アズール図書館の司書

藤崎次郎

第一章

第1話


『 夢を、解き明かせ── 』


     ◇


 夜明け前。

 静寂に包まれていた水平線の向こうから、日輪の先が顔を出す。眠っている大地に光が当たり、冷えた空気は少しずつ温もりを帯びて遠くの山々へも広がっていく。空は数十分ほどで、深い紺色から透き通る青へと変化していった。温かい光がどこまで伝わっていく。なんてことはない、どこにでもある当たり前の日常が、今日も世界で起きていた。


 そんな朝を迎えた頃、一隻の船が北西へ進んでいく。ただし、その船は海を進んではいなかった。

 誰もが見上げる「晴天の空」を、かの船は進んでいる。まるで大海原を泳ぐように、帆を立てて軽やかに空を飛行していた。

 魔法で宙に浮くそれは「空船」と呼ばれており、魔法の国で最も親しまれている交通機関である。今日も船は空を泳ぐ。人や物資や工芸品、ありとあらゆるものを積み、船は天の海を進みゆく。


「まったく、何をやってるんだこの子は……」


 そんな朝の船内で、ため息をつく一人の男がいて。屈強な体つきをしており日々の鍛錬が見て取れる。空船の船員用の白と黄色の縦線が入った服はやや汚れていて、長年愛用しているためか穴まであいていた。しかし彼は気にしていないようで、顎髭を触りながら眼下にいる青年を眺めている。


「おい、いつまで寝ているんだ。もうすぐアズール王都だぞ」

「う……ん?」

「ったく、本当に本部屋で寝るとはな。物好きなやつだ」


 そう言って筋肉質な船員は足で青年を軽く小突く。少し痛そうにしながら青年はゆっくりと起き上がり、キョロキョロと周囲を見渡して。

 まだ寝ぼけているようだ。次第に意識がハッキリしてきて、自分が本に囲まれている場所で寝ていたことを理解した。


「すみません、夢中になっちゃって。全部面白かったです」


 と、恥ずかしそうに本を集める。その数は二十はあろうか。青年は本のあった場所を一つも間違えずに戻していき、改めて船員ドナールに会釈した。

 記憶力は相当良いなと内心思いながら、寝違えていないかとドナールは尋ねる。相手は笑顔で頷いた。

 青年の外見は、一言で言えば文学系の男である。

 蒼髪が特徴的でまつ毛が長く、瞳は黒。表情は優しく、温和な雰囲気を自然と作り出している。意思が弱そうにも見えるが、立ち方は真っ直ぐ綺麗で育ちの良さが垣間見れた。ドナールはほんの数日しか青年と交流はないけれど、なるほど確かに、面白いと思う。名は確か……


「シルディッド、だったな。青年」

「覚えていてくれたんですね」

「まぁ今日でお別れだがよ。本好きってのは最近の子じゃあんまりいないが、青年の良さでもある。久しぶりに面白そうな子と会えて楽しかったよ」

「僕もです、色々とお世話に──」


 シルディッドという名の青年が頭を下げようとした……その時であった。

 あらん限りの警報が船内中に響き渡る。二人して驚き、顔を見合わせて。


「ドナールさん、これは?」

「緊急警報で、しかも最大級のやつだな。……面倒なことになりそうだ」


 警報が鳴り響く中、船長より創造魔法“伝声網羅”が発動される。

 船の各部屋、通路、看板などから突如として伝声管が出現。船金属管などを用いた通話装置のことであり、これを使い船内中に船長の声を伝えることができる。


 シルディッドやドナールが生活する国は「魔法の国」と呼ばれている。そのため、国民は各々自由に魔法を発動することが可能であり、それが当たり前でもあった。彼らにとって、魔法は生きる上で必需品なのだ。野太い声の船長が軽く咳をしてから、淀みなく告げた。


「緊急のためお客様及び船員に伝達。現在、南東よりガリオン空賊船が接近中。船員は速やかにお客様を避難させるように。お客様は冷静に船員の指示に従ってください。なお、船員は“秘匿補聴”を発動せよ。以上」


 直ぐにドナールはポケットから輪っかのような道具を耳に近づけ、付属魔法“秘匿補聴”を発動する。輪っかが輝きクルリとドナールの耳に装着された。船員になるための必須魔法であり、事前に登録した者のみに声を伝えることを可能とする。

 ドナールは本部屋の窓に行き、直ぐに視認する。こちらへ凄まじい勢いで向かってくる空船があった。最近暴れまわっていると悪名高い賊船だ。ガガ、ガ、とノイズが入る。そして船長から船員にだけ聞こえる声で伝達された。


『事態は切迫している。索敵用の陣形魔法“蜘蛛条理”を突破された。ただの雑魚ではなく、高位の陣形魔法師がいるとみて間違いない。なお、ガリオン空賊船員は一人ひとりがそれなりの猛者と聞く。各々、職務を全うせよ。──返り討ちにするぞ』

『おぅ!!』


 船内中から船員らの雄叫びがあがった。普段は穏やかな彼らであるも、こういった非常時にこそ本来の力を発揮するのだ。ドナールは自身の筋肉が躍動しているのを感じる。上腕筋や大胸筋が波打ち、祭りはまだかと騒いでいる。……あぁ俺も同じ気持ちだと彼は頷いた。そんな時、ふとあることに気づいて。


「青年?」


 本部屋にいたはずの男が、こつ然と消えていた。

 




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