第11話 「人」の顔した「牛」
――どうなってんのよ!
ミエコは一人、喫茶『黒猫』を出て、当てもなく彷徨い歩いていた。初江達には「悪いけど笑顔でいられないの」と別れを告げて以来、
――
低く垂れ込めた曇天の帝都。
神田神保町の喫茶店は、書生や文化人が集う独自の文化空間を確立しており、ミエコが
戦雲漂う緊迫した世相から逃れようと、そして徴兵から逃れようと――書生達は今日も勉学に励む。一方、華の乙女も否応なしに世の中のルールに縛られる。
――香奈恵が、香奈恵がかわいそう。
それは
城戸の顔が脳裏を過る度にミエコの
――何よ、私の顔に何か憑いてる?
憤りの
――何よ、何よ、何よ!
有りと有らゆる不満に目の前が真っ暗になる。
世相も、
怒り心頭、不安に五里霧中の中
曇天に光なく、影が
湿り気と冷たい空気が肌を撫でては寂しげに滑っていく。
一体
ミエコは眉を顰めた。
――おかしい。
路地裏というのは得てして暗いものだが。
暗すぎる。
余りにも暗すぎる。
建屋はまるで
「な、なに……?」
光が
いや、光ではない。
――牛?
『帝都は
突然、
だが、同時にミエコは思い出していた。
つい先日、真夜中の聖ウルスラ高等女学校で耳にしたヒノエ達の
――闇、声、光。
――――
『天より降り注ぐ油まみれの
湿った闇に滑るよう悠然と近づきながら、意味不明な言を繰り返す光
『餓えに満ちる緑の地獄、血に染まる
『
ミエコは僅かな武者震いと共に拳を握った。
――真に受けちゃ駄目。
武器はこの拳だけ。
やがて――、牛らしき物がハッキリ見えるところまで近づき、ミエコは思わず眼を見開いた。
牛ではない。
いや、
だが――、
艶めかしく輝く黒い長髪を
これは怪異だ。
ほほ――、と
『黒き闇、……いずれ形を成し、人の子を操らん』
意味不明な嗄れ声には希望の欠片もない。
「……あんた、一体、何者よ……」
人語を解するならば意味も解するはず。
ミエコは高鳴る鼓動を押さえ込むように声を落とした。
『ほほ――、
――訳が分からない。
言葉が不要なら残されたのは拳だけだ。
ミエコは迫る怪異を真正面に見据えて拳を掲げた。その様子に
『ほほほ――、今より七日の後。
「か、金田製作所ですって……!」
――
『ほほほほほほほほほほほほほほほほほ』
昂然と――、聞くに堪えない高笑いが暗闇いっぱいに響き渡った。
異形、異質、人ならざる気配に
『洋の東西、あやかし
牛の如き巨躯が地を蹴り上げながら猛然と迫ってくる。
真っ直ぐ勢い
――ぶつかるッ!
瞬時の覚悟は彼女の身体を
――パタ。
なすがまま、あるがまま。
身体を投げ出した先に待っていたものは、柔らかい
気の抜けた音と共にミエコの身体が布地の感触に受け止められる。
「ダイジョウブですか?」
耳慣れぬ
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