ファミコンの頃は、容量少なく記号めいた構造のゲームで本数も少なかったからこそ、クソゲーへのチャレンジしがいもありましたが、
現在の超高度な見た目、有名でない作り込まれてもないソフト乱立、そもそもゲーム離れ、という時代にクソゲーに、とことんゲームやり込む人ってなんか凄いと思います。
ちなみにわたしは、グラフィックが凄くてもクソゲーはクソゲーという真理に気付かされたのは、セガサターンのエアーズアドベンチャーです。
作者からの返信
かつたけいさん。
コメントいただき有難う御座いますm(__)m
思い返すと、ファミコンの頃(スーファミ)もそうでしたが、ソフトが高価だったこともあり、なかなかゲームを楽しみ切らないという選択肢自体が無かったですからねぇ。
今考えると、敵の打って来る球数が増えてくると途端に処理落ちして動作が鈍くなるシューティングゲーとか、裏技のような抜け道でしか最終面に進めないゲームとか、なかなかのムリゲーですよね……。
で、話は変わり、調べてみました。
『エアーズアドベンチャー』
…………うん、クソゲーですね。
プレステ派閥だった為、未プレイでした。
軽く紹介文を見ただけで感じられる地雷臭。
『道を歩いていたら突然装備が降ってきてそれを平然と装備する、物語の序盤に加入した組織を大した理由もなくあっさり抜ける』
とか、熱すぎます!!
流石、快(怪)作です!!
まさか中身が『エアー』だとは、制作陣を見たら思いませんもんね!?
こういった偉大なる作品達の存在を知ると、私の仮想したクソゲーなどまだまだと痛感させられます(笑)。
より熱いクソゲーを構想し、同様のネタでリトライしたくなりました(笑)
長文失礼いたしましたm(__)m
(中にはそれを”~のところで吹き出しました。いつの時代にも世代にも好事家はいるものですね。
作者からの返信
不二原さん。
コメントいただき誠に有難う御座います。
前話に引き続きプレーヤーの闇(病み)部分です(笑)。
というか、このゲームを続けられるプレーヤー自体、それなりに拗らせているのでは無いか?と、作者的に考えてしまったり、しまわなかったり……。