第29話

 あちらは公爵だが、菊地家とて伯爵の身分。

 借金を肩代わりしてほしいだなどと頼みに行くのは、プライドの高い江蔵にはつらかっただろう。

 苦悶の表情になる父を、桜和は涙を浮かべながら思いやった。


「婚約は……煌太郎様との結婚はどうなるんですか」

「破談に決まっているだろう」


 父の言葉で、桜和は後頭部をなにかで打たれたような衝撃を受けた。

 十日前に野宮邸を訪れたときは、あんなに幸せだったのに……。


「早朝に家を出るって、どこへ行くの? 鎌倉の別荘?」

「別荘はとうの昔に抵当に入っていて、じきに競売にかけられる。……この家もだ」

「煌太郎様に一目会ってから、」

「ならん。桜和、許せ」


 これは昨日今日起こった出来事ではない、と桜和は唐突に理解した。

 心配をかけないため、江蔵は経営不振のことを家族にずっと黙っていたのだ。

 話を聞きながら震えている母にもつい先ほど伝えたのだろう。


「みんな、荷物をまとめてくれ。夜が明けるころにはここを発つ。すまないがそのあと誰かに我々のことを聞かれたら、知らないと言ってほしい」


 使用人たちが嗚咽を上げて泣き始めた。この先自分がどうなるのか不安なのだ。


「お嬢様」


 それぞれが肩を落として部屋に戻っていく中、千代が桜和のもとへやってきた。

 こらえきれずに大粒の涙をぽろぽろと流している。


「千代……」

「お世話になりました。こんなに突然のお別れになるなんて……」


 桜和は思わず両手で彼女の手をぎゅっと握った。

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