6.神奈川県三浦市の溶岩蛇-1

「潰してもいいか?あの山」


貝塚にそう言われた半魚人の男性は流石に困り果てた。


山を潰すとはどういう意味なのか。


文字通り平らになるということか。


回答に迷った末、半魚人の男性は根本的な質問をすることに決めた。



「何のためにやるんだ?」


このあたりは自然なら捨てるほどある。


海が汚れるのは困るが、山の1つや2つ無くなったところで困りはしない。


それよりも問題なのはその目的と、山を潰す際に他に被害が出るかどうかだ。



「この前来た時に悪い奴らがいたって話をしただろ?あいつらを叩き潰そうと思ってな」


言葉の剣呑さとは裏腹に、山にピクニックにでも行くような調子で貝塚は目的を告げる。


「なるほど。そういうことならいいんじゃないか?念の為、村長にも話をした方がいいだろう」


答える半魚人の男性も好きにやっていいぞと軽く言い放った。


邪魔者がいなくなるなら、多少手荒な行為であっても気にはしない。


そんな繊細な神経をしていては、この世界では生きていくことなどできないのだ。



「そういうのは責任者同士の仕事だな」


貝塚は後ろを振り返り、「嶋田!こっち来い!」と呼びかけた。


そして、嶋田が近寄るのを確認して、再び半魚人の男性に話しかける。



「すまないが村長のところまで案内を頼めるか?」


「任せておけ」


半魚人の男性はそのまま嶋田を連れて村の中へと歩き始めた。



その場に残された者たちは拠点作りと戦闘の準備を始める。


何人かは荷物を下ろした後、偵察に行くと言って山の方に向かった。



嶋田と松永が集めた人員だけあって行動に無駄がない。


貝塚よりも強く、戦闘に特化している者も多数いるのだから当然だ。


貝塚はその光景を見て、「これで俺の仕事は終わったな。後は全部あいつらに任せよう」と頷く。


そして、おもむろに別方向を向いた。



「で、お前は何をしに来たんだ?」


「この格好を見て分からんのか?モンスターの食べすぎで脳がやられでもしたか?」


そこにはフラニスが立っていたが、いつもの格好とは違う。


水色のつばの広い帽子を被り、背中が大きく開いた白いロングドレスを着ている。


どこからどう見てもビーチリゾートに来た観光客にしか見えなかった。



「勝手についてきたと思ったら遊びに来たのか......」


「たまには気分転換も悪くない」


恐らくこのまま適当な宿に泊まり、海を眺めながら酒でも飲むつもりなのだろう。


先日の酒でよほど気を良くしたのかもしれない。



「...邪魔をしないならいいか」


そう呟いて貝塚は考えるのを止めた。


無害な神に余計な手出しは無用、それがこの世界のルールだからだ。



いざとなったら無理矢理巻き込んで、最後の防衛手段として利用する手もある。


犠牲は甚大だろうが背に腹は代えられない。


潰れる山が1つから3つに増えるくらいなら許容範囲だ。


そんなことを考えていると、フラニスの荷物を持たされている柿本が話しかけてきた。



「師匠、この後はどうしましょうか?」


「どうすると言われてもな」


隣に立つフラニスをチラリと見る。


この危険で面倒な存在をどう扱えばいいのか。


自らの失敗に気がつき内心で舌打ちした。


嶋田を村長の家に向かわせる前に、こいつのことも押し付けるべきだった。



「おい、荷物を持って宿まで案内しろ」


貝塚の悩みを気にするはずもなく、フラニスが当然のように要求を突きつけてくる。


まさに傲慢が人の形をして歩いているような存在である。



「.....大人しく命令に従っておけ。あの調子で半魚人たちと接したら何が起きるか分からん。危険な外来種をそのまま放流するわけにはいかないだろ?人間は神には勝てないんだから、こんなことで機嫌が取れるなら安いものだ。後で嶋田の野郎に水増しして請求しておけ」


「......分かりました」


ため息をつきながら指示を出す貝塚と、同じくため息をつきながら指示に従う柿本。


そして、日頃面倒な師匠に鍛えられている弟子はすぐに気持ちを立て直し、仕事にかかった。



「こちらへどうぞ」


「よきにはからえ。それと酒の準備を忘れるな」


「もちろんです。前回の料理でお気に召したものがありましたら、同じものを手配しましょう」



柿本は荷物を抱えながらフラニスを先導していく。


あの調子なら上手いことあしらってくれるだろう。


貝塚は弟子の成長を喜びつつ、この作戦が終わった後にどうするかを考え始めた。



**********



しばらくした後、村から戻ってきた嶋田が作戦参加者を集めて打ち合わせを始めた。


「村長から許可が降りた。開拓の手間が省けるから、潰すとは言わず消し飛ばしても構わないそうだ。念の為、村民は遠くに避難するらしい」


「妥当な判断だな。話が早いのは良いことだ」



参加者の男性が緊張した表情を緩ませながら相槌を打つ。


ここまで来て「止めてくれ」などと言われた日には話がこじれるだけだし、実際にそういう話はいくらでも転がっている。


今回の作戦は、田舎で突然大規模な建設工事を始めるようなものだ。


地元住民との対話に失敗すれば、作戦が上手くいっても禍根を残すことになってしまう。



別の女性が手を上げて情報を告げた。


「こちらからは悪い報告がある。敵の拠点を偵察しに行った奴らから連絡が届いたが、山の反対側は完全にもぬけの殻だったらしい。既に山中の拠点に集結している可能性が高い」


その報告を聞いて嶋田は苦虫を噛み潰したような顔をした。



「つまり時間の猶予がないということか。こちらも前倒しで準備を進めたのに、想定よりもかなり早い」


「だろうな。とはいえ、まだ失敗したわけじゃない。ギリギリで間に合いそうだと前向きに考えた方がいい」


まだ間に合う。


確かにそうだ、いや、そうであって欲しい。


その言葉を反芻しながら嶋田は頷いた後、貝塚の方を向いた。



「お前の方から報告はあるか?」


「村民と話をして、この作戦が終わったら浜辺で打ち上げすることに決まった。避難している間に、魚やら貝やら色々と集めてくれるらしい」


「何やってんだよ」


1人だけ別世界の話をしている貝塚を前に、嶋田は呆れ果てて怒る気すら起きなかった。



「仕事終わりに褒美があるのが分かっていればやる気も出るだろ」


「緊張感がねえんだよ」


「緊張するのと真剣にやるのは別だ。思い詰めてたら上手くいくものも失敗する。最善を尽くしたなら、肩肘張らずにやることをやるだけだ。人事を尽くして天命を待つって言うだろ」


もっともらしいことを言っているが、やっていることを振り返れば説得力など無い。


嶋田は時間を無駄にしないため、話を打ち切ることを決めた。



「さて時間の猶予もないことだし、早速作戦に移ろう」


嶋田はニスロクの方に視線を向ける。


いきなり貝塚から「今回の最大戦力だ」と紹介された時には目を剥いたが、味方としてはこれほど心強い存在は無い。



なお、無理矢理同行してきた女性に対しては素性を問い詰めなかったし、我が物顔で宿で酒を飲んでいる姿は見なかったことにした。


人間には許容限界というものがある。


作戦の指揮だけでも忙しいというのに、これ以上厄介事を増やされては堪らない。



「そちらの準備は万端ということでよろしいですか?」


嶋田の確認を受けて、ニスロクはあいかわらず微笑を浮かべたまま頷く。


その姿を見て女性の参加者たちは思わず顔をほころばせ、一部の男性たちは舌打ちをした。


やはり悪魔は存在するだけで人を堕落させ争わせるようだ。



「はい、問題ありません。それと敬語じゃなくていいですよ」


「そうか。それなら、作戦開始だ」


嶋田は命令と同時に手を大きく叩いた。


そのパンッと響く音をきっかけに、他の者達も一斉に行動を開始する。


そんな中、貝塚だけが腕を組んで何かを考えていた。



「何やってるんですか師匠、皆さん動き出してますよ」


「いや、このままだと食材になるモンスターが狩れないなと思って」


その言葉を聞いて柿本は呆れ果てた。


世界が終わるかもしれない時に、食材のことを気にしているのは師匠くらいだろう。



「作戦中に倒した適当なモンスターを使えばいいんじゃないんですか」


「やっぱりそうなるか」


貝塚は腕を組んだまま空を見上げる。


太陽はちょうど真上にある。


作戦後にモンスターを回収したとして、そこから色々と試せば、結果が出るのは早くとも翌日になるだろう。



「モンスターをじっくりと試してみたいが、打ち上げを待たせ続けるわけにもいかない。かといって、下手なものを出せば今度は別の神が暴れ出す。今回の任務はなかなかハードだな」


食材を選ぶ楽しみは奪われるが、先入観無しで食材と出会うのも一興だ。


安定と妥協は紙一重。


時には運を天に任せるのも悪くない。



1人頷く貝塚を前に、柿本はそれ以上何かを言う気力すら湧かなかった。


何も採れないまま作戦が終わり、たまには普通の海産物だけを食べることになって欲しい。


今頃酒を飲み続けているであろう神を除いた、どこかの神にそう祈りながら歩き出した。

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