小山日向の心情

(学校だるいよー)

(仕事面倒くせぇ~)

(あいつきもいんだよなぁ)

 嫌な声ばかりが脳に響く。こんな雑音ばかり拾ってくる耳など、いっそ二つともちぎり取ってしまおうか。一瞬そう考えた後で、そんな意味のないことをする必要はないと冷静な自分が語り掛けてくる。

 そう、無意味なのだ。だってこの声は、本来聞こえてくるはずのない声。周囲と円満な関係を保つために、みんなが唾と一緒に飲み込んでいる「心の声」なのだから。




 思い返せば、あの日の体調不良は、この不思議な力が開花する予兆だったのかもしれない。もともとそんなに体が丈夫な人間でもなかったから、また風邪をひいてしまったのだろう、と思って軽い気持ちで保健室へ向かった。

 保健室には誰もいなかった。しかし、困りはしなかった。我ながら慣れた手つきで保健室利用者名簿にクラスと名前、それから時間を記入し、机に並んだ棚から風邪薬を取り出して飲む。

 保健室の空気は好きだ。静かで落ち着いていて、僕の心に安らぎを与えてくれる。中学校の頃は教室よりも長く過ごしていた場所だ。クラスにいるよりも心が落ち着くのは当たり前かもしれない。

 自分で思っておいて、なんて情けない話だ、と吹き出す。

 授業開始を告げるチャイムが廊下から聞こえてくる。劣等感をごまかすようにもう一口水を飲み、ベッドで横になった。それから眠りにつくのにそう時間はかからなかった―――――。


 チャイムの音で目が覚める。体を起こすと、カーテンの向こうに人影が見えた。保健室の先生が戻ってきたのだろう。僕に気付き、影がこちらに近づいてくる。

「あら、目覚めた?体調はどう?」

「あ・・・だ、大丈夫です」

「そう、よかったわ」

 影が遠ざかっていくのを確認して、教室へ戻る準備をする。

(ったく、こっちは教頭から面倒なの押し付けられてそれどころじゃないんだから、

 余計な仕事増やさないでよね)

 カーテンを開ける手が止まる。さっきの会話からは想像もつかない言葉が、この薄い布の向こうから聞こえた気がした。いや、確かに聞こえた。

「小山くん?どうかしたの?」

「い、いえ・・・。なんでも・・・」

 震える手でゆっくりとカーテンを開けると、そこにはいつもの先生の優しい笑顔があった。

(ちょっと、まだいるとか言わないでしょうね。早く教室戻ってよ)

 言ってない。この人は、言ってない。

 すぐに理解した。信じられないようなことだけど、僕は『他人の心の声が聴こえる』ようになったのだ。

 足早に保健室を立ち去る。

「うっ・・・おえぇぇぇ」

 眩暈と吐き気。だけど、もう保健室には行けない。いや、きっと、行ったら先生は笑顔で迎えてくれるだろう。そして優しい言葉をかけてくれる。

 でも本当は?

 僕にもう一度あそこへ足を運ぶ勇気はなかった。この力が嘘で、ただの幻聴だったとしても、その声はあまりにも僕を傷つけすぎる。気付けば僕の足は、廊下に真ん中で動くのをやめていた。

 じゃあ教室は?クラスの人たちは?

 ようやく動き出した足は、空っぽな脳みそとは裏腹に、確実に自宅へと向かっていた。それから一週間、僕は外に出るのをやめた――――――――――。




 もしかしたら、僕が不安になりすぎなだけかもしれない。そんな淡い期待を嘲笑うかのように飛び交う心の声。

 だけど決めたんだ、お母さんにもうあんなことは思わせないと。

 一歩一歩ゆっくりと進める足は重く、自分でもわかるくらい震えていた。

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