落とし物と流星群①
機嫌を取り戻した列車は、静かに尾を引いて走り出す。窓の外では、風鈴の音がかすかに響いていた。
僕とアルゲディは、いつものように並んで座っていた。でも、今日はどこかぎこちない。カーフを見送ったあとの空席が、言葉にできないものを残していた。列車の中は、ひどく静かだった。窓の外を流れる星々だけが、僕たちの沈黙を映していた。
何かを言おうと口を開くたび、代わりにため息だけがこぼれる。アルゲディは伏し目がちに、じっと窓の外を見つめている。その横顔は、まるで星に話しかけるみたいに静かだった。
その時だった。
――ふっと、灯りが消えた。
「……え?」
闇が車内を包み、音さえも遠ざかった気がした。息をのむほどの静けさ。列車はまだ走っているはずなのに、時間だけが止まってしまったみたいだった。
「停電かもしれないね」
アルゲディの声は穏やかだった。でも、どこか不自然なほど落ち着いているようにも聞こえた。
「そのうち車掌が来るだろうから、じっとしていよう」
「うん……」
静寂の中、ふと彼の動きが止まった。
「……ない」
その一言が、星の光より冷たく僕の胸に落ちた。
「なにが?」
「指輪が、ないんだ」
彼の声は、ひどく遠く聞こえた。
あの指輪――彼がずっと、大切にしていた青い宝石のついた指輪。おばあさんから受け継いだ、彼の大切なもの。
僕は一気に立ち上がり、四つん這いになると、目を凝らして足元を探り始めた。椅子の下、壁の隙間、誰かの荷物の影……手探りで、必死に床を撫で回す。
「探そう。すぐに見つかるよ」
そう言いながら、ランプもない中、わずかに窓から差し込む星明かりと、暗闇に慣れた瞳だけを頼りに、何度も何度も手を伸ばす。
そのときだった。カサッと、何かが擦れる音がした。
顔を上げると、アルゲディもまた、静かに席を離れ、しゃがみこんでいた。暗がりの中、その姿は影のようで、一瞬見失いそうになるほどだった。でも、彼は確かにそこにいた。目を凝らせば、床に手を這わせるようにして、何かを探している。
言葉はなかった。けれど、その仕草には焦りがにじんでいた。彼の指は何度も同じ場所を撫で、わずかに肩が揺れている。時折、小さく息を吐く音が、暗闇に紛れて聞こえる。
アルゲディは――必死だった。
それは、たかが指輪なんかじゃなかった。彼にとって、大切な、何かの象徴だったのだ。
僕はその姿を見つめながら、言葉を飲み込んだ。呼びかけてはいけない気がした。ただ、彼の隣に這い寄り、同じように床を撫でた。何かにすがるような気持ちで。どうか、見つかってほしい。どうか――
「……イオス」
どれくらい時間が経過したのだろうか。ふいに、アルゲディが小さく僕の名を呼んだ。
「なんだい?」
「もう……いいよ」
その声は、どこか遠くから聞こえるように小さく、疲れたようだった。
「……え? どうしてそんなことを言うんだい? 君の、大切な指輪だろう?」
言いながら、胸の奥がざわめいた。焦りが込み上げる。彼がどれだけあの指輪を大事にしていたか、僕は知っている。
アルゲディは、ゆっくりと頭を横に振った。
「……いいんだ。たかが、指輪だよ」
胸の中で、何かが崩れ落ちる音がした。
「そんなこと言わないでよ!」
僕は、初めて怒鳴った。
「僕の知ってるアルゲディは、そんなふうに簡単に諦める人じゃない! どんなときも、絶対に手を伸ばす人だった!」
声が喉の奥で震えていた。思ったよりずっと大きな声になっていた。
「それなのに、どうして、そんな……!」
けれどアルゲディは、静かに立ち上がると、ゆっくりと言った。
「……君は、何も知らないくせに」
その言葉は、まるで独り言のようだった。でも、はっきりと僕の胸に突き刺さった。
「僕のことも、僕の過去も、何も知らないくせに……勝手に決めつけないでくれないか」
彼はふらりと背を向け、闇の中に歩き出してしまった。
追いかけなくちゃ。
本能が叫んでいるのに、僕はその背中を追えなかった。
星明かりは遠く、列車の灯りはまだ戻らない。
残された僕は、ただ座席にへたり込んで、ぎゅっと膝を抱きしめるしかなかった。
何かが壊れてしまった。何かを、取り返しのつかないほどに――失った気がした。
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