『キラレ・理問』は名探偵を語らない。
いえまる
プロローグ
「――はっ、ぜぇ、はあ。…………へっ、今回は意外と楽な仕事だったぜ……‼」
静まり返った暗い夜道を、1人の男が全力で走っていた。
全身黒ずくめの恰好に、口元を覆い隠すように着けられた紙マスク。体格は大柄だが、マスクのせいで年齢が判断しにくい。――おそらく30代ほどの年齢であろう。
住宅街はすっかり暗くなり、淡く光る街灯には虫が群がっていた。家並みは眠ったように静まり返り、微かにも電車の走行音は聞こえない。
息を切らしながら走る男の腕には、大きな横掛けのショルダーバッグが大事そうに抱えられていた。ショルダーバッグは中身がパンパンになるまで詰められており、かなりの重量になっていることが分かる。
「――ぜぇ、はあ、はあ。…………ここまで来れば大丈夫だろう……」
アスファルトを一定の速度で刻んでいた足音が、段々とゆっくりした物に変わっていく。
路地裏を抜け少し広い場所に出ると、男の右手側にコインパーキングが見えた。『P』の文字が淡く光る看板の横に、4人乗りの黒いミニバンが停まっている。
「よし。逃走用の車も見えた。……これで完全に――」
「逃げ切れる、とでも言いたかったのか?」
「――ッ⁉」
予想もしない声に、男はバッと体を捻るようにして振り返った。
男から数メートル離れた場所に、いつの間にか人影が立っている。
コツコツとアスファルトの道を叩くように、人影はローファーの靴音を響かせながら男に近づいてきた。
街灯の光に照らされて、その輪郭がゆっくりと浮かび上がってくる。
「子供……?」
男の目の前に現れたのは、この時間帯に外をうろつくには場違いな、小柄な少女だった。
歳は中学生くらいだろうか。体の線は細く、身長は140センチほどに見える。
まず最初に目立つのは、パステルイエローに似た明るい髪色。前髪は目にかからない程度でふんわりと眉毛を覆い隠し、横髪は肩の高さギリギリでショートにされている。いわゆるミディアムヘアーだ。
少女の顔は日本人よりだが、その髪色から察するに、おそらくハーフなのだろう。
顔は小造りで、アルビノのような白さを誇る肌、ちょんとかわいらしい小さな鼻に――そして、理知的な輝きを放つライトブルーの瞳。
「な、なんだこいつ……?」
突然現れた少女を見て、男は唖然とした表情で目を見開く。
……男が驚くのも無理はない。
少女の恰好は、世間が思い描く探偵そのものだったからだ。
頭にはベージュでチェック柄の探偵帽子をかぶり、ライトブラウンのケープコートを肩に掛け、深みのある色のスカートと、黒いローファーを履いていた。よく見ると、探偵帽子の右側には、木彫りのリスのピンバッチが付いているようだ。
少女はかぶっていた探偵帽子のツバを持ち、くいっと少し上へと持ち上げる。
「……さて、長いこと張り込みをしていた
透き通るような、それでいて意思の強さを感じさせる少女の声。
その声は、どこかあどけなさが残っているように感じられたが、落ち着いたその口調からは、只者ではない雰囲気が伝わってくる。
――圧倒的で、冷たく、深い青色のオーラ。
男にまっすぐと向けられたライトブルーの瞳は、街灯の光を反射してらんらんと輝いていた。
「――何者だっ⁉」
小さな少女が放つオーラに圧倒され、たじろぐように声を上げる男。
「――? 見て分かるだろう? 探偵だよ探偵」
男の問いの意味が理解できなかったのか、少女は放っていた冷たい雰囲気をスッと解くと、不思議そうに首を傾げた。
「そんなゴリゴリのコスプレをした探偵がいてたまるかッ⁉」
「……いや、別に信じたくないなら信じなくてもいいんだがな。一応コスプレではないと答えておこう」
「お前みたいなガキが本物の探偵なわけないだろ‼」
男が喚き散らすと、探偵の恰好をした少女は、やれやれと肩をすくめる。
「まあ、そこまで言うなら証拠を見せてやろう」
少女はおもむろに探偵帽子を脱ぐと、「えーと、探偵業届出証明書が確かここに……」と、ゴソゴソと帽子の中身を探り始めた。
帽子に突っ込んだ手を必死に動かし、「あれ」「どこにやったんだっけな」「いつもはここにあるはず」としばらく探し回った挙句、
「…………」
少女は手をピタリと止めて、だらだらと冷や汗を流し始める。
「おい。お前、まさかとは思うが……」
「…………すまん。普通に家に忘れた」
思わずすっ転びかけた男は、なんとか体勢を持ち直してから怒鳴り声を散らした。
「おいっ⁉ なんだよ今の時間は⁉ とんだ時間の無駄じゃねえか⁉」
「…………インドには『悠久の時間』という物が存在していてだな。時間に縛られずゆったりと物事を進めて、心にゆとりを持って生きていくという、それはそれは素晴らしい文化が……」
「――開き直るな⁉ そもそもここは日本だッ⁉」
男はひとしきり叫んだあと、肩透かしを食らったことを悔やむように、不満げに息を吐き捨てる。
「――ハッ! やっぱり、こんなガキが探偵なわけないか」
「…………待て。私は探偵である証拠が、これだけしかないとは言っていないぞ?」
少女は男を手で制すると、また探偵帽子の中身をゴソゴソと探り始めた。
今度はすぐに目的の物が見つかったのだろう。
少女は嬉しそうな笑みを浮かべて、帽子の中からある物を取り出す。
「ペンと手帳だ。――どうだ? 探偵らしいだろう?」
「……確かに探偵らしいが、それだけで探偵だという理由にはならないだろ」
男が呆れた声で言うと、少女はペンと手帳を帽子の中に戻し、また別の物を帽子の中から取り出した。
「虫眼鏡と懐中電灯」
「まあ確かに、よく探偵が持っているイメージがあるな。――だがさっきも言ったが、それだけでお前が探偵だという証拠には……」
男が言い終わる前に、少女はまた別の物を帽子の中から取り出す。
「あんぱんと牛乳」
「……刑事ドラマとかで見たことはあるな。――もちろん証拠にはならん」
男が真顔で一蹴すると、少女は悔しそうに歯を食いしばった。
「くっ。私が今持っているもので探偵である証拠と言ったら、あとはこれくらいの物しか…………」
少女はそう言って、帽子の中から1つずつ物を取り出していく。
「メガネ」
「…………別に関係なくないか?」
「赤い蝶ネクタイ」
「ああ、なるほど。分かった分かった」
「サッカーボール」
「分かった。分かったからもうやめろ」
「スケートボード」
「やめろって言ってるよな⁉」
「腕時計型のます――」
「――やめろッ⁉ マジでやめろよお前⁉ そろそろ怒られるぞ⁉」
「キック力をぞうきょ――」
「――だからやめろっつってんだろおおおおおおおおッッッ‼‼⁉」
男は喉が千切れんばかりに絶叫したあと、肩を上下させながら苦しそうに胸元を手で押さえつけ、荒い呼吸を必死に止めようとする。
「…………ぜぇ、はぁ、ぜぇ。――てか、さっきから思ってたけど、お前どっから物取り出してんだよ⁉ お前もう探偵じゃなくてマジシャン名乗れよ⁉」
「――? いや、普通に私はただの探偵だが……」
「黙れ
男は怒りを発散するかのように、その場でダンダンと足踏みをした。その後、少女の足元に積み重なった探偵道具の山に向かって、男はビシッと指を差す。
「というかなんなんだよ、このいかにもな腕時計やスニーカーは⁉ 現実に存在しない物をほいほい気軽に出すなッ⁉ そこまでして探偵だと認めてもらいたいのか⁉」
男の問いに、少女はこれ以上ないほどの真剣な表情で答える。
「もちろんだ。誠心誠意を持って君に探偵だと認めてもらいたい。意地でも君に…………んぐっ。わたひがめいはんへいだとみほめてもらいはいのだ」
「――なら食うな! 誠心誠意を持った探偵だと認められたいなら、さっき帽子から取り出したあんぱんを今食うなッ⁉」
少女のあまりのマイペースぶりに、自身のペースを乱されまくっている男。
「クソッ、この常識外れのガキが。…………ん? 常識外れ……?」
その言葉に引っ掛かりを覚えたのか、男はしばらく頭を捻って考え込む。すると、なにか思い当たることがあったのか、男の顔がハッとした表情に変わった。
「――ま、まさかお前‼ 最年少で名探偵になったという噂の、常識外れの中学生探偵、『キラレ・
「――ご名答。私も有名になったものだな」
キラレと呼ばれた少女は、残りのあんぱんをごくりと飲み込む。そのまま親指で口元をぬぐうと、キラレはニヤリとした笑みを浮かべた。
「正解した銀行強盗の君には、楽しい推理ショーをプレゼントするとしようか」
――中学生探偵、【キラレ・
かつて、事件解決率100パーセントを誇る、狂気じみた名探偵がいた。
警察が迷宮入りにしていた事件だとしても、秒で解決するほどの推理力。
どんなに小さな手がかりも逃さない、動物並みに鋭い勘。
畏怖と尊敬の念を抱いて、人々は彼女をこう呼んだ。
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