第13話 幕間・ある森の惨劇
「【パワースラッシュ】!!」
「GYAGYAAA!!」
〈カードを入手しました〉
渾身の横薙ぎの一撃を浴びて、ゴリラのような毛むくじゃらのモンスターは、光の粒子に砕けて消える。
真っ暗な夜の闇を押し除けるようにその姿が吹き飛ぶと、無機質なインフォメーションがドロップの入手を告げ、戦闘は終了した。
しかし、自らの勝利を知っても、彼の顔は険しく眉根を寄せたままだった。
そして、不満そうに手にした長剣に目を落とす。
「・・・くそ。全然ダメだ、こんなんじゃ」
彼は、悔しげに顔を歪めながら小さく呟いた。
真っ暗な夜の闇の中、苦々しい顔で呟いたのは、金の長髪が印象的な細面の男性プレイヤー、ムルジアであった。
彼は敵のいなくなった暗い森の中、苦悩の表情で剣を見つめ、それから目の前の虚空を見つめる。
虚の闇の中に、彼は精神を振り絞りながら白銀の斜線を幻視した。
脳裏に焼きついたその光景を、何度も何度も思い返す。
それは、昼間、自分を圧倒した1人の初心者に放った一撃だった。
あの刹那に垣間見、さらに1人で何度も録画していた対戦動画を見返して脳裏に焼き付けた銀の閃刃。
その斜線に、彼は手にした剣を重ねようと振った。
しかし、振れば振るほど、彼の表情は悩ましげに歪んでしまう。
「くそ、違う!・・・クソ!!」
何度も何度も自慢の愛剣で空を切り、その度に悪態が漏れた。
考える、思い返す、そして振る。
何度も何度もそれを繰り返すが、一度としてそれが彼の理想に届く事はなかった。
そのあまりの「遠さ」に、彼は焦燥をただただ募らせて呻く。
「・・・くそ、なんで上手くいかないんだよ!!」
そしてとうとう、ムルジアは堪えきれずに怒りの声を張り上げてしまった。
彼が脳裏に幻視する銀の斜線。
信じられないほどに疾く、鋭いあの一撃は、気がついたら自分の腕を斬り落としていた。
どう考えても、おかしい。
「なんなんだよ、あれ?先に仕掛けたのは、俺の方だったのに・・・」
自分は、間違いなく全速で走って、剣で切り掛かったのだ。
基礎レベル21で【俊足】持ちの自分が、どうしてレベル1で職にすら就いていない初心者にスピードで負けたのか?
少なくともステータスで、自分があの男に負けるものなど何もなかったはずなのだ。
その自分が、先に駆け出し、トップスピードに乗った状況で振るった剣が、どうして後に動いたはずのあの男の剣に追い抜かれる?
ムルジアにしてみれば、昼間の一件は、あまりに不可解かつ理不尽に思えた。
しかし同時に、心のどこかで納得もしていた。
「・・・アヤノンさん」
様々な感情に揺れながら、ムルジアはポツリと憧れの人の名を呼んだ。
約2年前、いつものように動画サイトでゲーム配信を漁っていたムルジアは、偶然、彼女の配信を視聴した。
その時の衝撃は、今でも忘れない。
当時、彼自身もハマっていた『桃神』で、彼女は鮮やかに宙を舞い、対戦相手を薙ぎ倒していた。
自分では、想像も出来なかった動きに一発で魅了され、配信に齧り付き、時には視聴者参加型の配信で実際に対戦もした。
そして知れば知るほど、彼女の強さを思い知らされ、何より彼女の明るい気さくな性格に魅了されたのである。
そんな彼女と、どうしても一緒にゲームをしたくって、彼はEOJをはじめ、兄や友人の力を借りながら彼女のいる最前線に突き進んだ。
可能な限りログインし、レベルを上げ、カードを集め、配信もして自分なりに彼女の目に留まるよう努力したのである。
しかし、そんな自分を、あの男はレベル1であっさりと踏み越えていった。
アレが、AYANONが求める実力の持ち主。
しかもその男は、なんと彼女の身内、兄だった。
あろう事か、自分は憧れの人の家族に失礼な態度を取ってしまったのだ。
「・・・どうすれば良いんだよ」
思わず泣き言が漏れてしまう。
時間が経ち、頭が冷えたことで、ムルジアはようやく自分の一連のやらかしに気がついた。
AYANONが、自分の誘いを袖にして、見知らぬ男とイチャイチャしている。
しかも、相手は完全にゲームを始めたばかりの初心者である。
そんな奴が、前線でレベルを上げている自分より優先されているなんて!
ムルジアはどうしても納得いかなかった。
しかし、実際に戦ってみた結果は、文字通りの瞬殺。
AYANONが実際言った通り、あの男は自分より遥かに強いプレイヤーだったのだ。
しかも、それだけではない。
なんとあの男は、リアルのAYANONの兄だという。
それを知った時のムルジアは、目の前が真っ暗になった。
自分は、憧れの人の家族を馬鹿にして襲いかかってしまったのか?
しかもその兄は、自分を相手にもしなかった。
去り際にあの男がかけた言葉が脳裏に過ぎる。
『・・・まあ、機会があったら、今度は色々教えてやるよ。じゃあ、またな』
完全に子供扱いだった。
文字通り歯牙にもかけられていない。
それは、あまりにも屈辱的だった。
しかしそれでも、ムルジアにはその怒りをもうあの男に向ける訳にはいかなくなってしまった。
なにせ、相手は憧れの人の兄。
そんな相手にあんな態度で突っかかった挙句、負けた腹いせに当たり散らす?
(そんな事、出来る訳ないじゃないか!)
ムルジアは、諸々の感情のぶつけ先を失って俯いた。
そしてその気持ちを振り払いたい一心で、再び剣を構えて振りはじめた。
「はっ!くそ!・・・クソッ!!」
あの後、彼は1人この場所に篭って剣を振り続けていた。
そこは、彼が普段、レベル上げにやってくる森のフィールド。
その只中に立ち、剣を振りながら敵モンスターがやってくるのを待ち続けていた。
いつもなら、経験値を求めて辺りを練り歩く所なのだが、今日はそんな気分にはとてもなれない。
それほどまでに、どうにかして目に焼き付いたあの銀色の軌跡を振り払いたかった。
あの男の剣と自分の剣の何が違うのか?
ムルジアは、自分なりにその答えを求めて剣を振り続けていた。しかし
「・・・はぁ、はぁ・・・くそ」
無情にも、彼にはその手掛かりすらも見出せなかった。
さらに追い討ちをかけるように、視界の端に見慣れない表示が浮かび上がってきた。
それは、ログイン限界時間が迫っている警告表示。
フルダイブVRには、法律で定められた使用限界があるのだ。
ムルジアは、とうとう今日のダイブ時間をほぼ使い切ってしまったのである。
丸一日ログインして、なんの成果も得られず終い。
ムルジアは、その事実に苛立ちを募らせた。
「くそ!くそ!!くそ〜〜!!」
思わず夜の空に向かって吠えた。
しかし、それでもムルジアの冷静な部分が、町へ戻らなければならないと囁く。
このままフィールドで強制ログアウトなんて事になっては、泣きっ面に蜂だ。
セーフィティエリア以外でのログアウトは、アバターがフィールドに残ってしまう。そうなれば、ショートカットのアイテムは全滅だし、装備の耐久値なども無駄に失ってしまう。
「・・・はぁ、帰ろう」
ムルジアは、なんとか気を落ち着けて、近場の街に向かって移動を始めた。しかし
「え・・・?」
なんとその行手に、何かが立ち塞がっていた。
ムルジアは思わず目を疑う。
全身黒づくめの男が、闇の中に音もなく佇んでいるのだ。
今の今までその存在に気づかなかったムルジアは、ギョッとして固まる。
そんなムルジアに対して、その人影は音もなく腰に差した得物に手をかけ、引き抜いた。
木々の間から薄く差し込む月の光に、細身の白刃が煌めく。
それを見て、ムルジアはハッとした。
「な、なんだ、お前!?」
「・・・・・・」
身の危険を感じ、慌てて剣を構える。
しかし、その切先を前にしても、人影は全く動じなかった。
それどころか、右手に剣をぶら下げたまま、無造作に歩み出す。
(・・・なんだ?何も見えない!?)
その一挙手一投足に目を凝らしながら、ムルジアは困惑に眉根を寄せた。
男の姿は、距離が詰まっても、いくら目を凝らしても、その詳細が全く分からない。
かろうじて男性というのは分かるものの、その詳細は黒く染まっていて何も判別つかないのだ。
まるで全身に闇を纏っているかのよう。
まさに影法師だ。
その異様な光景を前に、ムルジアは思わず生唾を飲み込んだ。
(ヤバい)
訳が分からないムルジアだったが、それでも分からないなりに、自分が危機に瀕しているのを悟る。
目の前の相手は、自分を害す存在だと本能が訴えてくるのだ。しかし
「・・・はっ、何言ってんだか」
ムルジアは、ゲームの中で何を怖気付いているのか、と嘯いた。
自慢の愛剣を握り直し、目の前の影法師に集中する。
相手の得物は、細身のロングソード。
要するに、剣の勝負だ。
確かに得体の知れない相手だが、切り掛かってくるのは間違いない。ならば・・・
(逆に叩き斬ってやる!)
なにせ自分は、前線、第4エリアを攻略しているプレイヤーなのだ。
相手がプレイヤーか、それともMOBかは分からないが、ここは第3エリア。
こんなエリアの敵に負けるはずがないのだ。
正面からぶつかれば、ステータスと装備性能で押し切れる。
そんな思考の間に、影法師がムルジアの直近まで迫ってきた。
「・・・あぁああ!!」
ムルジアは気合いと共に剣を振る。
しかし、その一撃は無造作な影法師の一振りにあっさり弾かれた。
ムルジアは、思わず驚愕する。
「こ、の!」
しかし、ムルジアも前線プレイヤーの端くれだ。目標を逸れた剣を引き戻し、連続攻撃を繰り出す。
しかし、影法師もそれに即座に剣を合わせる。
緩やかなその動きは、ムルジアの剣を巻き取るように閃き、その攻撃を悉く弾き、逸らす。
その異様な手応えに、ムルジアは瞠目した。
力押しが、完全にスカされている。
ムルジアは、今までにない相手に困惑した。
そして、その隙を影法師は見逃さない。
お返しとばかりに、今度は影法師の剣が、ムルジアに襲いかかった。
「くぅっ・・・!?」
翻った剣閃が、矢継ぎ早に繰り出される。その鋭い連撃がムルジアを強かに打った。
防具が、ダメージをある程度防いでくれているが、ムルジアはほとんどなす術がない。
このままでは、あっさり削り殺される。
「くそ、【ブレイクソード】!」
咄嗟に、ムルジアはアーツを発動した。
下から掬い上げるような切り上げで強引に影法師の攻撃に割って入り、衝撃波のエフェクトで強引に弾き飛ばす。
敵との間合いを空けるのに使う【剣士】のアーツだ。
これで影法師の攻撃を遮って、仕切り直す。
そしてその隙に、ムルジアもまた後ろへ下がった。
「【バックステップ】!」
接近戦では勝ち目がない。
ムルジアは、剣で自分が勝てない事を理解して距離を取ったのだ。
最前線では、自分のスタイルが通用しないボスやモンスターに出会す事も珍しくはない。
そして、そこで近接に拘泥するようでは、前線では戦えない。
ムルジアは、移動アーツで距離を取り、さらに普段は使わない左腕の腕輪の機能を発動させた。
「セットアップ!」
瞬間、ムルジアの周りに数枚の半透明のカードが浮かび上がる。
ムルジアは、その中から1枚を左手で選び取り、そのカードの名を詠んだ。
「【ウォーターボール】!」
カードが弾け飛び、中に収納されていた魔法が発動。
轟々と渦巻くバスケットボール程の水の玉が、影法師に向かって飛ぶ。
ムルジアの隠し玉、魔法発動体の腕輪に格納しておいた【魔法カード】による攻撃だ。
これを食らえば、近接型の敵はひとたまりもない。
「・・・【封刃】」
「んな!?」
しかし、その水の爆弾は影法師の剣にあっさり切り払われた。
あまりの事にムルジアは絶句する。
これが躱されたとか、魔法で防がれただったら、ムルジアもここまで動揺しなかっただろう。
魔法を剣で消し飛ばすなんて事が可能なんて、ムルジアは見たことも聞いたこともなかった。
未知の事象を前に、ムルジアは一瞬、思考が止まる。
そして、その隙を陰法師は見逃さなかった。
「【ステップイン】」
「あ・・・!」
影法師は、ムルジアがアーツで作った距離をアーツで踏み越える。
安全圏が、一瞬で元の危険地帯へと戻り、白刃がムルジアに襲いかかる。
しかし、影法師の剣は今度はムルジア自身を襲わなかった。
「・・・【封札剣】」
「うわっ!?」
影法師の剣は、ムルジアの手にある剣を強かに打ち据えた。
瞬間、ムルジアの剣に異様な紫のエフェクトが纏わりつく。
そして、ムルジアに異変が起きた。
〈デッキスロットNo.7が封印されました〉
〈『骸将剣』のデッキ登録が解除されました〉
「は・・・?」
インフォメーションと共に、ムルジアの手の中の剣が、急に重たくなった。
何が起きたのか分からず、ムルジアは呆然とそれを見下ろす。
剣が、手に馴染まない。
(え?なんで?どうして?何がどうなって?)
「・・・良いのか、ぼさっとしてて?」
「く!?・・・【ブレイクソード】・・・」
〈発動出来ません〉
「・・・え?・・・うわっ!?」
しかし、混乱したムルジアへ影法師は遠慮しなかった。
剣をさらに閃かせ、ムルジアを斬りつけた。
鎧を強かに打つ剣撃にムルジアは吹き飛ばされる。
「うぅ・・・くそ、なんだ今の!?」
ムルジアは身を起こしながら、自分に起きた異常に混乱した。
アーツが、片っ端から使用不能になっている。
おかげで、【ブレイクソード】が発動せず、吹き飛ばされてしまった。
訳が分からず戦慄くムルジアに、影法師は小さく嘯いた。
「・・・そりゃ装備してない武器でアーツは使えねえからな」
「は?」
「悪いが、全部解説してやる義理はねえよ」
ムルジアを冷ややかに嘲笑いながら、影法師は走った。
今までにない鋭い踏み込みで剣を振る。
ムルジアは、咄嗟に剣で受けた。
しかし、それで影法師の剣は止まらない。
目にも止まらぬ有機的な軌跡を描いて、影法師の剣はムルジアの防御をすり抜けて鎧の隙間を疾り抜ける。
ムルジアのHPが、あっという間に消えていく。
「あ、あああ・・・!」
止められない。止まらない。
必死になんとかしようと踠くが、先ほどのように剣のアーツは使えないし、魔法を使う隙も全くなかった。
矢継ぎ早に繰り出される斬撃の連打にムルジアは為す術がない。
「セヤァ!」
「うわっ!」
低い位置から跳ね上がってきた剣撃にムルジアは棒立ちにされてしまった。
そんなムルジアに、影法師は剣を肩に担いで構える。
「終わりだ」
「!?」
瞬間、袈裟懸けに振り落とされたその一撃が、ムルジアの身体を上から下まで疾り抜けた。
その銀色の閃刃にムルジアは目を見開く。
「お、お前・・・!」
「・・・あばよ」
一瞬の交錯、ムルジアと影法師は短く視線と言葉を交わした。
しかし、その先を続けるより早く、ムルジアの身体が光となって砕け散る。
そして、昏い森の中に、6枚のカードが舞った。
影法師は、それらを拾い上げ、その内の一枚、『骸将剣』のカードを選び取る。
「くくくっ・・・上手くいったな。思ったより粘られちまったが・・・まあ、想定の範囲内だ」
影法師は、満足そうに声を溢すと、カードを剣に変えて徐に腰のベルトに差し込んだ。
その重みと柄の感触を確かめながら、影法師は暗い森の奥へ足を向ける。
「・・・さて、次はいよいよ本番だ。「Uー」の野郎・・・いや、兄貴はどう動くかね?くくくっ・・・」
木々の陰の中にその身を溶け込ませながら、影法師は堪えきれぬ様子で笑みを零した。
しかしその小さな笑い声は、誰の耳にも届く事なく、その姿と共に夜の闇に沈んでいく。
そして程なく、影法師の姿は、細い風に吹かれて消えた。
後に残った夜の帳は、元の姿へと還る。
こうして、惨劇は闇に葬られた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます