第32話 スーパースペシャルステージ 伝説との対決の幕開け
2日目も長い戦いを終え、迎えた愛知パシフィックラリー最終ステージ。
普段は地元のレースやイベントに使われているサーキットに特設のセクションが組み込まれ、スタンドには多くの観客が詰めかけている。大会主催者は、この最終ステージを「スーパースペシャルステージ(SSS)」と銘打ち、2台同時走行でのエンターテイメント性を最大限に高めようとしていた。
日が沈みかけ、サーキットの照明が徐々に輝きを増す頃、全参加車両による最終出走順の発表がある。総合順位の近い上位同士がペアを組み、ショート周回のタイムを競う——そんな説明が場内放送でも何度も繰り返されている。
工業高校ラリー部のピットエリアはざわつきを見せていた。部員たちが近寄ってきては、口々に「本当ですか!?」「マジであの藤田さんと一緒に走るの!?」と興奮の声を上げる。
なぜなら、特例により亜実(あみ)たちのGRヤリスラリー2が昨年の覇者であるFUJITA Suspension Rally Teamとの直接対決に選ばれた、という情報が流れたからだ。
「なんでも、昨日の霧ステージでトップタイムを叩き出したことで、観客からの注目度が爆上がりらしいんだよ」
「そうそう、それで運営が“夢の対決”を演出したいってことじゃないかな」
「亜実が藤田選手と……嘘みたいだ」
そんな部員たちの声を聞いて、亜実は面食らったように返事をする。
「うわぁ、こっちが一番驚いてます……。でも、やるからには全力で走りたいし……怖いけど、すっごく楽しみ」
一昨日の朝にクラッシュし、昨日は霧の中で奇跡的なトップタイムを出し、今日に至るまで農道ダートや高速区間をなんとか乗り越えてきた。それだけでも信じられないドラマの連続だったのに、最後の最後にレジェンド・藤田拓郎(ふじた たくろう)との直接対決が待っているとは、まるで夢のようだと亜実は思う。
一方、コ・ドライバーの水瀬恵理香(みなせ えりか)は淡々とした表情でペースノートを手に持ち、「藤田さんと走れるなんて、そうそうない機会よ。あなたがベストを出せば、きっと驚かせられる」と言い切る。
「……うん、わたしの全力を出す。もうクラッシュはしたくないけど……それでもここ一番で攻めるときは攻めないとね」
ハンドルをぎゅっと握りしめる亜実の姿には、昨日までとはまた違う凛々しさが漂っていた。
「亜実、水瀬……本当に大丈夫か?」
円城寺は内心でハラハラしているが、同時に“ここを乗り越えたら、とんでもない未来が開けるかもしれない”という期待も抱いていた。
亜実たちが対戦するのは、誰もが知るレジェンド、藤田拓郎。モンテカルロラリーでの日本人初優勝や、国内トップカテゴリーでの数々の戦績は今も語り草だ。昨日の霧ステージで亜実の走りを褒めていたが、その実力差は計り知れない。
「どう転んでも胸が熱くなる勝負だ。でも……安全だけは頼むぞ……」
円城寺はそう心の中で呟きながら、メカニックや部員たちに向けて「最後の点検を徹底してくれ」と声を掛ける。ここまで走り続けてきたGRヤリスラリー2も、もう満身創痍に近い状態であり、最後のステージを戦い切れるだけのケアが欠かせない。
アナウンスがスタンドに響く。
「さあ皆さま、お待ちかねのスーパースペシャルステージ! 2台同時走行、ショート周回コースでの激突です! 今回の目玉カードは……なんと、昨年の覇者・藤田拓郎選手 vs. 昨夜の霧で衝撃的なトップタイムを叩き出した高校生ドライバー・高槻亜実選手! 同じGRヤリスラリー2による直接対決となります!」
会場は大盛り上がりだ。スタンドから拍手や歓声が起こり、SNSを中心に動画配信をするファンたちも「うおおお!」「高校生がどこまでやるか見物だな!」と沸き立つ。
コースの全容は、スタート後に左右で分岐し、半周ごとにクロスする仕掛け。2台が物理的に交差することはないが、同じ地点をほぼ同時にかすめる瞬間が何度かあり、観客の目を楽しませるレイアウトだ。さらに、終盤は合流して同じホームストレートへ駆け込む形になり、ゴールラインでの勝敗が一目瞭然となる。
しかも、周回自体は短いが複数周設計されており、コーナリング精度や周回ごとのペース管理が物を言う。最短の周回だからこそ、ミス一つで大きな差がついてしまうリスクもある。
ライトが眩しく照らすスタートエリア。そこにGRヤリスラリー2が並ぶ姿が映し出される。
FUJITA Suspension Rally Teamのヤリスラリー2は、昨夜も今日もほぼノーダメージで走り込んだ完成度の高い車体。一方、亜実たちのヤリスラリー2は、フロント周りやボディに目立つ傷跡を抱える。しかし部員たちの献身的な修理で、何とか戦える状態を保っている。
亜実と水瀬はピットレーンで「最後のペースノートの調整」を行い、どう攻めるかの打ち合わせをしていた。
「ここ……最初の鋭角コーナーで藤田さんが多分インを取ってくる。わたしたちは、あえてブレーキを早めに踏んで出口重視に行くわ」
水瀬がノートを指でなぞりながら提案する。
亜実は深く息を吐き、「うん、いきなり勝負に出て突っ込んだら、こっちがアウトに膨らんで接触しそうだしね。まずは様子を見て……」
しかし、内心は(様子を見てばかりじゃ藤田さんには勝てない)という思いが強い。だが、水瀬の言うとおり、最初のコーナーで無謀な突っ込みをしてコースアウトするのは論外だ。
「あと、この分岐区間……左に行くか右に行くかが交互になる設定だけど、一方がやや緩いコーナー続き、もう一方がタイトなS字だって話。確か……」
「そう。2周目は、わたしたちはタイトなほうからスタートになる。タイト区間が終わったら、周回の後半でスピードを稼がないと追いつけない」
水瀬は端的に説明し、亜実は頭の中でコースレイアウトを組み立てる。イメージトレーニングだ。
すぐ近くにあるもう一台のヤリスラリー2。そこに藤田拓郎が乗り込んでいる姿が目に入る。
メカニックたちと淡々と打ち合わせを済ませたあと、彼はコクピットで静かにヘルメットを装着している。まるで大海を見渡すかのように落ち着いた雰囲気を醸し出しながら、どこかで闘志を燃やしているのだろう。
(若さの勢いを見せてもらおうか……でも、俺も負けない)
そう呟くかのように、藤田はステアリングを握り、軽くブリッピングをしてエンジンの回転を確かめる。観客席からは「キャー!」という歓声と、「藤田ー、頑張れ!」というコールが混ざる。やはり昨年優勝したレジェンドには根強いファンが多いのだ。
大きなスターティングゲートがサーキット内のメインストレート上に設置され、そこに2台のヤリスラリー2が並んで止まる。
手元のコントロールタワーから信号が点灯し始め、カウントダウンの数字が大きく表示される。10秒前→9秒前……
亜実は“ドライバーシートに座ると同時に冷静になる”と自分で思い込もうとしていたが、それでも脈が高鳴って汗が滲むのを抑えられない。けれど、この緊張感を含めてラリーという競技を好きになったのだ。
助手席の水瀬が、最後の一声をかける。
「落ち着いて。最初のコーナーで無理に突っ込まないこと。あとはあなたの感覚で行けるはず」
「うん……わかった。絶対に食らいつく」
5…4…3…2…1……GO!
大音量のスタートコールとともに、亜実はクラッチとアクセルを一気に合わせる。4WDならではのトラクションが路面を捉え、グッと強烈に前進する。隣を見ると、藤田のマシンもほぼ同時に加速。
スタンドの大歓声が2台のエンジン音に溶け込むようにして響き渡る。夜の照明に照らされたコース上を、2台の白いボディのヤリスが猛スピードで駆けだした。
スタート直後、数十メートル先に鋭角コーナーが待ち受ける。
亜実は「いきなり全開!」とばかりにアクセルを踏んだが、水瀬が「最初の鋭角、慎重に!」とコール。ブレーキポイントを迷いそうになりつつも、教えられたラインをイメージし、ちょっと早めに減速へ入る。
一方、藤田はインを先取りしながら、絶妙なタイミングでブレーキングを合わせ、コーナー進入でわずかに車体を前に出した。
「しまった……やっぱり藤田さん、速い!」
亜実が焦りを覚える。しかし、ここで下手に突っ込んで外へ膨らんだら、一気に差が開くだろう。彼女は水瀬のアドバイス通り、出口重視のラインを狙ってアクセルオフ→ステアリングを切り込み、コーナー後半で再びアクセルをオン。
鋭角コーナーを抜けた瞬間、藤田が少しだけ前方にいるが、亜実のマシンは出口速度を高く保った状態で次の緩いコーナーへ入れる。
観客席からは、「おーっと、藤田がインを取った!」「でも高校生のヤリスも負けてないぞ!」と熱い声援が飛ぶ。スタートしてまだ10秒そこら、すでに見どころ満載だ。
鋭角コーナーを出て、わずかなストレートが続く。ここで一気に加速し、スピードを稼いでおかないと、次の分岐区間に入った際に遅れを取りかねない。
亜実はアクセルを踏み込み、ターボが唸りを上げるのを感じつつ、「これ以上ブレーキを遅らせても大丈夫かな……」と内心で計算をする。
水瀬が「次、右4プラス、あまり奥まで突っ込まない!」とコール。
その瞬間、藤田のマシンがコーナーへ向けて軽くアウトに振り、きれいなラインを描こうとしているのが視界に入る。
「くっ……負けるもんか!」
亜実はコーナー進入のブレーキをぎりぎりに遅らせたい気持ちをこらえ、冷静に“ラインと速度のバランス”を選択。そうしなければ、次の周回でもっと大きく差がつくかもしれない——そんな予感があった。
数秒後、コースが左右に分かれる分岐ポイントへ到達。
今回の設定では、藤田が「右レーン」、亜実が「左レーン」を走ることになっている。周回ごとにレーンが入れ替わる仕組みだが、最初はこの振り分け。
藤田の右レーンは、コーナー自体がやや緩やかだという事前情報がある。一方、亜実が走る左レーンは、入り口でやや急なS字をこなさなければいけない。そのため、どちらかというと“右レーンのほうが若干走りやすい”とされていた。
亜実はこの分岐手前で、何とか藤田との差を詰めたかったが、コンマ数秒単位で先に藤田が進入していくのが視界に映る。
水瀬の声:「ここで離されたくないなら、S字をうまく処理してスピードを殺さずに抜けて!」
「了解、行くよ!」
亜実は一瞬ギアを落として回転数を高く保ち、鋭く左に切り込む。タイヤがスキール音を上げ、次いで右へ。4WDの踏ん張りに頼りながら、アクセルとステアリングを細かく調整する。
同じタイミングで、藤田のマシンは右レーンを比較的スムーズに駆け抜けているはず——見えはしないが、速度差でさらに離される危険は大いにある。
(負けるな……!)
S字をクリアして加速に移ると、コース外周側に見慣れた白いボディがちらりと見えた。分岐したルートがクロスするような形で視界に入るのだ。
「あ、藤田さんが……!」
亜実はアクセル全開でレーンを駆け上がり、わずかにハンドルを調整する。コース形状的には、互いが交差はしないが、視界の端に相手のマシンが近づいたり遠ざかったりする瞬間が何度も訪れる。
観客席からは、「この並走がたまらない!」「どっちが速いかわかりづらいぞ!」と興奮気味の声が聞こえる。
水瀬が言う。「ここ、ブレーキを極端に遅らせなくても、上手くラインを取れば速い。最後まで焦らないで!」
「わかった……!」
コーナーの鋭さに応じて、亜実は前輪のグリップを信じつつ、リアを少し流す気持ちで旋回する。短距離ならではの“瞬発力の勝負”だが、限界を超えるとスピンやコースアウトにも繋がりかねない。
(攻めたい、でも……まだ無茶はできない。これから周回が続くんだ)
クロス区間を抜ける直前、亜実は数秒間だけブレーキを遅らせてみることを決める。水瀬の指示では安全寄りだったが、このままだと藤田には追いつけない気がするからだ。
「……もうちょいだけ踏む!」
亜実は心の中でそう呟き、インカムを通して「少しブレーキ我慢する!」と短く伝える。水瀬の「えっ……」という驚きが聞こえるが、次の瞬間には「大丈夫、行ける!」と声がかぶさる。
ステアリングを切り込むその刹那、フロントがわずかに外側へ逃げる感じがあったが、亜実は右足をすっとブレーキへ移行し、ほんの一瞬の間隔で減速を完了させる。
車体はかろうじて理想ラインに乗り、ラリータイヤが路面を噛んで脱出速度を殺さずに回り込む。
「っし……!」
瞬間的に見えた藤田のマシンより、若干早くコーナーを脱出できた気がした。ほんの一瞬だが、藤田の視線の先を亜実が行くような場面を作り出す。
スタンド席では大きなどよめきが起こる。モニターに映る各視点のカメラ映像でも、藤田が「少し遅れたか……?」とハンドルを微調整する仕草が映し出され、亜実が先に加速体勢へ入ったように見える。
実際にはコースがまだ分岐状態なので、どちらが先行しているか客観的に測りづらい。しかし、観客の目には「高校生が一瞬、レジェンドを上回った!」という衝撃がはっきり焼き付く。
ピットエリアのスクリーンでそれを見ている円城寺や部長たちも「すげえ……!」と感嘆を漏らす。
藤田はコクピット内で「あの子、やるな……」と苦笑を浮かべつつ、マシン挙動を乱さないよう慎重にアクセルを踏み直す。彼のコ・ドライバーも「グッドペース、焦らずに……」とクールに声をかけている。
このスーパースペシャルステージは、一周ごとにレーンが切り替わり、計2周〜3周の合計タイムまたはフィニッシュ位置を争う形式。したがって、最初の分岐を終えた後に短い合流区間があり、再び分岐が入る仕組みになっている。
今回のラリーでは“2周”設定とされていて、1周が終わるタイミングでレーンチェンジの指示が入る。
亜実はコースレイアウトをしっかり頭に入れていたものの、実際に走ると分岐や合流が目まぐるしく、視界にも藤田のマシンがチラチラ映るため、神経をすり減らす。
「ここから合流ゾーン……これで周回1つめの終わりか。次の分岐では、わたしたちが右レーンに行くんだよね?」
水瀬が急ぎノートを捲り、「そう。今度はあっち(藤田側)がタイトS字になる。そこで一気にタイムを稼げるかも」と返す。
しかし、手早く説明しているうちに、合流後の短いストレートが迫ってくる。藤田のマシンがほぼ隣接して合流ラインを走り、サイドバイサイドと呼べる位置関係に。
コースはスタジアムのメインストレートへ戻るように設定されている。1周目終了が近いが、まだフィニッシュではない。2周走って初めてゴールとなるため、今はちょうど中盤というわけだ。
亜実はハンドルを握りしめたまま、横目に藤田の車体が見える距離まで追いついているのを感じる。このままストレートに飛び込めば、最高速付近で完全に並ぶ可能性が高い。
「こんなの、まるでショートサーキットのスプリントレースだね……」と水瀬が苦笑気味に言う。
亜実は「うん……でも、やるしかない!」と意気込むが、同時に(このスピードで並走とか、怖い……)という弱気も頭をもたげる。
スタンドが目の前に広がり、ライトアップされ、観客の大歓声が両者に降り注ぐ。まるでサーカスの主役になったように、視線が集中しているのがわかる。
亜実たちがまさに中盤のクロス区間へ差しかかろうとするところで、ピットレーンや観戦席からはさらなる声援が投げかけられる。解説者も「これは接戦だ!」「なんと若き高校生ドライバーがレジェンドに肩を並べようとしている!」と熱弁を振るう。
一方、円城寺や部長らの胸は張り裂けそうなほどだ。「このまま行けば接触やクラッシュもあり得るんじゃ……」という心配と、「勝負に出ろ、亜実!」という期待感が入り混じっているからだ。
そして、周回2週目へ突入する際、コースの分岐が逆になる。亜実たちが走るのは“やや走りやすい”とされる右レーン。一方、藤田がタイトな左レーンへ入っていく。
ここで勝負をかければ、もしかすると藤田を逆転できるのか——。そう思いながら、亜実はハンドルを強く握りしめ、次のコーナーに照準を合わせた。
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