第11話 後始末の後味は
床にかがんで散乱した紙を拾い集めながら、俺は雪村さんに訊ねた。
「ここにはいつから?」
図書館の開館は七時。今は九時少し前なので、開館直後に雪村さんが来て、寝てしまったのは十分にありうる。
雪村さんは少しだけ恨みがましく俺をにらみつけると、自身も手を動かしだした。
「昨日の放課後からです。閉館時間が近い、と思ったのは覚えているのですが……」
そこから先の記憶がないという。
「部屋の状態は?」
「すべて片付いていました」
「なるほどね……」
俺はいったん立ち上がり、集めた紙束を机に置いた。狭い閲覧室内をざっと見渡す。部屋に入った時は量に圧倒され気づかなかったが、紙は机を中心に三方へと広がっていた。ドアを開いて右側は、俺が拾い上げてしまい分からないが、手つかずの左側は机に置いた紙の束が落ちただけのようだ。丸めた紙もゴミ箱の周囲にしかない。わざと紙をぶちまけたような、作為めいた散らかり方とは思えなかった。
俺は質問を続けた。
「このイベントのシナリオは?」
「閲覧室で徹夜した僕……クラウスを主人公が起こしに来るという内容です」
後の流れは、さっき俺たちが体験した通りだった。
「何で徹夜したかは決まっている?」
「ええ。魔力量について調べていました」
自身にかかわるイベントだからか、雪村さんの言葉に迷いはない。
「魔力か……」
「それが何か?」
「いや、それは後で説明する。キャラクターイベントの発生条件は?」
「場所と時間と好感度の三つです……ああ、確かに昨夜の僕は、キャラクターイベントを起こしやすい状況にありました。閉館時間まで残っていたのは、昨日が初めてです」
始業のベルが鳴り、雪村さんも本調子を取り戻したようだ。好感度については数値の知りようがないが、条件がすべてそろっていた、と考えていいだろう。
「問題は支配力がどれぐらい強いのか、だ」
「支配力……ですか?」
俺はカイルとのイベントで違和感を覚えたことを伝えた。
「オープニングイベントでは、ゲームに無関係な第三者も動作を停止させていた。このことから見ても、ゲームの支配力はかなり強いものだと思う」
「僕をクラウス化させてイベントを演じさせることもできる、と」
「クラウス化」か。さっきの雪村さんの言動が、キャラクターとしてのクラウスなら納得がいく。
「それに長時間の支配も可能なんだと思う」
雪村さんの顔色が変わった。
「まさか、一晩中ですか……?」
「おそらく」
シナリオ通りに事を進めるためには、雪村さんを閲覧室に閉じ込めておく必要がある。
床に膝をついたまま、雪村さんは首を動かした。
「どう見てもそれ以上のことを、僕はしていたようですが……」
「そこで、だ。雪村さんがどれだけ操られていたのか、調べようと思う」
「どう……やって?」
俺は机に積んだ紙を一枚つかんだ。
「これを確認する。もし魔力に関する記述があれば、シナリオの細かい部分まで演じさせられた、ということになる」
支配力の強さによっては、今後の身の振り方に気をつけるべきだろう。俺は大筋のシナリオしか教えてもらっていないが、攻略対象者たちの人生を左右する出来事もある。フランクの出席拒否が可愛く思えるぐらいだ。
そこでなぜか雪村さんは、疑うような目を向けた。俺は何か変なことを言っただろうか。
「ずいぶんと冷静ですね……もしかして、ゲームの影響を受けてます? デフォート化してませんか?」
俺はデフォートの顔で、精一杯の皮肉めいた笑みを浮かべてみせた。
「やだなぁ、雪村さん。今、授業中だよ? それに、あのくらいじゃ動揺しないよ」
「ファイルが駄目になった時、僕の手を取る先輩を見て赤面するような人が?」
バレていたのか。トランクで隠していたのに。
「誰か来て、サボっているのがばれたら面倒だ。ちゃっちゃとすまして授業に戻ろう。紙を拾い集めるのは俺がやるから、雪村さんは集めた紙を分類して」
俺は追い払うように手を振って、雪村さんの追及をはぐらかした。彼はしぶしぶといった様子で椅子に座った。
確かに普段の俺だったら、気まずさのあまりこの場を去っていただろう。だが、それ以上に俺は怒っていた。ゲームの支配力に対して。デフォートに生まれ変わってから、ここまで激しい感情に駆り立てられることはなかったように思う。
なぜ自分は、どう消化してよいか分からないほどの怒りにとらわれているのだろうか。
すぐに結論は出そうにないので、今はただ手を動かすことだけを考える。床から紙を拾い、ある程度がたまったら机に乗せる。
雪村さんは白紙とそうでないものを仕分けることから始めるようだ。互いに単純な作業をしているが会話はない。紙の音だけが静かに響く。
狭い閲覧室は五分ほどで片付いた。どうやらクラウスは紙の上を歩いたらしく、靴跡が残ったものもあった。折れた紙は開き、丸められた紙も丁寧にしわを伸ばして机に置く。
俺がゴミ箱に手をかけたところで、雪村さんは沈黙を破った。
「キャラクターイベントが発生したことを喜ぶべき、なんでしょうね」
「けど?」
含みのある言い方だったので、続きを促す。背後で雪村さんがふっと息をついた。
「勘違いしていたんです。自分がクラウスとは違う人間だからゲームの支配を受けないのだと」
「うん」
俺も自分がゲームの主人公だと分かるまでは、転生者だからだと思っていた。
「オープニングイベントのとき、僕は僕のままでした」
「うん」
「時間が飛んだという感覚がありましたが、セリフを言わされるようなことはありませんでした」
「うん」
「シナリオにないシーンだったんです」
本来ならブレク先生に飛ばされたデフォートが、最後にクラウスと会うはずだった、と雪村さんは言う。
大講堂の裏で俺たちが出会ったのは、ゲームのシナリオにない流れだったのだ。
あの時、俺はアルテミスくんとのイベント中に大講堂の裏へと移動した。ゲームによる動作停止がどの範囲までに及ぶかは不明だが、裏にいた雪村さんは圏内にいたはずだ。そのためゲームは、雪村さんを移動させることができなかった。
そこに俺が現れ、イベントだけが発生した。
「シナリオにないから、クラウスのセリフもない。だから僕の意識は残ったままだったんです」
「そうか」
紙を握りつぶすような音が聞こえ、俺はゴミ箱を抱えたまま後ろを向いた。紙を広げる音で気づかなかったが、雪村さんは少し前から手を止めていたらしい。両手で顔を覆い、椅子の背にもたれて天井を仰いでいる。
俺は雪村さんのことを転生者仲間だと思っているが、雪村さんにとって俺は何なのだろうか。まだ弱さを見せていい相手として、なんとなく認められていない気がするのだ。
ひとりにしておきたくない不安定さからは脱したし、このまま居座るのは悪い気がする。ゴミ箱の紙はすべて広げ終わり、見たところ白紙も混じっていない。
「俺ができそうなことは、もうないな。内容の確認は雪村さんに任せる。俺じゃ判断がつかないだろうし。俺は寮で着替えてから授業に行くよ。雪村さんも二時間目の授業には出ろよ」
そう早口にまくしたて机に紙束を積み上げる。枚数は少ないが、一枚一枚がごわごわしているので、それなりの高さになった。雪村の視線を感じたが、無視して戸口へと向かう。
「あの……」
雪村さんの声に、俺は振り返らずに立ち止まった。俺が返事をする前に彼は言った。
「いえ……なんでもありません」
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