3. My Lord, please save he and she.
「今日の夕食はポトフにする予定だよ。楽しみにしててね」
「ああ」
帰宅したオリバーはアルバートにそう伝えると、キッチンへと去っていく。
やがてアルバートがつけたのだろうラジオの音が聞こえてくるが、そんなものはどうでも良かった。
疑念が確信へと変わったから。今でもアルバートはケイティに捕らわれている。
キャトラミューティレーションにでも遭ったかのように。
キッチンへ逃げ込むと、そのまま座り込んでしまう。アルバートの車いすを押していて疲れてしまったのだろか?
違う、この疲れはそんな優しいものじゃない。ケイティの死から何年も、隠し続けていた心を引っ張り出さないようにすることに、疲れてしまったのだ。
元々勝ち目のない戦いに身を投じていた。
生まれ持っての性質故に厳しい戦いを強いられ続けることも分かっていた。
ずっと一緒にいて話の合う存在が、いつの間にか離れていってしまうことだって珍しくはない。
目先の欲望を晴らす方法は知っていたけれど、それだけで満たされはしなかった。
料理など微塵もする気にはなれなかったが、オリバーは立ち上がると夕食の準備にとりかかった。
世界一憂鬱な晩餐に、アルバートの明るい声だけが色を添えてくれる。
「このポトフ美味いな! こんな美味いもん食ったことないよ」
「こぼしちゃだめだよ?」
「昼間のことなら悪かったって。寝ぼけてたんだよ」
オリバーがからかうと、アルバートは口をとがらせる。すっかり元気そうなその様子に、安心感と同時に寂しさを覚える。
「いいよいいよ、俺も疲れてる時はあるもん。気に入ってくれたなら良かったよ。まだおかわりはあるけど、どうする?」
「今日で鍋まるごと空にしてやるぜ」
アルバートはそう言って皿を差し出してきた。結局、アルバートは有言実行してのけると、満足満足と呟く。
「ほんとに全部食っちまうとはな……明日のレシピを考え直さなきゃあ」
皿をキッチンに運びながらアルバートの呟きに答える。こういう時、リクエストがあれば大体口にしてくれる。
「おーいオリバー!」
キッチンへと声が届けられる。
「何? もう明日のリクエストかな!」
蛇口を閉め、水の音を遮断する。
「いや、今日も夜ベッドに運んでくれるだろ? その時にちょっと話がしたい。大切な話だ」
「分かった。準備しとくね」
時間が止まったのかと錯覚させられる。そんな中で、オリバーが絞りだせた言葉はそう多くなかった。
それから話の内容は聞き出せないままにアルバートのお気に入りのラジオ番組に耳を傾け、晩のティータイムを終えると、とうとう眠りにつく時間がやってくる。
車いすからアルバートを抱き上げたオリバーは、足を失った青年をベッドに寝かせる。
「ちゃんと夜は寝るんだぞ。おやすみ」
「その前に、話がある。忘れてないだろうな」
アルバートは上体を起き上がらせ、オリバーを言葉で引き止める。逃げられないという事実に改めてオリバーは直面する。
「そうだったね。それで、話って何?」
オリバーはアルバートの部屋にあった椅子に座ると、話とアルバートに向き直る。アルバートは少し考えるそぶりを見せると、口を重々しく開いた。
「全部俺の思い違いだったら良いんだが、お前、明言は避けるが普通じゃないだろ。それで、俺に恋をしている」
オリバーは頷く。全て知られていたのなら、隠し続けることは無理だ。
「知ってたのか。いつから?」
アルバートは視線を外す。
「大学生の時には何となく。俺はお前を受け入れることはできなかった。それ以上に、ケイティのことが好きなんだ」
「そんなこと、言われなくても分かってる!」
声を荒げてしまう。大学時代、どれほど悔しい思いをしたか。
男に生まれたというだけで叶わない恋を強いられる自分をいかに呪いたかったか。
何故試練を課すかと何度、神に問いかけたか。
オリバーは溢れる怒りを抑え込むことができなかった。
「知っていたなら、何故ずっと黙っていた? 何故俺の前でケイティと恋人らしいことをして見せた? 普通とは違う俺をそうやって嗤っていたのか!」
気付くと、オリバーは立ち上がり、アルバートの胸ぐらをつかんでいた。
足を失っている青年は、バランスをとることもままならないのに、抵抗するかのようにオリバーの手首をつかんでくる。
卑怯だ。仮にアルバートに足があれば、ろくに体力も力もないオリバーなど、簡単に抑え込まれて終わりだ。この優位を作りだしているのは戦争。
もっと言えば、戦争で失ったものの大きさだ。
「落ち着け馬鹿野郎! すぐにキレやがって! そんなんだから片目の視力だけ持ってかれんだよこのドアホ」
だがアルバートはオリバーに頭突きを食らわす。ヘディングで鍛えられてきた頭蓋骨はそう軟じゃない。
肩で息をする。のどかな町の一室。二人の若い男が一触即発の言い争いに身を投じていた。
「お前を振ったら、二度と友達に戻れなくなるんじゃないかって怖かった。
それに、お前もいつか別の好きな人を見つけて、幸せになっていくんじゃないかと思っていた。
だが、何年経ってもお前は変わらなかった。だから、これ以上逃げ続けるのはやめにしようと思ったんだ」
オリバーが手を離すと、アルバートの体はベッドに座り込む形となった。アルバートは動かない下半身には目もくれず、話を続ける。
「仮にお前が女でも、俺は振っていた。ケイティが好きだから。それは今も同じだ。
そして、下半身が動かない俺を襲うなんて、お前にとって難しいことじゃなかっただろ。
それでも、俺に何もしないでいてくれたことには、感謝している」
話は以上だ、とアルバートは沈黙する。オリバーは、視力のない眼が泣いていると気づいていた。
「当たり前だろ……好きな奴の嫌がることなんかできるわけないだろ……。それに、俺だって分かってたんだ。
ケイティに負けてたってこと。彼女ほど素敵な恋人にはなれないって」
アルバートとオリバーが戦争に行く前、ケイティは街の外まで見送ってくれた。その時彼女は、二人を抱きしめ、死へと進んでいく青年たちに約束をしていたのだ。
「私、もし二人が死んじゃっても絶対に泣かないよ。二人は天国で幸せに暮らしているんだもん。そんな君たちに見せるのは笑顔が良い。
だから、もし私が死んじゃっても、二人とも絶対に泣かないで。私は天国で二人を楽しく待ってるから。楽しい人生を送っててよ。笑顔いっぱいのね!」
そして戦争から戻ったアルバートは、爆撃に巻き込まれたケイティの末路を耳にしても、涙を飲み込み続けていた。
そして、全力で打ち込んでいたフットボールを失ってなお、もう生きていたくないとは言わなかった。隣で目の当たりにしてきたオリバーは、一番よく知っている。
「悔しい……悔しいよ……」
オリバーはアルバートを抱きしめる。
何年も心の底に封じ続けていた思いを全て吐き出していく。
アルバートはオリバーの背中に何も言わずに手を回す。そのまま夜は過ぎていった。
翌朝、オリバーはアルバートの声で目を覚ました。
「何時だと思ってんだ?」
「あれだけ動いたら流石に疲れるよ。そっちこそ、起きたばかりのくせに」
オリバーはそう言うとアルバートを抱きかかえる。一階で食事をとるためだ。
「今日の朝食は決まったか?」
階段を降りるオリバーに、アルバートは尋ねる。
「いいや、決まってないよ。リクエストでも?」
「いや。たまには、一緒に作ってやろうと思ったんだ。俺にも作れるものを教えてくれ」
「任せて。フットボール馬鹿にも出来る料理があるからさ」
誰がフットボール馬鹿だ! とアルバートが文句を言う。オリバーはそれ以外に特技あったっけ? とからかってやる。
何も変わらない毎日。しかし、二人の心は晴天続きだった。
白薔薇の咲く街で 燈栄二 @EIji_Tou
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