外連味の見本のような作品

「外連味」という言葉がある。

元は歌舞伎や浄瑠璃で使われる用語であったらしく、そのまま現代の舞台用語として用いられる言葉となった。

外連とは、元々「正統ではない、邪道な」という意味であり、歌舞伎の舞台において「奇抜で派手に観客の目を引く演出」の事を指していた。

これだけであれば「外連味」とは悪い意味に思えるが、
もっと踏み込んで考えると、「観客の心を掴んで離さない演出がなされている」ともいえる。

外連味とは良い意味でも悪い意味でも用いられる言葉なのである。


翻ってこの作品である。
大きなアクションがあるわけではない。舞台転換があるわけでもない、言ってしまえば会話劇の類である。

しかし今やある種テンプレとなった婚約破棄に対して、決闘裁判という特殊な要素を持ちこむことで、物語に美しい起承転結が起こっている。
正確に言えば「起承」、ここから「転結」に続く、という部分で終わっている。


読者は気になる。
なんとも気になる。
いや、第二王子が「ざまぁ」されるのは目に見えている。
だからこそ気になる。

実は統計学的に人間は、物語のネタバレをされている方が続きを楽しむことができる、というのが知られている。
「ざまぁ」が見えてるからこそ、続きが期待できるのである。


と、なるとここで作者がこの「起承」部分でぶった切った理由が見えてくる。

短編一万字以内の縛りとはいえ、ダイジェスト気味に書き連ねれば、決闘の最後まで描くことはできただろう。
あるいは十万字に満たないかもしれないが物語を描き切る事もできただろう。

だが作者はそれをしなかった。

「最後まで描く」という正統な書き方をしなかった事で、読者の心を引き付けてみせた。続きを、続きを読ませてくれ! と願わせた。

これぞ外連味である。


一つ断っておくが、外連味とは表面的な小手先の技術を弄する事ではない。
この物語だって、ただ中途半端なところでぶった切ったのではない。
濃密な背景設定、人物像、確かな筆力。
魅力的な物語を予感させるからこその、このぶつ切りが意味を持ってくる。


さて困った。
読者としては続きが読みたいと思う一方で、この焦らされた感触をいつまでも味わっていたいとも思うもの。

未完の完。
終わらせない、続かないという外連味なぞ、今まで考えたこともなかった。
脱帽である。







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