代償を求める系人外のある契約
脳幹 まこと
困惑
「それじゃ、いただきます」
白いワンピースをまとった少女が手をかざすと、体格の良い男が苦悶の声をあげる。
それから数刻も経たずに男は金色の粒子となり、少女の
灰色の空。
彼女にとって、いつもの風景が繰り返される。
願いを叶える。その願いに見合った代償を払ってもらう。
無理などひとつも言ったことはない。だが、今までに出会った人々は例外なく、身の丈に合わない願いを訴え続け、自分の限界を超えていく。
数百、数千と吸っていくうち、この街には人の気配がほとんどしなくなった。
他の個体からの連絡も、おおむね自分と似たようなものだった。
何も感じない。
ため息をつくと、空から雨が降ってきた。
歩いていくと、瓦礫にうずくまる男が一人いた。
少女は男のことをうっすらと覚えていた。
黒ずんだ
少女がここに来たばかりの頃、老人は子供に手を出そうとした罪で私刑に遭った。家を壊され、残り少ない財と食糧を奪われた。
それ以来、彼は街の近辺を幽霊のように
少女は老人の傍に立ち、背中をさすった。
老人は一瞬ばかり目を見開くが、すぐに弱弱しい笑みを浮かべた。
「離れなさい。病気がうつってしまうよ」
「病気?」
「そうだ。君はこの街の子かね?」
「うん」
「最近、街がぱたりと静かになったろう。それは私が病気をもたらしたためだ。街のお医者様がそう言っておった」
「そうなんだ」
老人が咳をする。
「そのままじゃ、あなたは死んでしまうわ」
「構わんよ。大罪人には野垂れ死にがお似合いさ」
そう、と少女が手をかざすと、老人の口から垂れていた血の筋が消えていく。彼の掌からも、破れた襤褸から覗く傷跡からも。
「君は……」
「家に行きましょ。ここじゃ、ひどく濡れてしまう」
・
少女の中にあったのは、決して同情心ではなかった。
大半は様々な経路で彼女を知った者達が自分の願いを伝える形ではあったが、
「ありがとう」としきりに伝える老人を受け流しながら、少女は透き通るような眼差しを彼に向ける。
「ああ、お礼をしなくては。だが、私には何も――」
「大丈夫。何も要らない。ただ、代わりに一つだけ教えて」
「なんだね」
「あなたの願いは何?」
人助けの代わりに、願いを引き出す。
その願いを叶えてあげる。その代わりに――
少女は今までの経験から、人間の欲望の蛇口をひねる方法を学んでいた。
老人は呆然とした顔でずっと見つめていたが、表情を変えず、まるでうわ言のように「一輪の花が欲しい」と発した。
少女は造作もなく、手から一輪の白い花を差し出した。「これでいい?」と話す彼女の仕草を、老人はただぼんやりと見つめるのみだった。
その後、一輪の花に見合うだけの代償を与えた。要するに「この家にしばらく滞在せよ」という指示であった。彼はそれを断るだけの理由はなく、また、戻るべき場所も、心配する他人もいなかった。
「わたしは願いを叶えられる。それに見合った代償は支払ってもらうけれど」
それから、少女と老人はしばらく小さい家の中にいた。
少女は事あるごとに願いを訊いた。
残り少ない命、壊れてしまった家、壊した人々への恨み、とうに
それはすなわち、老人の半生を振り返ることでもあった。
国が彼を弾圧したこと、同郷の民に裏切られたこと、牢獄から解放された彼には何の居場所もなかったこと。
老人は彼女が予想する言葉を発さなかった。
彼が望むものは「一輪の花」だけだった。
各地にいる少女達は、順調に収穫を完了していた。
金色の麦のような粒子。老若男女の願いの代償。愚かに輝く発露の結晶。
彼女らはくすくすと笑いながら話をしあう。
馬鹿みたいだね――
ええ、とっても馬鹿みたい――
手当たり次第に口に入れる赤ん坊のよう――
どの時代、どの世界に向かえども同じ――
皆、変わらず馬鹿みたい――
そんな話の間を通り抜けて、一人の少女は穂を手に取る。
それを取って何をするの――
わたしたちは何も食べないのに――
彼らと違って――
彼女は振り返ることなくこう言った。
「代償を支払うためよ」
彼女らは心底不思議そうな顔をする。
・
少女が出掛けている間、老人は畑を耕していた。
傷を癒やし、仮宿を与えてくれた優しい子に、どうしても何かを返したかった。
願いを叶える力を持つ少女にとって、自分の献身が如何に非力か。長い人生を生きてきた彼が気付いていないわけでもない。真心を込めたからといって、報われるとも限らない。
虫捕り用の網と籠を作って、街の子供に近づいたあの時のように。
だが、そのまま何もせずに居座れるほど、彼の人生経験は短くはなかった。
何度も同じことをしているな――
自分の愚かさに苦笑しながらも、老人は
「そろそろ日が暮れるよ」
聞き慣れた言葉。
幼少の頃には母に、青年の頃には妻に、またある時は
「今日も願いは変わらない?」
「そう、いつもの花を一輪」
少女は白い花を差し出す。
ありがとう、と受け取って彼は前を向いた。
少女は、この状況に何とも言えないざわつきを感じていた。
今までに通ったことのない上り坂が、突然目の前に現れたかのようだった。見たことのない年老いた鳥が一羽、少し先にいる。
鳥はよろよろと先に向かう。その坂を上った先に何があるのか。
そこから見える景色は一体どのようなものか――
夕陽が沈んだ。
少女の家に辿り着いた二人を待っていたのは、武装を固めた数十人もの部隊だった。
「その娘を渡していただこう」
代表となる人物は「平穏を与える者」として、各地に銅像が建てられるほどの名士だった。
彼は老人の知る以上のこと――すなわち、
娘を放置すれば、この国、この世界の存続の危機にもつながる。当然、自分達もその餌食になるだろう。
よって、全員を速やかに駆除しなければならない。
部隊は全員が「代償」の被害者である。よって、
老人は少女を見つめた。
少女はわざとらしく、
・
家の中で、少女と老人は黙っていた。
机の上に置かれた砂時計が尽きるまでが、最後に許された会話の時間だった。
さらさらという音だけが流れていった。
「うまくいかないね」
その言葉が自分の口から出てきたことを、少女自身も理解できなかった。
ただ、それが自分の今までの整理できない感情をぴったりと表しているように思われた。
言葉を受けて、老人の肩が震えた。
「どうしたの?」
「私はまだ、何も、返せていない」
老人は窓の外を見た。
彼らの冷たい銃口が向いている。
何らかの願いを伝える素振りを見せたら、即座に二人を始末する。
そういう手筈だった。
「いいえ。あなたが何かを返す必要はない」
「どうして!?」
「わたしはある夏の日、一人の男の子を
街にいるどの子よりも立派な、自慢できる虫が欲しかった。
そんな小さな願いが最初だった。
虫のように小さかったのは二つ、三つだけだった。それは子供の見る夢のようにみるみる間に膨れていった。
そしてある時、干からびた少年の身体に手をかざして――
老人は立ちすくんだ。
あの少年が、目前の少女に。
「どうして」
「わたしたちはそういうもの。伝えられた願いを叶え、代償を与える。誰であっても、在り方を変えることは出来ない」
再び流れていく沈黙。
老人は少女に背を向けて、部屋の奥へと向かっていった。
君の気持ちは分かった。
それでも――
砂が流れ落ちる寸前に、彼は持ってきたそれを少女に手渡した。
「私は
その刹那、何発もの銃弾が老人の身体を貫いた。
すべてが急所を的確に
次の弾が少女を捉えていたが、その前に彼女の姿は光とともに消失した。
・
次に彼女の視界に映ったものは、一面の火の渦だった。
彼女らがかき集めた収穫物。時代を問わず美しい業の塊。それらがすべて浄化の炎で焼き尽くされていく。
何も感じない。
これもまた、繰り返されてきたこと。
炎はすべてを灰にするだろう。だがその先、虫も麦も
そして、再び願いと代償が豊穣をもたらす。
意味などない。
そう思って、少女は火に向けて踏み出そうとした。
なのに、それだけは決して出来ない取り決めだった。
それがあの人が出した願いであり、自分が与えた代償だからだった。
「返さなくていいって、言ったのに――」
白い花が
雨が降ってきた。
代償を求める系人外のある契約 脳幹 まこと @ReviveSoul
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