第39話 突破

月明かりの下、リリアは地下通路から静かに姿を現した。


レイヴンの地図通り、ここは宮廷街の南端。薄暗い路地の向こうに、巡回の騎兵隊の蹄の音が響いている。


(エステル様のために、この道を切り開くだけです)


リリアは剣に手をかけながら、慎重に前進する。街路の暗さは、彼女にとってはむしろ好都合だった。


角を曲がった先で、松明の光が揺らめく。巡回中の警備兵が、すでにリリアの気配を察知していた。

光が彼女の姿を捉えようとした瞬間、リリアの剣が一閃する。


風のような一撃。兵士たちの手から、次々と武器が弾き飛ばされていく。

剣筋を追える者は誰一人としていない。しかし、リリアの剣は武器だけを叩き落とす正確な剣筋だった。


(エステル様は民を大切にされるお方。この場では敵とはいえ、私も同じ心がけを)


警鐘が鳴り響く。たちまち路地という路地から、兵の姿が現れ始めた。松明を手にした部隊が、迷路のような路地を塞いでいく。巧みに陣形を取り、退路を断とうとしている。


リリアは一瞬、状況を見極める。すでに七十名を超える兵力が集結しつつあった。このまま地上での戦闘を続ければ、いずれ包囲は完成する。


「……通ります」


彼女の姿が月光の中に溶けるように消える。いや、あまりの速さに目が追いつかないだけだった。銀色の軌跡が、月明かりの下で円を描く。


息を呑むような一瞬の後、最前列の兵たちが武器を失っていた。その剣術は、まさに神業としか言いようがない。


混乱に乗じて、リリアは路地の壁を蹴る。見る者の目を疑うような跳躍で、瞬時に屋根の高みへと飛び移った。地上の追手からは、もはや有効な攻撃が届く高さではない。


瓦を踏む音一つ立てずに、リリアは建物の上を駆け抜ける。


月光を浴びた姿は、まるで舞う蝶のよう。地上の追手たちは、松明を掲げながらその動きを追おうとするが、暗闇の中では追跡など覚束ない。


だが、通りの突き当たりに新たな敵影が現れた。重装備の騎兵隊が、整然と隊列を組んで待ち構えている。


月光に照らされた鎧が不気味な輝きを放つ中、二十騎の精鋭たちが地響きを立てて襲来する。


市門までのルートを完全に塞ぐ態勢。しかし、それはリリアにとって、むしろ好機だった。


完全武装の近衛騎士団。その重装備は、夜間の迅速な対応には向かない。リリアはそれを見抜いていた。


地上に降り立ち、迫り来る騎兵隊と相対する。その仕草には迷いのかけらもない。


一閃。

月光のような剣筋が、重装備の騎士たちを次々と翻弄していく。鎧のつなぎ目を的確に狙われ、最前列の騎士が落馬。その混乱が後続に波及し、隊列が大きく乱れる。


混乱に乗じて、リリアは一頭の馬を選び出す。最も若い騎士の乗る駿馬――その選択に一瞬の迷いもない。


一太刀で、騎士は無傷のまま地面に転がされ、馬は新たな主を得た。


後方から追撃の気配が近づく。しかし、漆黒の夜道で、松明を頼りに追える相手ではない。リリアと駿馬の姿は、すでに月夜の闇へと溶けていた。


(これで、クラリス殿下の元まで……)


街道を駆けながら、リリアは月を仰ぐ。宮廷と同じ月が、この先の国境でも輝いているはず。


(しばしの間、お側を離れることをお許しください、エステル様)


月明かりに照らされた街道を、一騎の影が駆けていく。


(必ずや、エステル様に笑顔を取り戻す)


その胸に秘めた想いと共に、希望を探し求めて――。

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