ep.36 辻斬りの気持ちがわかる自分が怖い
なぜか機嫌を損ねてしまったスプライト。そのご機嫌取り……いや、食育計画を進めていく腹積もりでいる。
人は最初に口にした食べ物で、その後の好き嫌いが決定付けられてしまうことが多いものだから。
なにかの拍子に初めて口にしたものが上等なものであれば、それだけで一生それが好きになることがある。
逆に運悪く、状態の悪いものに当たってしまったりすると、それを一生引きずって、食べられなくなってしまうことも。
一度身についてしまった偏食を改善しようとしても、なかなか上手くいかないことばかりだ。最初が肝心なんだと、しみじみ思う。
なんせ俺自身、子どもの頃には好き嫌いが多くて、食べられるものがほとんど無かったくらいだから。
高校の終盤も終盤、卒業する間際になって、突然、野菜が美味しく感じられるようになったけど。それまでずっと、相当な食わず嫌いだった。
野菜嫌いを克服できたのは、あのとき親父がつくっていた無農薬の有機栽培野菜を食べてから──その美味しさに衝撃を受けたからだ。
それからというもの、どんなものでも、とりあえずは口にしてみようと考えを改めたわけ。今では、余程のゲテモノでもない限り、なんでも味わえるようになっちゃったけど。ほんと不思議。
ということで、スプライトが食事に抱く印象──それは、彼女が最初に口にする、俺が用意した料理次第というわけだ。……うん、責任重大。
妖精としての長い経験から、俺よりもずっと大人びたところもあるようだけど、肉体を得てから初めて体験することに関しては、俺の双肩にかかっていると言っても過言ではない。
肉体を得てしまい、元の妖精の寿命からしたら瞬く間にも等しい、短い一生になってしまったわけだから……。せめて、これからの食事は、単なるエネルギー補給にさせないためにも、俺がしっかりせねば。
それゆえ、今回は上質のものを多くご用意したわけ……いや、その……決して肉屋の押しに負けたからでは……は、はい、負け惜しみです。
それでは、気を取り直して、晩御飯の準備を始めよう。
【エルフの郷】で用意してもらった作業用ナイフ。当然と言えば当然だが、これ調理には向いてない。
昨日はそのナイフに代わる包丁を、土魔法で作ってみたものの、うちで使ってた包丁には遠く及ばなかった……。
まあ、当然なんだが。なにせ、以前使っていたのは、水心○銘の包丁だったから。幼いときに亡くしたお袋が愛用していたもの。
見よう見真似の独学だったけど、俺も親父と交代で小学生の時分から料理を始めている。
お袋はどういうわけか、なにを切るにも、その菜切り包丁を使っていた記憶がある。三徳包丁やら、出刃包丁やら、他にもいっぱい持っていたにもかかわらず。
それを見て育ったせいか、俺も他の種類の包丁がどうにも使いにくく感じるようになっていた。
この世界に転移する直前まで使い続けていた薄手の包丁。
あまりにも使いやすいので、あるとき包丁の銘を調べ、そこで取り扱っている物だったら、別の種類の包丁でも使いやすいかもしれないと思って、探したことがある。
江戸時代に活躍していた刀鍛冶の流派で、廃刀令によって、包丁や
余程硬いものであっても、変な刃の立て方をしない限り、刃こぼれすることがない上、一度研ぐと、切れ味もえらく長く続いてくれていた。
俺はとんでもない名包丁を手にしているのではないかと密かに思ったものだよ。
三十年以上、自分で研いで使っていたけど、まだまだ現役ばりばりの状態──微塵も衰えを感じたことはない。
他の包丁なら、すぐに錆が浮いてくるのに、あの包丁だけは野菜の灰汁すらもほとんど付かなかった。
大して手入れもしていないのに、いつまでも輝きを失わないのが、今思うと、不思議と言えば、不思議。
実のところ、あの包丁を調べるに当たって、そうした薄手の包丁が菜切り包丁、つまり、野菜を切る用途で作られていることを初めて知った。
ネットでは、同じ銘のハサミはあったが、どうしても包丁を見つけることができず、仕方なしに余所の銘で、別の種類の包丁を何度か買ってはみたことはあったけど……。
結局のところ、いつの間にやら、あの菜切り包丁に戻ってきてしまうのだ。そのときになって初めて、お袋の気持ちがわかった気がした。
「でしょっ! あれ、使いやすいんだってぇ!! ふふふ、やっとタカシにもそれがわかるようになったかぁ」って、今でも言い出してきそうなお袋の顔が浮かぶ。
いやいや、つまりだ。俺が土魔法で作ったナマクラと、業物の包丁というものはそれほどまでに違う。職人の仕事ってのは、極めて高度だと言いたかっただけなんだ。
こうやって、保冷庫から取り出してきた肉をナマクラで切っていると、感触がどうにも……。
刃のようなものを拵えて、鋭く研いではあるのだけど、なにかが……しっくりこない。
もっとこう、あの包丁みたいにスパッ、スパッと、そう思った瞬間──するすると切れ味が改善した……はぁれっ!? なにこれ?! 凄くない?
肉の抵抗が、嘘のように……無くなった。肉がこびりつく感じがまるでしない……ん!? あぁ、そういうこと!
包丁に目を凝らすと、刃先の周囲を黄緑色した、小さな小さな細かい風が止めどなく流れていた。まるで風のチェーンソーみたい。
ははは、包丁に風魔法を纏わせてしまっていたようだ。もはや無意識か。
鍛冶屋さんからしたら、イカサマだと怒られかねない所業だな。だけど、これこそが異世界の醍醐味。許してくれたまえ、ふふふ。
お袋が聞いたら、「ずっるぅ〜い。あたしも使ってみたいっ! それにいつも言ってるでしょ。そこは『お袋』じゃなくて、『おかあさん』もしくは『かあ様』って呼んでって。もぉぅ、そんな小さな頃からお父さんみたいに格好つけなくてもいいのにぃ」って、絶対言いそう。いや、もう俺、おっさんなんだけど。
あぁ、でも……切れ味の良い包丁で物を切るのは楽しいなぁ。辻斬りの気持ちがちょっとだけ……わかる。そんな気がしてしまう自分が、きょわい。
というのも、大学時代、一般教養課程で単位補充のため、偶々取った心理学の授業。そこでやらされた心理テストがずっと気になってる。
心理テストの質問にいくつか答え、その回答結果を座標上に落としていく性格診断だ。
犯罪者や嘘吐きの場合だと、ある特定の領域に収まるらしい。
生徒たち自身に自分の回答を集計させた後、講師が締めに「ところで、この中に犯罪者はいませんね?」と言うのが、オチとなっているような授業だった。
ただ、集計した結果を目にした俺は、気が気ではなかった。だって、俺を示す点があったのは、犯罪者が集まる領域の、更に外側の座標だったから……。
えっ!? ちょっと待って! おいおい、これで授業は終わり? 俺のこの結果はどう解釈すればいいの? えっと、これって、異常者より更に異常ってことなの? それとも普通ってことでいいの?! ありきたりなんだよね? そうですよね? と、心の中でかなり狼狽え、戸惑ったのを今でも鮮明に覚えている。
それでいて、本当のことを知るのが怖くて、ついつい調べられずじまい。そして、現在に至るっていうのが、また情けない。
もう永遠に調べようがない。まさかこんなことで、異世界に来たことを実感しようとは思いもしなかった。
いや、だから、違うんだって……今は料理中なんだってばよぉぅ。
これじゃあ、あかん。スプライトに中途半端な料理を出すことになってしまう。
あぁあ、試し切りしすぎたせいで、肉がちっちゃくなっちゃった……。
これだと、更に細かく刻んで、粗挽きにでもするしかないな。仕方ない。今日はハンバーグにしよう。
風魔法を纏った包丁を使ってるわけだから、ミキサーでミンチにするよか、摩擦熱で肉が変質するようなこともないだろうし。
それに俺は、どんなに高級なステーキよりも、ハンバーグの方が好みだ。
同じ高級肉を使ったものはもちろんのこと、安めの肉でも作り方次第で、ずっと旨くなるから。
いろんな物を混ぜ合わせて作っているからこその旨さだ。肉だけじゃないからの旨さ。繋ぎにもちゃんと意味がある。
ハンバーグこそ、調理することによって、食材の旨みが引き出される典型だと言える。
ただ、合い挽きで豚肉も混ぜるとなると、焚き火のような不安定な火で作るのには、衛生面でちょっと不安が残るんだよね。
とはいえ、今は心配ご無用……だって、火魔法を使った調理で、火加減は万全だから。
となると、あとは、柔らかく調整したハンバーグをひっくり返すとき、染み出してしまう肉汁が問題か……。
ああ、そうか。ダッチオーブンのように、上からも火が入れられる鍋を使ってやればいい。ハンバーグをひっくり返す必要がなくなるから、そうした心配もないわけか。
キャンプなんかしたことなかったから、ダッチオーブンを使ったことなかったけど……うん、確かに便利かも。店なんかでも最後にオーブンで仕上げるとこも多いしな。
繋ぎのパン粉は……あ、しまった。パン残ってるんだっけか?
……あった、端っこの丸いとこだけど。ああ、フレンチトーストの残りか。よかったぁ。
そういや、後でクラムチャウダーに浸して食べようとしてたの、すっかり忘れてた。
あ、でも、ちょっと乾燥してて、パン粉にしやすそう。丁度いいや。
いろいろ手間取ったし、みんなも腹を空かせて待ってくれてる。またもや包丁で、ちまちま細かくしていくのも、なんだなぁ。
時短しよ、っと。風魔法を使い、パンを一瞬にして切り刻み、パン粉にした。
ハンバーグの硬さの調節は、肉との比率で、繋ぎのパン粉とミルクの量を変えてやれば、簡単にできる。
パン粉が肉汁を吸って、均等に保持してくれるから、全体がバランスよく旨くなるんだ。
映像でよく見る溢れ出す肉汁というのは、宣伝効果を狙った視覚的な演出にすぎないからね。
実際には、切った瞬間、肉汁が皿に染み出すようでは、残った肉の味が淡泊になり、食感もぱさぱさになってしまう。
それを嫌がり、あまりにも余分に脂を追加してしまうと、溢れた肉汁で、せっかく煮詰めて味を調えたソースが、びしょびしょに薄まって、味や食感のバランスが崩れてしまう。
若い頃は血液がサラサラなこともあって、体に必須とされるオメガ脂肪酸と錯覚し、どんな脂肪でも旨く感じられたりもするけど……。
逆に、年を食って、血液の循環が悪くなってくると、余計な脂肪分ってのは旨く感じられなくなるものなんだよ。
だから、ナイフで切ったハンバーグから、脂がたっぷりと流れ出すシーンを見て、食欲が湧くようなら、若いという証拠だ。
そして、人間の味覚は、意外と曖昧。飽食を続けたり、食に偏りがあると、味覚なんてものはすぐ馬鹿になる。
とはいえ、出汁を毎日飲んでいれば、味覚は研ぎ澄まされ、繊細なものまで判別できるようにも──料理人が毎日きちんと出汁を取って、味見するというのも、実は鋭敏な味覚を維持するのに大いに貢献してるわけなんだ。
とかく、色々な肉を混ぜ合わせたり、脂身を足したりしても、肉だけで作ったハンバーグは、どうしても旨みが洩れ出して、ぱさぱさになりやすい。
焼いてる途中、激烈に美味しそうな匂いが漂ってくるのは、要注意だ。匂いで旨みを消費した分、味はどうしても、いまいちになる。
でも、繋ぎを使えば、肉に元から含まれていた旨みや脂を、繋ぎのパン粉が吸って、中に留めてくれるから余計な心配は要らない。
肉の旨みをパン粉にどれだけ吸わせるかも残すかも、ミルクの量で調節できる。俺のような素人でも簡単だ。
だから、ハンバーグは偉い。旨いから偉い。俺でも旨くできるからこそ、考えた人、偉い。
結局のところ、料理は愛情……あはは、懐かしい。
別に、俺は料理に対して特別の拘りがあるというわけじゃない。料理を作るのなんて特に好きでもない。どちらかといえば、面倒。ただただ旨い飯が食いたいだけ。
だから、人が作ってくれた料理は本当に嬉しい。『料理作ってくれて、ありがとう』と、店で感謝しながら食べてるくらいだし。
なにも特別なことは求めていない。どんな業種でも、職業としての仕事を普通にこなしてほしいだけ……なのに……。
はあ、嫌なこと思い出しちまった。なんだよ? 余計な感情が料理に混ざっちまったじゃんか。ったくぅ、俺はスプライトに愛情だけを注ぎたいのに……。
なんにしても、俺はプロじゃないからね。失敗したことから、一つずつ自分で学んでいくしかない。じっくり観察して原因を見つけ、よく考えて工夫していくしか。素人なりに当たり前のことを当たり前に……ゆっくりと丁寧にだ。
でも、ほらっ! こうやって、俺が作ったものを美味しそうに食べてくれるスプライトやユタンちゃんを眺めていると……うん、救われる。
またがんばって作ってあげようって気にもなる。もっと旨いものを作ってあげなきゃなという励みにもなる。
ふふふ、いいよなぁ。とろけそうな表情を浮かべてる笑顔の女の子って。
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