第4話 本当に恐ろしいのは

 ——悠太に酷い態度をとったから、バチが当たったのよ。


 近寄りたくなかったので、リビングの出入り口に立ったままで、夫を見ていた。


「お前……旦那が苦しんでいるのに、大丈夫かの一言もないのか?」


 自分は妻や息子の心配などしたことはないくせに、よく言えたものだ。


「私は熱を出して寝込んでいても、心配してもらったことはないけど?」


「今はそんなこと、どうでもいいだろ」


「私たちのことは心配しないけど、自分は心配して欲しいの? 随分と都合がいいことを言うのね」


「はぁっ?」


 ——本当に、イライラする!


「それとも、私が心配してくれないから、他の女に慰めてもらっている、とでも言うの?」


「何っ、何言ってんだよ……」


「ポケットに、Aホテルのライターが入っていたけど、誰と行ったの?」


 ——嘘だけどね。


 夫は明らかに動揺している。探偵事務所も証拠は充分に揃ったと言っていたので、そろそろ嫌味くらいは言ってもいいだろう。


「まさか、この間私が寝込んでいた日も、ホテルに行っていたわけじゃないよね?」


 実際にホテルへ行っていたのは、追跡アプリで確認済みだ。


「……仕事だって言っただろ。くだらないことを言うなよ……」


「くだらない? 既婚者が他の人とホテルに行っていたら、不倫でしょ? 慰謝料に養育費、マンションを購入した時のローンも払わなきゃいけないね。大変だ」


 夫の呼吸は荒くなり、またシンクの中に頭を突っ込んで、吐いている。


「そんなことをやってるから、化け物に追いかけられたんじゃないの?」


「関係……ないだろ」


「関係あるわよ。私は恨んでるから」


「はぁ、はぁ、はぁ……」


 夫は蒼白い顔で、ゆっくりとこちらを見た。


「浮気はするし、父親の役目は果たさない。そんな人は恨まれて当然だよね。神様もきっと見てるんだよ。だから、悪いことばかり起こるのは、天罰だと思うよ? この先、何が起こるか分からないけど、頑張ってね」


 呆然としている夫を置いて、息子の部屋に戻った。


 ——あぁ、気持ち良い! ついに言ってやった!


 ベッドに寝転がり、眠っている息子の頬を撫でる。


 ——そういえば悠太は、絵本に出てくるようなお化けを想像していたんだろうけど、かなりグロテスクな化け物に追いかけられたみたいね。いい気味だわ。


 息子の寝顔を見ていたが、いつの間にか、眠っていた——。




 パートを終えて息子と一緒に家へ帰ると、夫はソファーに寝転がっていた。


「ママ、お父さんがいる……」


 息子の声で目を覚ましたのか、夫は起き上がった。


「病院に行ったけど、異常は無しだって……」


 ——別に、聞いてないんだけど。


「ふうん。じゃあ、病院代が無駄になったんだね」


「……無駄って言うなよ」


「だって、異常はなかったんでしょう?」


 棚の上にあるカントリードールを手に取り、抱きしめると、息子も飛びついてきて、微笑んだ。


「私も悠太も、こんなに気に入っているのに……。あなたはこのカントリードールを買ったことを、無駄遣いって言った」


「えぇっ。お父さん酷い……」


「そうでしょう? 夜にお友達と遊んでいるお金の方が無駄遣いなのに、お父さんは分かってないみたい」


 夫は気まずそうに、目を逸らした。


「お父さんはいつも帰ってくるのが遅いけど、お友達と遊んでるの?」


 息子は夫を横目で見ながら言う。どう言い訳をするのだろう、と考えながら、ユリコも夫を見た。


「遊んでなんかいないよ。俺は仕事をしてるんだ。俺が稼いでいるから——」


 突然、夫が両手で首を押さえて、床に倒れ込んだ。


「うぅっ! ぐうぅう……!」


 唸りながら床を転がりまわる。


「いた、痛いいいいいい! 助け……! ぐああぁあああああ!」


 ユリコは思わず息子を抱きしめた。そういえば夫が、喉と胸に激痛が走ったと言っていた。これが、その症状が出た状態なのかもしれない。


 しばらくすると夫は唸るのをやめ、ぐったりと床に横たわった。


「お父さん、どうしたのかな?」


「どう、したんだろう、ね……」


 ——やっぱりこれって私が、嘘ついたら針千本飲ますって言ったから? もしかして、アリスちゃんが……?


「……くそっ!」


 夫はガクガクと震えながら、ゆっくりと起き上がった。


「なんで俺が苦しんでるのに、救急車を呼ばないんだよ!」


「だって、しばらくしたら治まるんでしょ? 異常はないって言われたんだし……」


「それでも苦しんでるだろ! 気が利かないな!」


 目を血走らせながら怒鳴る夫に恐怖を感じて、息子を抱きしめる腕に力が入る。その時。


「……また、怖いお化けが来るかもね」


 息子が夫を見つめながら、ぼそりと呟いた。


「はっ? 何言ってんだお前——」


「お父さんが怒るから、お化けが追いかけてくるんだよ」


「追いか、け……」


 夫の顔色はどんどん青白くなって行き、はっ、はっ、と浅く速い呼吸を繰り返している。


「お父さんはすぐに怒るから、悪いやつだ。今度は怖いお化けがたくさん来るかもね」


「やめろ……やめろ!」


「じゃあママに、ごめんなさいって言った方がいいんじゃないの?」


「なんで……」


「あぁあぁああああ、うあぁああああああ」


 息子は低い声を出しながら、両手を振りまわす。ゾンビの真似でもしているのだろうか。


「うわあぁ! お、俺が悪かった! ごめんなさい!」


 ガクガクと震えながら、夫は涙目になっている。


「ママは忙しいから、お父さんは部屋に行って」


 息子がドアを指差すと夫は、何度も転びそうになりながら、リビングを出て行った。


「何なの、あれ……」


 頭が混乱して、床に座り込んだ。


「ママ! ご飯作るの、手伝うよ」


「えっ。あぁ、そうだね。ご飯の用意をしないと……」


 息子は床に落ちたカントリードールを拾い上げ、頭を撫でる。


「……ママは、僕が悪い子でも、僕のことが好き?」


「どうしたの? 悠太は悪いことなんかしないでしょう? とっても良い子だもの。ママは、悠太のことが大好きよ」


「一番好きだよね?」


「もちろん、世界で一番大好きよ」


「僕も、ママが一番大好きっ!」



 にこっ、と可愛らしい笑顔を浮かべる息子はまるで、天使のようだ。


 息子の腕に抱かれているカントリードールも、微笑んでいるように見えた——。

 



〈了〉

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縁切りの呪法 弐 〜愚かな夫の末路〜 碧絃(aoi) @aoi-neco

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