エピローグ

 日もすっかり落ちた繁華街のベンチ。みすぼらしい茶色のコートはところどころほつれ、ひどい悪臭を放っていた。誰もが避けて通る一人の男は表情が見えないほど俯いていた。あたりに人がいなくなったのを見計らってから、そのは交信を始めた。


『隊長、ご安心ください。ミオは使用期限切れとなりましたが、無事回収しました、警察には見つかっていません』

『精子サンプルは取れているか?』

『無いようです』

『そうか、残念だ』


 男が内ポケットに持っていた光る球体を見た。数時間前まで少女の姿だった同胞はほぼ価値のない物体に変わっていた。


『隊長?』

『何だ』

『なんでアップデートしたら活動を続けられるなんて嘘ついたんですか』

『駒を効率よく使うための指導だ。それがどうした』

『でしたね、申し訳ありません。それと隊長、どうしても気になることがあります。ミオの行動記録を確認しましたが、あの時間があれば青年を殺して、精子を回収することができた。ミオは期限ぎりぎりまで最高のパフォーマンスを出すことのできる同胞です。なのになぜしなかったのか』

『それはミオの失敗だろう』

『大事なのはなぜ失敗したかです。ひょっとしたら——いや、なんでもありません。では一旦帰還します』


 まもなく、繁華街から一つの人影が、空へ舞い上がった。宇宙へ飛び去るその影は多くの人からは流れ星に見えたかもしれない。


 宇宙を翔ける一筋の閃光、その光を一人の青年が病室から眺めていた。

 病室の前では警察官が待機していた。万が一逃げようとした時にすぐ確保できるようにだ、中には殺人犯がいる。

 病室では看護師が青年の点滴を替えるところだった。看護師はちらっと青年をみた。人殺しとは思えないほど澄んだ目をしている。ワイドショーは彼の話で持ちきりだった。17歳少年による殺人、しかし聞けば聞くほど、彼は加害者というより、被害者じゃないかと思えて仕方がなかった。


 幼い頃から母から虐待を受け、洗脳とも思われる母への依存関係の構築、精神的に追い込まれ、誰にも相談できなかった孤独。母からの「殺してまでお金を取ってこい」という通常は受け入れない言葉も、彼にとっては逃げられない命令に聞こえたのかもしれない。


「何考えてるの?」


 青年は遠くの空を眺めながら答えた。


「あの娘、大丈夫かなって。きっと自分と同じように辛い思いをしているだろうから」


 看護師が点滴を替えながら、ふっと笑みを浮かべた。


「へえ、そんな娘がいるんだ」

「はい、あの時は正直もう死んでもいい、って思ってました。でも辛いのは自分だけじゃないって思えたんです。だからこれからしっかり罪を償って、前に進みたいと思っています」


 看護師は口を結び、小さく何度も頷いた。


「そうだね、それがいいよ」


 窓の外ではいつも通りの日常が、今日も変わりなく続けられていた。

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精子回収マシン 木沢 真流 @k1sh

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