第23話 簡単に言ってくれるわね

 日差しがさんさんと降り注いでいる。

 真白き夏の光線を浴びる樹立こだちは、を飾りそよそよと風になびいている。日を受けた葉は琅玕ろうかんの如くまなこに優しく染みこむ。



 穏やかに過ぎる夏の昼下がりである。

 それに間違いは無い。

 しかし――。



「お嬢様、大丈夫ですか?」

「……大丈夫よ。志乃」

 ミエコの表情は優れなかった。



 京都、老の坂より僅かに1里。

 亀岡盆地の南部、長尾山の麓。山一つ越えた谷であるとはいえ、夏の盆地らしい生々しく蒸した空気が肌を撫でる。直射の日光を受け、ブラウスが僅かに汗ばみ、その柔肌を表に透かしている。



「暑かったら少しお休みになりますか? 水筒も持ってきておりますよ」

「ううん、結構よ。調

 視ると、志乃は相変わらずの黒いメイド服だ。

 よくもまぁ暑くないものだ、と感心するばかりであったが、志乃の顔を流れる汗が彼女の我慢を表していた。



りの原因たる怪異を討て――、って言ったって、詳しくは教えてくれなかったじゃない」



 滝夜叉姫からのめい――。

 僅か3時間前の話だ。姫の言う変事かわりごととは、本拠近隣の村――山間やまあいの田圃が広がるのんな風景が広がっている、その水源たる溜池で起きている異常だった。




 今年の春先から初夏、そして今に至るまで――のだ。



「幾ら何でもおかしいわ。半年近くよ。春の雨だって、梅雨だってあったわ。この溜池周辺だけ、ずーっと降ってないなんて、あり得る? 砂漠だって雨が降る時は降るのよ」

 追認するように志乃が首を振る。

「数ヶ月もの間、一滴も降っていないなんて確かに異常です。その所為せいで生活用水が利用できず、田畑は枯れ、近隣の村や集落は困っている――、だからその元凶たる怪異を」



 討て――、と姫は言う。



 山一つ越えた先に広がる亀岡盆地はおおくにぬしのみこときようを開削したという蹴裂けさき伝説がある。盆地が太古には湖であったとする伝説が残る場所は、往々にして神様が水を抜く。水を抜き田を耕し、人が住む。

 さて伝われど、飢饉、こうがい日旱ひでりに苦しめられるのも世の常である。少ない雨や水の安定供給を求め、山間部では溜池がぽつぽつと造られていた。



「ここら辺の人が苦しんでいるなら、その元凶を取り除くのに力を貸すのは喜んでやるわ」

 くだんの溜池では、茶色く十字に割れた水底が悲鳴を上げている。



「でも、お嬢様、良かったのですか? 姫の命をすんなりと受け入れて……」

 余りに長い背嚢を背負い直しながら、志乃が愁眉を寄せた。しかし、ミエコは彼女の憂いをを拭い去るように志乃に微笑みを向けた。



「アイツがぼくしゆせいに伝統を鼻にかけたり、お父様を使づかいにするような奴だったらの話も、『羅刹』に入るのも蹴ってたわ。でも、お父様の気苦労をおもんぱかる辺り、――最低限の期待には応えないとね」

「お嬢様……」

「だから志乃、お願い。私を手伝って……」

「勿論です!」

 暑さに負けぬ志乃の笑顔に笑顔で返した。



「それで――、敵は何処どこ? もう得物を出した方が良いかしら」

 手をぷらぷらと振ると、志乃の眼が卒然鋭く輝いた。背嚢をぐるりと前に回し、音を立てて置くと甲高い金属と重低音が響き、思わず後退った。



「……それ、全部得物?」

「いいえ、全部では御座居ません。怪異討伐は長丁場になる可能性もありますので、天幕やキャンプ道具も入れております。……お嬢様のは、こちらでございますよ」

 志乃は背嚢のポケットから、さつと小さな拳銃を取り出した。



米国製小型拳銃ベストポケツトね」

 小さな、本当に小さな拳銃だ。『.25ACP弾』を使用する、わらべでも扱えてしまう小型拳銃。鈍い銀色の銃体、スライドが太陽光を浴びてキラリと輝く。掌に収まる程であるから、人目には玩具おもちやにか見えない。

 銃身長さ2インチ程度であろうと、装弾数は六発以上ある。ちゃんと弾丸も飛ぶ。銃について初心者であるミエコを想定し、志乃が選んだ銃だった。



「軽いのは有り難いけど、心許ないのよねぇ」

 掌にすっぽりと収めながら銃口を下げた。

 過日より続けてきた神宮司家での修行。肉体的な修練に始まり、拳銃からライフル銃まで広く銃器の扱いは一通り熟して来たつもりだったが、それでも『教官』である志乃の意は硬い。



「何事も小さな事からです。基本を大事にしなければ、命に関わります。その為には扱いやすい方が絶対に宜しいです。――銃口を覗くなんて事は」

「……そうね。あの時は本当にごめんなさい」



 修練中のことだ。

 ミエコは不用意に銃口を覗き、こってりと絞られた。志乃はお淑やかでもしっかりしている。叱りながらも優しく、骨身に染みるような説教に静々と頭を垂れていた。



「良いんですよ、お嬢様。大事にならない内に学んでいくことが大切なんですから」

 笑顔で諭しながら、手は背嚢からテキパキと得物を取り出している。その指先が引き上げた長い長い得物――、ロシア製の世にも珍しい自動小銃フェドロフM1916だった。



これを使わなくて済めば良いのですが……」

 志乃がロイド眼鏡を外し、慣れた手つきで自動小銃を覆う緑色の保護布を解きながら呟いた。目を細め、気苦労が滲むそのかおに頷こうとした、その時だった。



「そうは問屋が卸さないだろう、志乃君」



 不意だ。

 ――ガサリ、と枯れ葉を踏む音が響く。

 而して低く太い男の声が聞こえた。



 目を剥き視線を向けるミエコと、即座にからだひるがえし銃口を声の主に向ける志乃。二人の視線の先では――、すぐ脇の樹立の影から滑るように現れた男が、じろりと二人を睨んでいた。

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