南十字星①
列車の速度が、ゆっくりと緩むのを、体の深層で感じ取る。
窓の外では、星々の煌めきが徐々に薄れ、代わりに、どこか神秘的で穏やかな白乳色の光がゆっくりと満ちていく。その光は、まるで世界が静かに夢の中へ溶け込んでいく様に、柔らかく、儚く広がっていった。
ハレルヤ、ハレルヤ
遠くから響いてくる、誰かの祈りのような歌声。氷砂糖のように澄んだ音色が空気を震わせ、冷たさの中に暖かさを閉じ込めている。
列車は、まるで息をひそめるように音もなく進み、人々はその美しい音に耳を澄ましながら、目を細めて白い光に包まれていた。
光の中で、彼らの影もまた、ゆっくりと溶けていく。まるで時間そのものが、穏やかに流れゆく河のようだった。
『まもなく、終焉、南十字星に到着いたします。お忘れ物がないようお願いいたします。長旅、大変ご苦労様でございました』
車掌の冷徹な声が車内に響き渡る。どこか遠くで、この瞬間が終わりを迎えることを告げているようだった。
「……ああ、もう、着いてしまうんだね」
アルゲディの小さな声が、静寂を破った。それでも、僕は何も言えなかった。胸の奥で、言葉を紡ぐことすら怖くなった。もし、今、口を開けば、この穏やかな空気が壊れてしまいそうで。手のひらをぎゅっと握りしめ、静かに呼吸を整える。
がたん、と、控えめな音を立てて、列車が止まる。
目の前に広がる光景は、これまでの夜とはまるで違った。停車場には穏やかな光があふれ、空は広がり、どこまでも透き通った青が続いていた。高く高く、入道雲が浮かび、まるで時間がこの場所だけをゆっくりと動かしているかのようだった。
乗客たちは、ゆっくりと立ち上がり、それぞれ荷物を手に、白い光の中へと足を踏み出していく。まるで別の世界へと渡るかのように。僕たちも降りなければならないはずなのに、どうしてもその一歩が踏み出せなかった。体はまるで重りを背負っているかのように動かない。椅子に座ったまま、ただ、そこに留まっているだけだった。
アルゲディもまた、同じように身動きが取れなかった。少し困ったように、形のいい眉をゆるめて、やさしい笑みを浮かべた。
「……降りなくちゃ」
「もう少しだけ……おしゃべりしてから、降りようよ」
そう言ってみたものの、言葉が空気に溶けていくようで、まるで意味を持たないような気がした。アルゲディはほんの一瞬、目を見開いた後、静かに頷いた。
「イオス。君の降りる場所は、ここじゃないよ」
その言葉を受けて、僕は少しだけ目を伏せた。けれど、すぐに顔を上げて、彼の目を真っ直ぐに見つめた。
「僕も降りるよ。だって、一緒に行こうって、どこまでも一緒に行こうって、約束したじゃないか」
アルゲディは、しばらく沈黙した後、黙ってうなずき、静かに僕の隣に座った。あたたかな空気が、二人の間に流れる。彼は指輪をそっと外し、優しく僕の手を取って、そっと握らせた。
その瞬間、再び歌声が響いた。冷たくてやさしい音色。それはどこからともなく、けれど確かにこの空間に広がり、僕の心にしみ込んできた。微かに、甘いミルクの飴玉のような香りも漂っている。まるで時間そのものが、手のひらに乗せられたような感覚だった。
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