第23話 加速する想い――ヤリスラリー2のテスト、そして二台の追走
風が少し肌寒い秋の午前。青空が広がるものの、まだ雲が途切れ途切れに漂っている。ここは愛知の外れにあるラリークロスコース。ダートと一部舗装が入り混じり、しばしば地元のモータースポーツ愛好家が練習やイベントを行う場所だ。
その日の朝、コースの管理人は驚いていた。「ヤリスラリー2が二台?」と目を丸くした。何しろ“ラリー2”規定のマシンは国内でもそうそうお目にかかれない。一台が珍しいなら、二台並ぶのは異様な光景に思える。
そこに現れたのが、高槻亜実(たかつき あみ)とコ・ドライバーの水瀬恵理香(みなせ えりか)のペア。そして、もう一台のGRヤリスラリー2には、運転席に円城寺潤(えんじょうじ じゅん)が座り、コ・ドライバーとして佐伯(さえき)顧問が同乗する形だ。
もともと、このコースを使う許可はラリー部として取り、「GRヤリスラリー2のテスト」をするという名目で予約していた。だが、当初は一台だけの予定だったのが、いつの間にか円城寺が「俺もヤリスラリー2を借りてきた。追走させてほしい」と言い出し、急遽“二台で同時テスト”という豪華な展開になったのだ。コース脇では佐伯が頭を抱え、「まさか円城寺さん、ここまで本気になるとはね……」と苦笑していた。
ピットスペースには、まず亜実の乗る白×赤のヤリスラリー2が鎮座している。以前、ラリー部が導入して整備を進めてきた“本命マシン”だ。未成年ドライバーの亜実は公道での運転が許可されないが、ここはクローズドコースなので問題なし。
その助手席には――水瀬恵理香。クロスカントリーラリーや全日本ラリーで伝説的なコ・ドライビングを誇り、長らくラリーを離れていた人物が、ついに本格的に“ナビゲート”へ復帰する。
「どう? 車のシートポジション、合ってる?」と水瀬さんが確認しながら、ペースノート類のセットを進める。亜実はハンドルを握り、「はい、大丈夫。あのRC Fよりはずっと扱いやすいと思います。4WDですし、軽いし……」とテンション高めに応じる。
水瀬はクールに「4WDだって油断したらすぐスピンするわよ。ラリー2マシンは市販のGRヤリスとは全然違うんだから。セッティングも競技用に振ってあるし、パワーバンドもシビア……踏みすぎると簡単にオーバーランするから注意して」と釘を刺す。
亜実はコクコクとうなずきながら、「はい……でも、水瀬さんのナビがあれば怖くないです!」と笑顔を見せる。水瀬は目をそらしつつも、「……まったく、これだから若い子は」と照れたように返す。その様子を見たラリー部員たちは(なんだかんだ言って、いいコンビだな)と思わず顔を見合わせて頬を緩める。
近くではもう一台の黒×赤のヤリスラリー2が整備されている。そこに乗り込むのは、円城寺潤と“コ・ドライバー”を務める形になった佐伯顧問。
円城寺は苦い表情でメカニックと会話しながら、「これは借り物だが、俺が本気で追いかけたいと思ってな。……未成年のラリーなんぞに負けてたまるか、と。」と呟く。コ・ドライバー席の佐伯は苦笑して、「私もこんな形でナビをやるとはね……でも円城寺さんのドライビングは独特だから、ペースノートも大変そうだ」と冗談混じりに返す。
「いいか、俺たちはあくまで後ろから同じコースを走る。亜実たちの走りとマシン特性を確認しながら、どこまでついていけるか試したいんだ」と円城寺は語る。佐伯も理解を示す。「はい。とはいえ、4WDをまともに扱うのは久々なんじゃないですか? RC FやLFAとは全然感触が違うでしょ。」
円城寺がヘルメットを掴んで、「……ああ、分かってる。だが、俺はWRCに挑んだ経験もある。すぐに慣れてみせるさ」と意気込む。その眼差しは、長らく失っていた“ラリーへの火”を思わせる鋭さを湛えているようだ。
やがて準備が整い、コース管理人の合図で亜実&水瀬のヤリスラリー2が先行してコースへ入る。その後ろ約10秒ほどの間隔をあけ、円城寺&佐伯のヤリスラリー2が追いかける形で走り出す。
砂利が舞い上がり、4WD独特のトラクションで瞬時に加速していく白×赤のマシン。水瀬のナビゲートが車外まで聞こえるわけではないが、車体が滑らかにコーナーへ吸い込まれていく様子から、的確な指示が行われているのが分かる。
後方の黒×赤ヤリスラリー2を駆る円城寺は、「よし、行くぞ……」と息を吐き、佐伯がペースノートを読み始める。「最初の右コーナー、左3プラス……」
円城寺はハンドルを切る感触を確かめるように走り出す。FRをメインにしてきた彼にとって4WDの挙動は久々だが、元WRC挑戦者のスキルは衰えていない。スライドを抑えつつ、瞬時にカウンターを当て、4つのタイヤが地面をしっかり掴む感覚を取り戻していく。
「ふむ……今のラリーカーはここまで安定するものか……やっぱりRC Fと違うな。でも、あの子たちに追いつけるかは別だ……」
佐伯がヘルメット越しに笑う。「でも十分速いですよ。私もナビするのに必死だ……。おお、この感覚、懐かしい!」と声を上げる。円城寺と佐伯のコンビというのもなかなかレアな光景だ。
コース序盤は比較的タイトなコーナーが連続するセクション。亜実&水瀬のマシンが先行し、後方の円城寺&佐伯チームがほとんど距離を離されずにつけている。砂煙が舞い、前方の白×赤マシンのブレーキランプがちらちらと見える。
インカム越しに佐伯が「いいですよ、円城寺さん、ほとんど離されていない。これなら十分追いつけます」と声を弾ませる。円城寺は冷静に「まぁ、まだ序盤だ。ラリークロスコースとはいえ、簡単じゃない。あの子たちが全力を出しているかも分からないからな……」と独白する。
前方を走る亜実は、ステアリングを握りしめながら水瀬のナビを聞き、「わわ、円城寺さんたち、ずっと後ろにいませんか?」と焦るが、水瀬は「気にしない。あなたはペースノート通りに走って。あの人は4WDに慣れていないし、いずれ差が出るわ。……それに、私たちも完璧じゃない」と冷静に制する。
やがて、コースの中盤、緩やかな高速コーナーが続く区間へ突入。4WDにとってはトラクションを生かせば速度を維持しやすいパートだが、同じ4WD車でも水瀬のナビを受ける亜実のヤリスラリー2がさらに安定している。「ここはベタ踏み、でも出口でちょっとブレーキ、次の右4タイトへアプローチ!」
亜実はテンポ良くアクセルとブレーキを刻み、ヤリスをスムーズにラインへ載せる。後ろの円城寺も「ちっ、やるな……」と舌打ちしつつ、「佐伯、次のコーナー、もう少し先行き加速できるか?」と探るが、「やりすぎてスピンしないように!」と警告され、やや慎重にならざるを得ない。
後半に入ると、コースの路面がざらついた砂利や大きめの石が多い荒れたセクションとなる。ここで4WDの差が顕著に出るかと思いきや、亜実&水瀬の連携がさらに一段レベルを上げている。
「左3プラス、ここは深い轍を踏まないようアウトぎりぎり……はい、そう。次、100メートル先ヘアピン右……」
水瀬のナビが冴えるたび、亜実のハンドルワークがスムーズに応答し、車体がロスなくコーナーをクリアしていく。シビアな路面でも滑らないのは4WDのおかげだけではなく、水瀬の指示で荷重移動を最適化しているためだ。
結果、亜実のヤリスが徐々にスピードを上げていくのに対し、円城寺のヤリスは一定の距離を保とうと頑張るが、少しずつ離され始める。
佐伯は焦り気味に「円城寺さん、前方の砂煙が遠くなってますよ……もう少し踏めますか?」と聞くが、円城寺は歯を食いしばり「わかってる……」とだけ答える。
踏みすぎればオーバースピードでクラッシュのリスクがあるし、4WDといえどラリー2マシンはそれなりに難しい。円城寺はFRメインで培ってきた感覚を強引に適用しながらも、「くそ、慣れるしかない!」と奮闘。
コース終盤。円城寺のドライビングは、ようやく4WDの特性を掴み始め、ブレーキングやアクセルワークがスムーズになっていく。まるで短時間でモノにする成長力を見せており、佐伯は「さすが円城寺さん……昔WRCで挫折したとか言いつつも、速いんだな」と心中で感嘆する。
実際、ターンインでのブレーキが的確になり、最低限のスライドでトラクションを得る走り方——FRのときとは違うアプローチを見事に順応している。
「これは……立ち上がり速度もかなり速いですよ、もしかすると前の車との差が詰まり始めてるかもしれない」
佐伯がそう言うと、円城寺は息をつきつつ「いや、あの子たちはもっと上のレベルだ。あの水瀬はドライバーを完全にコントロールしてる。……でも、あと少し、もう少しだけ頑張ってみる」と鼻息を荒くする。
しかし、終盤に近づくと、再び前方の亜実&水瀬がペースを上げていく。砂埃が薄まったのか、後ろ姿がますます先へ進んでいるのが分かる。
「ちっ……やはり水瀬は怪物だな」と円城寺はハンドルを握りしめる。WRCを経験している自身が、あくまで“借り物マシン”とはいえ同じラリー仕様で戦っているのに、どんどん離されるとなると悔しさが募る。
隣の佐伯も状況を把握していて、「……彼女たちは抜けてるんですよ。亜実のドライバーとしての才能と、水瀬の正確すぎるナビ。正直、私もあんなナビ見たことない。全日本ラリーで優勝するレベルを余裕で超えてるかもしれない……」と心を震わせるように言う。
その言葉を聞いて、円城寺は唇を噛むものの、同時に胸が熱い感情に襲われている。
(俺が追い求めたラリーの頂点。あの子たちなら本当に世界へ行けるのかもしれない。俺はどうすればいい?)
最終コーナー手前のストレートで、亜実たちのヤリスラリー2が彼方へ消えかけるのを、円城寺はフロントガラス越しに見つめる。「……完全に差をつけられたな」
佐伯もインカム越しに息を整え、「円城寺さん……悔しい気持ちですか? それとも嬉しい? 私は複雑です。私の教え子が、こんなにも成長してるんだって思うと涙が……」と声を震わせる。
円城寺の瞳にも涙が滲む。「俺も……正直、泣きそうだ。なんだろうな……自分のラリー嫌いを捨てて、ここまで……。でもあいつら、ほんとに“本物”だよ。俺が命を賭けて追いかけても届かない世界……あの背中はもう手の届かない場所へ行こうとしているのかもしれない」
ステアリングを握った手が震え、涙が頬を伝う。佐伯も同じように目頭を押さえ、「あの子たちはきっと次のステージへ行くでしょうね……」と呟く。2人ともアクセルを踏みつつ、前方に霞む白×赤のヤリスの背中を見送り続ける。その姿は、まるで親が子どもの成長を嬉しくも切なく見送るかのような光景だ。
コースを走りきり、クールダウンしてピットへ戻ると、先に到着していた亜実&水瀬のヤリスラリー2が停まっている。部員たちが「すごい速さでしたよ!」と拍手して出迎えていて、水瀬は照れたようにヘルメットを小脇に抱え、亜実も汗だくで笑みをこぼす。
一方、やや遅れて戻ってきた円城寺と佐伯。ドアを開けて降りると、2人とも目が赤い。亜実が「どうしたんですか……?」と心配そうに問うが、円城寺は一度鼻をすすり、「いや、少しスピード出しすぎて目が乾いたんだ」とごまかす。佐伯も「私が読み上げるのに必死で……涙が出ただけだ」と言い訳し、あからさまに取り繕う。
水瀬さんはそれを察したのか、微かに笑い、「お疲れさま。追走してくれてありがとう。ヤリスラリー2、どうだった?」と円城寺に声をかける。円城寺はうつむき加減で、「俺にはやっぱりFRの方が合うかな……でもヤリスラリー2がこんなにも安定するとは思わなかった。まあ、君らが速すぎるんだよ……」と、悔しさ半分、感心半分と語った。
夕暮れがコースを染め始め、帰り支度が進む中、亜実と水瀬の2人は並んで車を眺めている。水瀬が静かに「あなたのドライビング、思ったよりずっと良いわ。ダートもターマックもバランスよくこなしてるし、私の指示もちゃんと吸収してくれてる。ドライバーの力を200パーセント引き出すとか言われたけど、私自身がここまで気持ちよくナビできるとは思わなかった」と打ち明ける。
亜実は胸が高鳴り、「私こそ、まだ全然技術が足りないと痛感してます。でも、水瀬さんが指示をくれると怖くないし、自分の限界を超えられる気がします。本当にありがとうございます!」と深くお辞儀。
水瀬は「……ありがと。でも、まだ私も“完全復帰”じゃないから。これはあくまでテスト。今後どうなるかは分からないよ」と言うが、その目に暗さはなく、むしろ優しい光が宿っている。きっと彼女もラリーの感覚を取り戻し、私たちを導く決心を固めかけているんだ、と私は確信する。
夕陽が沈み、コースの管理人がクローズの準備を始める。2台のヤリスラリー2はトラックに積まれ、部員たちがそれぞれ帰り支度に追われる。円城寺は最後まで残り、コースの一角に立ち尽くしていた。佐伯が近づき、「どうしました? 帰らないんですか?」と声をかけると、円城寺は遠い目をして答える。
「……あの子たちがどんどん先を行ってしまう。俺が追いつきたいけど……もう勝てる気がしない。正直、悔しい。だが、嬉しくもある。ラリーを嫌ってたはずなのに、今はこんなに胸が疼くなんて……」
佐伯は肩を叩いて微笑む。「あなた自身の夢を、あの子らが代わりに実現するのかもしれない。そう思うと泣きたくなる気持ちも分かります。でも、あなたがこうして引き合わせてくれたことで、あの子たちはさらに強くなっている。ヤリスラリー2での未来がいよいよ見えてきたじゃないですか」
円城寺は目に涙を溜めながら、コース出口を去っていく白×赤のヤリスラリー2の後ろ姿を見送り、静かに呟く。「……ああ、あいつらはきっと、俺が届かなかった高みへ行く。俺はそれを見送るしかないのかな……。でも、今はそれでいいさ。いつか、あの背中に並んで走れる日が来ることを願うよ。」
遠ざかるエンジン音に混ざって、私と水瀬が小さく手を振る姿が映る。円城寺はまた一筋の涙をこぼし、佐伯が横で同じように目頭を押さえる。“あの背中はもう遠い……でも、世界を目指す輝かしい未来がそこにある。” そんな思いを噛みしめながら、彼らは車に戻った。
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