ヴィル③

『まもなく白鳥座に停まります。お降りのお客様はお手荷物のお忘れにご注意ください』


 無機質なアナウンスが、唐突に僕たちの旅の終わりを告げる様に冷たい音で車両に響いた。

 今まで息をのむほどに煌めく星々と深く吸い込まれる様な濃い青緑色の宇宙が窓の外に無限に広がっていたのに、まるで夢から現実に引き戻される様に、次々と光が差し込み、明るすぎる光が目に痛い。

 同時に無機質なコンクリィトの柱や、冷たい蛍光灯の光を反射する天井が否応なく視界に飛び込んできた。

 ホォムの床は灰色一色のコンクリィトで、その無機質な道はどこまでも続く様に見え、胸の奥に小さな寂しさを募らせる。


 列車がゆっくりと停止すると、ようやく視界が追いつき、ホォムの上にはぽつりぽつりと、所在なさげに佇む人影が見えた。列車を待っているのだろうか。それとも、誰かの帰りを待ちわびているのだろうか。その表情は、影に覆われていて、僕には窺い知ることはできなかった。


「私はここで降りますよぉ」


 不意にヴィルさんの優しい声が聞こえた。

 彼はゆっくりと立ち上がり、使い慣れたトランクをしっかりと握りしめていた。丁寧に、被っていたハンチング帽を少し持ち上げ、別れを告げるように微笑んだ。

「坊ちゃん達の旅先に、素晴らしい幸いがありますように」

 アルゲディはすぐに立ち上がると、ヴィルさんの温かい背中をそっと抱きしめる。別れを惜しむ様に少し長く抱きしめ、穏やかな、けれどどこか寂しげな笑みを浮かべた。

「ヴィルさんも。貴方の旅が、どうか幸いなものでありますように」

「ありがとう。私達の出会いは、偶然ではなく必然だったのでしょうねぇ」

 まだ座ったままの僕の方へヴィルさんはゆっくりと向き直り、屈みこんで、優しく僕を抱きしめてくれた。その大きな背中に手を回すと、幼い頃に夢見た温かい父の背中を思い出す。

「イオス君。あなたはすぐに、きっと幸せになりますよぉ」

「…ありがとう、ございます」

 背中を数回優しく叩かれると、ゆっくりと、けれど名残惜しむ様に、ヴィルさんの背中から手を離した。


 彼はもう一度丁寧にハンチング帽を少し持ち上げると、連結ドアの方へ向きを変え、ゆっくりと歩き出した。一度も振り返ること無く扉を開け、暗闇の中へとその姿を消していってしまった。


 ばたん、と、重く閉まる扉の音が静かな車内に大きく響く。


「行ってしまったね」

 アルゲディの、どこか寂しげな呟きに僕は小さく頷いた。

「……そうですね……」


 窓の外の景色は、いつの間にこんなにも人が溢れていたのだろうかと思うほど、多くの人々が行き交っていた。

 その喧騒の中で、僕はヴィルさんの後ろ姿を見つけた。顔は見えなかったけれど、目の前に立つ少年と小さな女の子だろうか、その子供の前で膝をつき、両手を広げて優しく抱きしめている。


 ほんの一瞬の出来事だった。


 瞬きをした次の瞬間には彼の姿は人々の波に飲み込まれ、跡形もなく消えてしまっていた。

「ねえ、アルゲディ」

「なんだい?」

「人の幸せって、一体なんなのだろうね」

 問いかけるというよりも、自分の胸に落ちた声だった。


 アルゲディは、月明かりのような静けさで答える。

「きっと、ひとつとして同じ形はないよ。星座が人によって違って見える様に、人の心もそれぞれだから。……君がそれを見つけるまで、僕は傍にいる」


 その言葉が、そっと僕の不安を包むように、やわらかく心に沁みた。


 窓に映るのは、銀河の中に浮かぶ街のような、見たことのない駅の光景。

 宙に浮いたまま形作られたようなプラットフォーム。淡く瞬く柱の光。どこか遠くで奏でられる旋律の様な、透明な音が流れてくる。

「……ここで立ち止まっても、答えは出ない。行ってみよう、イオス」


 アルゲディの言葉に背中を押されて、僕は立ち上がった。


 列車の連結ドアへ向かい、取っ手にそっと手をかける。その金属の冷たさが、不思議と心を落ち着けてくれた。

 扉が静かに開く。異世界への境界が、まるで水面のように軋みもなく滑るように動いた。


 扉の向こうには、確かに駅があった。

 けれど、それは僕の知っているどんな駅とも違っていた。


 足元には、星砂を散りばめたような白い床。空に浮かぶ光の線が、まるで銀河の地図を描いているかのように伸びていた。すれ違う人々の輪郭はどこか曖昧で、音もなく微かに笑っている。


 一歩踏み出す。

 そこは、夢と記憶の狭間。怖さと興味が入り混じる、不思議な高揚感が胸を満たしていった。

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