かせて。もう出来てるから、早く着替えておいでね」
部屋着に着替えてキッチンに向かう。
テーブルの上にはホカホカと湯気があがる美味しそうな料理が並んでいた。
実家では食べられなかった、出来立ての料理。
実家では母親が作った出来立ての料理なんて食べたことがなかった。
食事の用意はしてあったけれど、みちるはその食事をひとりきりで食べるのが常だった。
両親ともに忙しくて、ほとんど顔を合わせることがない家族。
(お母さんが生きていてくれたら……)
何度もそう思った。
みちるを産んだ女性は、みちるがごく幼いころに病で旅立っていた。
だから母親はみちるにとっては継母だった。
血の繋がりはないけれど、彼女は衣食住の面では何不自由なく面倒を見てくれた。
けれど──それだけだった。
学校でハブられている……相談しようとした。
『悩み事ならお父さんに相談して。私はあなたを産んだ母親ではないから』
父親に相談しようとした。
『悩みがあるなら女同士で相談しろ。俺の手を煩わせるな』
だから叔母──結衣ねえちゃんに相談した。
「つらい。ここにいたくない。私の居場所がどこにもない」
叔母は、そんなみちるを迎え入れることを快諾した。
きっと、これで大丈夫。
もういないもの扱いをされなくてすむ、そう思った。
「学校はどうだった?」叔母が聞いてきた。
「うーん。こんなものなのかなって。話しかけてくる人もいたけれど……」
みちるはロールキャベツをほおばりながら答えた。
「まだ転校初日だからね。そのうち友達もできるわよ」
叔母もロールキャベツをスプーンの上で冷ましながら答えた。
「そういえば、放課後に職員室から教室に戻ったら不思議な人がいたの」
「不思議な人って?」
「不思議なというか不思議なことを言う人がいたの。顔はよく見えなかったけれど、女の子で、制服着てて。それで『私はいないものだから』って言ったの」
「いないものだからって、言ったの?」
「うん」
「へえ、いないものだなんて。みちるじゃないけど、不思議なことを言う人ね。名前は聞けた?」
「えっと、高木鈴音さんっていってた」
「そう」言葉少なに返事をした叔母の口元がかすかにあがったが、みちるはそれに気づかなかった。
「いないもので思い出したんだけど、ほら、前に貸してくれた小説があったでしょう?クラスにかけられた呪いから守られるために、クラスの誰かをいないものにしちゃうやつ」
みちるは男性小説家が書いた、大ヒットミステリ小説のタイトルを挙げた。
「まさか、それと同じことが起こってるわけじゃないよね?」
「それこそ『まさか』よ」叔母はおかしそうに笑いながら言った。
「あの小説では、ある時クラスの一人が亡くなって、それが発端となって……という流れだったでしょう?南中学では、過去にはそんな事件は起こっていないし。卒業後も私、ずっとここに住んでいるけど、そういう話は聞いたことがないわ」
「そっか。そうだよね」
あんな物語の世界の話が、現実におこるはずはないとみちるは思った。
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