落とし物と流星群③
指輪を握りしめて僕は列車の通路を駆けた。
ほんの少し前まで、こんなふうに走るのが怖かった。暗くて、長くて、誰にも見つからないまま取り残される気がして。
でも今は違う。ただ届けたかった。僕たちの旅が、あの人との時間が、ここで終わってしまわない様に――。
薄暗い車内に足を踏み入れたとき、アルゲディがいる車両にたどり着いた。ちょうど彼も立ち上がり、歩き出そうとしていた。
「……!」
目が合う。
息が詰まって、僕はその場に立ち尽くした。
アルゲディも、数歩だけ近づいてきたけれど、それ以上は動かなかった。
言葉は、すぐには出なかった。
さっきの喧嘩の余韻が、まだ車内の空気にまとわりついている。でもその下で、胸の奥には別の感情がふくらんでいた。あたたかく、静かに、ひとつの答えの様に。
僕は、一歩を踏み出し彼の前に立つと、そっと手を差し出した。
「……これ」
掌の上、小さな指輪が車内の薄暗い光を受けて、ほんの少しだけ青から青紫色に輝いていた。
アルゲディの瞳が、わずかに揺れる。
「見つけたんだ…」
「車掌さんが、届けてくれたんだ。僕じゃない」
声が震えていた。怒りでも、涙でもなく、たぶん――安堵だった。
アルゲディはそっと指輪を受け取った。指の間に挟むようにして、眺める。その横顔が、どこか遠くを見ているようだった。
「……僕は、探さなかった」
「うん」
「探しているあいだに、君が消えてしまうんじゃないかって…。…それが、なにより怖かったんだ」
予想していたのに、その言葉は胸の奥に深くしみた。
「でも…、何もしないでいる君を見てるのは、もっと悲しかったよ」
アルゲディはうつむいたまま、かすかに息を吐いた。
「君に、嫌われたくなかった。けど……どうしたらいいか、わからなかったんだ」
僕は、小さくうなずいて、一つ言葉を選んだ。
「でも、今はちゃんと、僕のことを見てくれてるでしょ?」
アルゲディは、ゆっくり顔を上げた。
「……ああ」
その声と一緒に、やっと笑ってくれた。照れくさそうで、それでも真っ直ぐで――僕だけを見ている、そんな笑顔だった。
窓の外で、ふいに光が瞬いた。最初はただの星のきらめきかと思ったけれど、目を凝らすと、それらの星々がゆっくりと動き始めた。まるで空そのものが震えているように、星々が一斉に流れ出し、銀色の川を描くように弧を描く。
その中に、ひときわ大きな流れ星が現れた。それは、ただの光ではない。目を凝らすと、星の尾の先に、白い衣をひるがえした女性が浮かんでいる様に見えた。彼女はまるで流れ星を操るかの様に、天の川を渡って愉快そうに笑いながら手を振って流れていく。
その手が、まるで僕たちを招いているように感じられた。
「見て、アルゲディ」
僕は震える声で彼を呼ぶと、アルゲディもまた、目を見開いてその光景を見つめていた。流れ星の尾を持った人々が振る手に導かれ、星々はさらに強く光を放ち、まるで夜空そのものが踊るかの様に広がった。
その瞬間、僕たちの間にあったすべての言葉が消え、ただひとつの静けさが訪れた。星たちは、僕たちに向かって何かを伝えたかったのかもしれない。だけど、その言葉は形にならず、ただ空間を満たす光のように流れていった。
「すごい……!」
僕が思わずつぶやくと、アルゲディも小さく笑う。
「ねえ、アルゲディ」
僕は彼の手をそっと握る。
「僕たちは、ずっと旅をしよう。終着駅で降りるその日まで、一緒に。ずっと、ずっと」
アルゲディは少しだけ目を見開いて、それから僕の手をしっかりと握り返した。
「……うん。君となら、どこまでも行ける気がする」
窓の外では、星が降り続けていた。
ふたりの手のあいだに、静かで、強くて、温かな約束が結ばれていた。
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